6月9日 編集手帳
小林多喜二は若き日の恋文に書いている。
〈「闇があるから光がある」
そして闇から出てきた人こそ、
一番ほんとうに光の有難ありがたさが分わかる んだ…〉
荻野富士夫編『小林多喜二の手紙』、
岩波文庫)
悲惨な境遇にある恋人、
田口瀧子を励ました1925年(大正14年)3月2日付の手紙である。
人づきあいに傷ついたり、
あるいは仕事でつまずいたり、
失意のなかにいる人にとっては時を超えて胸に響く言葉だろう。
時候も、
ちょっとそれに似ている。
ほの暗い雨の季節をくぐり抜けて迎えるからこそ、
夏の陽光がひときわまぶしく映る。
きのう、
関東甲信地方が梅雨入りしたという。
地震があり、
噴火があり、
憂 いの種につき合うのは地の底だけで手いっぱい、
というのが多くの人の心境だろう。
いくら後につづく“光の季節”を引き立ててくれるといっても、
豪雨が災害をもたらす「荒あら梅雨」や「暴れ梅雨」にならないことを祈るばかりである。
〈濡ぬれながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う〉(永田和宏)。
もはや哀れっぽくしか濡れることのできぬ身は、
一首に漂う羨望の匂いがよく分かる。