6月20日 編集手帳
あなたがいちばん幸せだったのは、
いつですか。
聞かれて、
すぐに答えられる人は稀まれだろう。
誰しも思い出す時間がほしいはずである。
茨木のり子さんの祖母は違った。
『答』という詩に書いている。
〈祖母の答は間髪を入れずだった
「火鉢のまわりに子供たちを坐すわら せて
かきもちを焼いてやったとき…」〉。
問われるのを待っていたかの即答は、
宝物の“時”をいつも心に映しては眺めていたからにちがいない。
楽しい記憶 を思い出させることでマウスの「うつ症状」が改善したという記事を読み、
その詩句を思い浮かべた。
人はときに幸せな記憶をたどっては憂うき世の山坂を越えていくものだが、
マウスもそうなのだろう。
あすは「父の日」の団欒だんらんのひとときを、
いちばん幸せな“時”として胸に焼き付ける人がどこかにいるかも知れない。
詩は結ばれている。
〈あの頃の祖母の年さえとっくに過ぎて
いましみじみと噛かみしめる
たった一言のなかに籠こめられていた
かきもちのように薄い薄い塩味のものを〉。
子供だった頃も、
自分が子供をもってからも、
幸せな記憶にはたしかに薄い塩味がついている。