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さくら5つの物語 ④“桜葬”亡き人への思い重ねて

2016-05-02 07:15:00 | 報道/ニュース

4月14日 おはよう日本

いま樹木のそばに遺骨を埋葬する“樹木葬”が全国各地で広がりつつある。
大阪高槻市の5年前に作られた“桜葬”の墓地のひとつには
ヤマザクラやシダレザクラなど約30本が植えられている。
まだ小さな桜だが
これから何年もかけて成長し
桜の森になっていく。
桜のそばに並んでいるのは名前やメッセージが刻まれた石。
現在ここに153人が埋葬されている。
墓地には亡くなった肉親の遺骨をもって遺族がやってくる。
桜のそばに遺族たちの手で遺骨が埋められる。
「実家の近くに桜の名所の公園があって
 亡くなってからも桜が見えたらうれしいんじゃないかなと思って。」
毎年この時期
さくらを眺めながら亡き家族に思いをはせる人がいる。
長野輝彦さん(68)。
3年前に亡くなった妻がここに眠っている。
(長野輝彦さん)
「明るくて元気な人だったし素晴らしかった人。」
 そういう縁があったというのも僕も幸せだった。」
妻のちよみさんは朗らかな性格で
いつも笑顔を絶やさず誰からも慕われていた。
そんな彼女が大好きだったのが春に華やかに咲き誇る桜だった。
(長野輝彦さん)
「桜っていうのは寒い冬を越して
 春になったらあれだけきれいな花が咲いて
 みんなを幸せにできるというのは
 桜を自分の生き方みたいに思っていたのかも。」
39年に及ぶ結婚生活。
毎年春になると夫婦二人で全国各地の桜を見に出かけた。
桜を見て喜ぶ妻の笑顔が長野さんにとって何よりの楽しみだった。
そんなふたりの思い出が詰まった宝物がある。
使い古された道路地図である。
15年前この地図を手に
ふたりは車で桜前線を追いかける旅に出た。
ちよみさんが記した旅路。
鹿児島から北海道まで3か月かけて日本列島を縦断した。
(長野輝彦さん)
「桜を見ていると本当に心が和むというか
 やっぱり桜の力というか
 本当に無邪気にお互い笑顔が出てきた。」
そんな夫婦の暮らしが変わったのは4年前。
ちよみさんの体にがんが見つかったのである。
医師からは余命半年と告げられた。
それでも早く元気になってふたりでまた桜を見に行きたい。
ちよみさんは懸命に治療に取り組んだ。
長野さんが桜葬の存在を知ったのは闘病生活のさなかだった。
しかし生きようと頑張る妻に
亡くなった後の話をすることは出来なかった。
ちよみさんが亡くなる1週間前
ふたりは病室で朝から思い出話を続けていた。
アルバイト先のデパートで出会って結婚。
それから39年
どこに行くにもいつも一緒だったこと。
そして全国各地の桜を見に行ったこと。
話は一日中尽きなかった。
夕方突然ちよみさんが夕日を見たいと言い出した。
無言のまま夕焼け空を眺めるふたり。
そのとき長野さんはこれまで言えなかった桜葬のことを切り出した。
(長野輝彦さん)
「『うん 最後はそこがいい そうしよう』って
 決まりましたね。」
愛する妻を亡くし
生きる気力を失いかけていた長野さん。
ある日桜前線を追った道路地図を見ていたとき
これまで気付かなかったちよみさんの書いた文字に目がとまった。
そこに綴られていたのは一緒に旅する長野さんへの思いだった。
“し・あ・わ・せと
 ふたり同時に声を出し
 大笑いする能登の夕暮れ”
“この人が
 わが連れ合いで良かったと
 つくづく思う 車中かな”
いつも明るく
最後まで前向きに生きたちよみさん。
そんな妻への感謝の思いがあらためて湧き上がってきた。
ちよみさんが眠っている墓地。
ここで桜を眺めていると
長野さんはちよみさんが語りかけてくるように感じるという。
(長野輝彦さん)
「明るく元気に思い切り生きた人だったから
 ひとりだけれどもしっかり生きていきなさい
 と言われている気がする。」
大切な家族が桜のそばで眠る桜葬。
亡くなった人と心を通い合わせるかけがいのない桜である。



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さくら5つの物語 ③ダムに沈むふるさとの一本桜 

2016-05-02 07:15:00 | 報道/ニュース

4月13日 おはよう日本

愛知県の山あいで咲くウバヒガンザクラ。
四方7メートルにわたり枝を広げる一本桜。
しかし周囲に人の気配はない。
この地区はダムに沈むことが決まり
住民はそれぞれ移転を余儀なくされた。
今年2月 70年以上住み続けた家を去る男性。
「この地区で人の営みがこれで終わり。」
男性を最後にすべての住民がこの地区を去った。
愛知県設楽町八橋地区。
5年前 地区には49世帯が暮らしていた。
しかしダムの建設で全世帯が地区を離れることを余儀なくされた。
いま人が住んでいた面影はほとんどない。
この地区を高台から見守り続けたウバヒガンザクラ。
樹齢100年以上の桜は住民たちにとって故郷の象徴だった。
毎年4月 満開の桜のした住民総出で行われてきた花見。
毎回最後は全員で記念の集合写真を撮っていた。
花見を毎年欠かさず記録し続けてきた窪野欣也さん(75)。
住民が地区を離れていくにつれ行われなくなった花見。
故郷を離れてもその思い出を大切にしたい。
この春花見を再開しようと考えた。
離ればなれになった住民に開花の様子を伝える。
(窪野欣也さん)
「今まで親戚姉弟みたいだった人がもう一生会えないかもしれない。
 生きていてもね。
 それは非常に寂しい。
 だからこの桜の木のもとへできれば来ていただきたいと思います。」
故郷の1本桜に特別な思いを寄せる人がいる。
正木寿子さん(84)。
今は桜から30キロ離れた町で暮らしている。
80年以上 八橋地区で暮らしてきた正木さん。
自宅の軒先からいつも見えていた桜を残し
地区を離れたことが心にひっかかっていた。
(正木寿子さん)
「八橋の桜はみんなの心のよりどころだった。
 桜だけ置いてきてしまったなと思うときもあります。」
花見が行われた4月3日
サクラは満開の花を咲かせた。
花見を呼び掛けた窪野さん。
「いいね最高。
 ほぼ満開でね ちょうどいい。」
移り住んだ先からかつての住民たち60人以上が集まった。
なかには2時間かけて足を運んだ人もいた。
思い出の桜を気にかけていた正木さんは娘と一緒に地区に戻ってきた。
3年ぶりの桜との再会である。
「こんなところに1人きりに置いてみんな出て行ってしまって
 よくそれでも頑張って1人で咲いてくれて
 何より良かったと思います。」
かつて毎年必ず撮影していた集合写真。
桜の下 束の間戻った故郷の時間である。
(窪野欣也さん)
「ここの場所というのは村を一望できるいい場所なもんですから
 ここから見ての小学校が見えます 私には。
 実際は何もないけど見えているんです。
 みんなそうです。
 ですからここにしのびに来ます。
 思い出は絶対沈まない。」
100年にわたり地区を見守り続けてきたウバヒガンザクラ。
失われゆく故郷の思い出をつなぐ。

このウバヒガンザクラは高台にあるため
ダムが完成した後も残されることが決まっている。
周囲も整備され公園となる計画である。




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