8月11日付 読売新聞編集手帳
クルミを割ると、
内側に幾つも部屋がある。
部屋と部屋を薄い皮膜が仕切っている。
家族とは
〈クルミの小部屋の住人のよう…〉とエッセーに書いたのは歌人の河野裕子さんである。
すべて分かり合っているように見えても、
家族には皮膜に隔てられた“小さな謎”があって、
〈おたがいにぼかしをかけてつきあっている部分もある〉と。
夫君の歌人、永田和宏さんが生卵を割れないことの不思議に触れた文章だが、
夫を、
子供をうたってきた人ならではの、
こまやかな観察だろう。
河野さんの『たったこれだけの家族』(中央公論新社)から引いた。
64歳で死去した河野さんの、
あすは一周忌にあたる。
〈君を打ち子を打ち灼(や)けるごとき掌(て)よざんざんばらんと髪とき眠る〉。
母性の極致である名歌の数々は小欄でも折に触れて紹介してきたが、
お母さん大噴火の歌もあることをこの本で知った。
無残に砕けたクルミを幾つも見てきたあとだけに、
家族とはいいものだとしみじみ思う。
最終歌集『蝉声(せんせい)』より。
〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉。
死の前日に詠んだ最後の歌という。