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謎多き実像を探る 「忍者研究」最前線

2020-02-14 07:00:00 | 報道/ニュース

1月24日 NHK「おはよう日本」


津市の三重大学。
この大学の大学院でいま国内で唯一の研究が進められている。
大学院生が読んでいるのは江戸時代の古文書。
この授業は“忍者・忍術学”の専攻過程で
忍者の実像や発展過程を解明することを目指している。
(大学院生)
「どういうふうに生活して
 どういう呼吸とか忍び方をして潜入して
 非常におもしろい。」
「忍者の沼にはまってしまっている感じ。」
(中国からの留学生)
「忍者のスキルはとってもかっこいい。」
忍者の起源は14世紀の南北朝の時代にさかのぼるとされている。
敵の城に潜入し放火や暗殺など
影の仕事を担った忍者。
特に伊賀地方の忍者は
戦国時代 徳川家康に取り立てられたことなどから
全国に知られている。
その後
歌舞伎や小説
最近ではアニメにも取り上げられたことから
黒装束を着た日本の忍者は世界でも人気を集めている。
しかし本当の忍者の姿がどういうものだったか
本格的な研究はこれまでほとんど行われていない。
山田教授は忍者に関する“埋もれた資料”を探している。
この夏 向かったのはアメリカだった。
終戦後にGHQが持ち帰った古文書の中に
忍者に関する資料が埋もれているのではないかと考えたのである。
ワシントンにあるアメリカ議会図書館。
図書館の奥で保管されていた貴重な資料の撮影が許され
山田教授は持ち帰って時間をかけて分析することにした。
その後 持ち帰った資料を読みこむうち
山田教授は
江戸時代の兵法書の中に当時の忍者の姿をうかがわせる記述を見つけた。
忍者が追っ手から逃れる際に使ったとされる
まきびしを投げる武士の姿である。
現在 黒装束などで描かれることが多い忍者。
それは後世の創作で
実はこれこそが当時の忍者の本当の姿に近いと山田教授は考えている。
(三重大学人文学部 山田雄司教授)
「当時納通の武士の人の衣装。
 こういう形で活動していたのが“忍び”と言われる人だと思う。
 自分の名前を残してはいけないし
 いろいろな書いた物も残してはいけない。
 だけれどもやることは非常に大きなことを成し遂げて
 毎日コツコツといろんなことをやっている。
 そういう忍者の像を示してさらには
 世界の人にもっと忍者に対して関心を持ってもらえたら。」
山田教授が講義をする中で強く印象に残った出来事があった。
「ぱっと見には何も見えない。」
教授が出した課題にある学生が提出したリポート。
はじめ白紙で出されたリポートは実は
あぶると文字が浮かび上がる“あぶり出し”だったのである。
「字がはっきり見えてすごいなと思った。」
リポートを提出した人文学部1年の芳羽賀さん。
多くの学生がパソコンでリポートを作成するなか
羽賀さんは忍術を使ったリポートを思いついた。
大豆をミキサーで細かく砕き絞った液を作り
筆でリポートを完成させたのである。
(羽賀さん)
「せっかく“忍者学”ぼリポートだったので
 忍者の術を使えたら面白いと思った。
 きれいにできるとすごくきれいにふわっと炙り出されてくるので
 それがすごくうれしくて。」
世界の人々を魅了してやまない忍者。
その新たな世界が切り開かれている。

 

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アスリートの魂 東京五輪へ

2020-02-13 07:00:00 | 編集手帳

1月23日 読売新聞「編集手帳」


米国の田舎町が舞台のスティーブン・キングの小説『IT』(文春文庫、小尾芙佐訳)に、
小学生のベンが俳句を作る場面がある。
<きみの髪は冬の火
 一月のおき火
 ぼくの心もいっしょに燃える>

<陽の光が髪の毛の中に潜り込んで燃えている>かに思えた好きな子への気持ちを、
英語の17音節で表したものである。
ベンは俳句を国語の授業で習い、
短い文節に感情を凝縮する発想に魅せられたという。

ラグビー日本代表のジョセフ・ヘッドコーチも俳句少年だったのだろうか。ワールドカップで自作の句により、
選手を鼓舞したのは記憶に新しい。

強豪アイルランドを迎え撃つ前だった。
連句のような仕立てになっている。
<誰も勝てるとは思っていない
 接戦になるとさえ思っていない
 でも誰もどれだけハードワークをしてきたか
 どれくらい犠牲を払ったか知らない
 やるべきことはわかっている>

アスリートの魂を凝縮しているようで、
いま思い出しても心を揺さぶられる。
競技を超えて通じるものがあるだろう。
東京五輪の開幕(7月24日)が半年先に近づいた。
感動、
感動の日々が待ち遠しい。

 

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トルコ “猫にやさしい街” イスタンブールの人気者

2020-02-12 07:00:00 | 報道/ニュース

1月23日 NHKBS1「国際報道2020」


トルコの最大都市イスタンブール。
旧市街は世界遺産に登録されており
美しい景観で名高い一大観光地である。
そんな街の中でひときわ目を引くのがたくさんの猫たち。
路上にも
カフェにも
いたるところに猫がいるがそのほとんどが野良猫である。
街のあちこちにエサが盛られた皿が。
地元の住人たちが置いたものである。
冬の寒さをしのげる小屋まで設置されている。
ペットボトルの回収機は
使い終わったペットボトルを入れると猫のためにエサが出てくる仕組みになっている。
ここまで猫にやさしくするのには理由がある。
イスラム教の預言者ムハンマドは
猫をこよなく愛していたとされ
猫を大切にすることを奨励したことから
その教えがしっかり根付いているのである。
街全体がさながら猫の家のようになっている。
そんなイスタンブールでひときわ人気を集めている猫がいる。
1500年近くの歴史を持つアヤソフィア博物館。
キリスト教の教会として建てられ
イスラム教の礼拝所として使われるなど
「文化の交差点」と言われるイスタンブールを象徴する名所のひとつである。
そんな由緒正しい博物館のマスコットとして親しまれている猫
名前は「グリ」。
もとは野良猫だったがいつのまにか博物館に住み着くようになり
いまでは人気者。
グリを見るために博物館にやってくる人も少なくない。
(観光客)
「すごくカワイイ。
 このネコに会えてよかった。」
2009年にここを訪れた当時のオバマ大統領にも可愛がられ
世界中のメディアがその様子を報じた。
ファンが作ったSNSの専用ページを2万人近くがフォローするほどである。
撮影者の足の上に乗って足踏みしてマッサージするなど愛くるしさが人気の秘訣である。
そんなグリを支えてきたのが博物館の副館長デフネ・バリさんである。
毎朝エサを上げるの日課である。
(デフネ・バリさん)
「私を見るとしっぽを振ってやってくるんです。
 エサを食べるのを見届けたら職場に戻り
 グリはもとの場所に戻るんです。」
2004年に博物館で働き始めたバリさん。
その年にグリも生まれた。
いわばふたりは“同期の桜”である。
(デフネ・バリさん)
「仕事で落ち込んだ時はグリの所へ行きます。
 グリを抱き上げると気分が癒されます。」
バリさんにとって気がかりなのがグリの体調である。
グリの年齢は15歳。
人間でいえばおよそ80歳である。
この1年で活動量はぐんと減ったという。
冬の寒い日には温かい照明の前で寝る時間が増えた。
長年グリに元気づけられてきたバリさん。
今度は自分が支える番だと
グリを気遣う時間を増やした。
仕事の合間を縫って健康状態をチェックし
薬を与えるなど献身的にサポートしている。
(デフネ・バリさん)
「グリは私にとってかけがえのない存在です。
 博物館のシンボルなんです。
 最後の日がやってくるまで面倒を見るつもりです。」
バリさんと二人三脚で歩いてきたグリ。
これからも博物館を見守り続ける。




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南アフリカ特産 ルイボスティー

2020-02-11 07:00:01 | 報道/ニュース

1月22日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


アフリカ大陸のほぼ最南端にあるケープタウン。
中心部から車で3時間ほどの一帯がルイボスティーの産地である。
世界でも南アフリカのケープタウン近郊のこの一帯でしか自生していない。
その理由は
寒暖の差が激しく非常に乾燥した独特な気候である。
ルイボスは砂漠のような砂地で
しかも強い日差しを浴び続けて育つ。
(生産会社社長 バーグさん)
「人間だったら肌が荒れてしまうけど
 ルイボスは乾燥を防ぐことができます。」
古くから地元のアフリカの人たちが“健康に良い薬草”として飲んでいた。
植民地時代に入植してきた白人たちがそれに目をつけ
1930年代から商品として売られるようになった。
カフェインがなく
ビタミンやミネラルを多く含むとされ
健康にいいハーブティーとして売られている。
国内最大の工場では毎年約1万3,000トンが生産され
約半分が海外に輸出されている。
このうち日本は最大に輸出先の1つで
年間約2,000トンになるということである。
(生産会社 社長 バーグさん)
「日本では1980年代に健康に良いお茶として販売され始めました。
 その後 若い女性に人気となり
 広く知られるようになりました。」
南アフリカの毎日の生活に欠かせないルイボスティー。
しかし最近は時代の変化の波にもさらされている。
エスプレッソなどのコーヒーの人気が広がり
ルイボスティーは全体としては消費量が増えているが
一部の若者の間では
“時代遅れで 高齢者の飲み物”というイメージもある。
そこで業界ではいま
若い消費者にもアピールしようとさまざまな取り組みが行われている。
ケープタウンの中心部にある立ち飲みバーのような店。
2か月前にオープンし
ちょっと変わったルイボスティーを提供している。
“発酵ルイボスティー”。
興味を持った若者たちがさっそく飲んでいた。
「爽やかでおいしいよ。
 お年寄りの飲み物だったけど
 今では若者にも人気があるんだ。」
バーを経営するのは32歳のエミーさん。
インドで発行されたお茶を飲んだことをヒントに
ルイボスティーでも応用できると思って仲間と起業した。
(経営者 エミーさん)
「コーヒーのようにトレンディーではありませんが
 高齢者だけでなく
 若者にも受け入れられると思います。」
また飲み物以外にも使われている。
ルイボスを使った足裏マッサージ。
ルイボスを混ぜたオイルで足の角質を取っていく。
抗菌作用もあるという。
(スパ経営者 リシャさん)
「飲む以外もいろんな用途があります。」
日本をはじめ世界的に知られるようになってきたルイボスティー。
その本場の南アフリカでは
新たな進化を続けている。

 

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NYジャズ界の新星 挾間美帆

2020-02-10 07:00:00 | 報道/ニュース

1月21日 NHKBS1「国際報道2020」


アメリカの音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞。
最優秀ラージジャズアンサンブルアルバム部門にノミネートされている
ジャズ作曲家の挾間美帆さん(33)。
この部門にノミネートされた日本人の作曲家としては15年ぶり2人目である。

ジャズ作曲家の挾間美帆さんは
自らが率いる楽団 m_unit の番のリーダーとしてニューヨークを拠点に活動している。
挾間さんの音楽は
ジャズのビッグバンドをベースにしながら
弦楽器やホルンなどクラシック音楽の要素を取り入れているのが特徴である。
その独創性が高く評価され
今回 最新アルバム「Danser in Nowhere」が第62回グラミー賞の候補に選ばれた。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「想像すらしていなかったことなので驚きました。
 自分がやりたいと思って作ってきた音楽が
 より多くの人に聞いてもらえるチャンスを得たというのは
 純粋にうれしいです。」
5才からクラシックの作曲を学び始めたという挾間さん。
音楽大学に進み
そこで出会ったのがジャズのビッグバンドだった。
それまでとはジャンルの違うビッグバンドの音にすっかり魅了された挾間さん。
2010年には名門マンハッタン音楽院に留学。
そこで本格的にジャズの作曲を学んだ。
そして卒業後
自らのバンドm_unitを結成し
CDデビューを果たしたのである。
ジャズの本場ニューヨークで暮らしながら第一線で活躍する挾間さんだが
アメリカに渡った当初はレベルの高さに圧倒されたという。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「“どうやってサバイブして(生き残って)いくんだ“
 “こんなレベルの高い街で”
 って思った。
 自分探し
 自分のブランド作り
 自分の強みをどうやってプロデュースしていくんだと
 毎日必死でした ほんとに。」
自分の強みとは何か
悩んでいた挾間さんに大きな影響を与えたのが
当時マンハッタン音楽院の教授で
ビッグバンドジャズの巨匠 ジム・マクニ―リーさんだった。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「ジャズだから適当に何かいい感じの曲を作っていけばいいかなと思い
 良い感じの適当なものを持って行ったら
 『君そうじゃなくて ちゃんと意味のある音をね』
 『この音は何の意味があるの?』って言われて
 それは大学でクラシックを勉強していたときに
 教授に聞かれ続けていたことと全く同じだったんです。
 それにはさすがにちょっとショックを受けて
 あまりボーダーなんてないんだよなと。」
“ジャンルという固定概念にとらわれる必要はないんだ“と気づかされた挾間さん。
この経験がクラシックとジャズを融合させた独自の音楽性を生み出す土台となったのである。
マクニ―リーさんは挾間さんの作品をこう評価する。
(マンハッタン音楽院 元教授 ジム・マクニ―リーさん)
「彼女は伝統的なビッグバンドに弦楽器を組み入れることで
 独自のスタイルを確立した。」
挾間さんの音楽はどのようにして生み出されるのか。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「そのままだと思いっきり完全なる宗教音楽みたいな感じになるので
 それをどう格好良くしようかなと思って。」
日本の金沢のオーケストラのために書いている楽曲。
金沢とゆかりのあるキリシタン大名 高山右近にちなんで
讃美歌をモチーフに選んだという。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「作曲は特に自分の中では
 アーティスティックなものを作るのであれば
 そこに何か意味があってほしいという気持ちは当然だし
 今でも自分はそういうふうに
 必ずきっかけとか意味がある音をかけるように心がけていますね。」
独自の音楽で世界に注目される挾間さん。
これからもニューヨークを拠点に新たなジャズの世界を切り開いていきたいと考えている。
(ジャズ作曲家 挾間美帆さん)
「自分のブランドはここで築かなくてはならない。
 なぜなら
 ここは世界中からものすごくレベルの高い音楽家たちが集まっていて
 そのレベルは桁違いで
 この人たちと一緒に音楽をやらないでどうする
 そういう天国のようなフィールドが整っているわけです。」

挾間さんは近年ドイツやオランダの名門ビッグバンドと共演したほか
去年10月にはデンマークのビッグバンドの首席指揮者に就任し
ヨーロッパにも活躍の場を広げている。


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「ライブコマース」で中国市場をねらえ!

2020-02-09 07:00:00 | 報道/ニュース

1月21日 NHK「おはよう日本」


ライブコマースは
スマホの生中継で商品を紹介するテレビ通販ならぬネット中継通販。
リアルタイムでつながるライブ感が魅力で
ここ数年中国で急速に広がっている。
この市場に日本からも新規参入の動きが出ている。

東京のベンチャー企業が運営するライブコマースのスタジオ。
“やさしそうな見た目になるわ”
中国人女性が販売業者の依頼を受けて商品の魅力をアピールする。
“服とも合わせやすいわ”
画面の向こう側にいるのは中国の消費者たち。
“商品を良く見せてほしい”
“箱から取り出してみて”
といった要望が次々と寄せられている。
女性はそうしたリクエストにリアルタイムで対応。
消費者が気に入ればその場で購入できる仕組みである。
こうしたライブコマースの流通額は年間10兆円を超えるとされている。
(ライブコマースの仲介業者 ロクトーナ )
「お客様と販売側が双方向にコミュニケーションがとれる。
 “もしかしたら偽物かもしれない”というのが中国の文化であり
 質問をライブで投げかけることができる。」
このライブコマース
地方企業からも参入の動きが出始めている。
甲府市で96年続く宝飾品業者。
宝飾品の出荷額で30年連続日本一の山梨県。
しかし国内市場の縮小で
ピーク時の4分の1にまで激減している。
中国市場に低コストで進出することができると
地元の銀行から勧められたのがライブコマースだった。
(銀行の担当者)
「中国本土に対して何か直接アプローチできる仕組みはないだろうかという声を
 宝飾企業の皆様から頂いていたので
 ライブ動画を使った販売手法をしている。」
(大森水晶 専務)
「ライブ配信で何万人何千人の方にご覧いただける。
 こういった形で中国の巨大マーケットに挑戦できるのはとても魅力的な話。」
銀行の呼びかけに応じ
県内約40の宝飾業者がライブコマースの利用を決めた。
(山梨中央銀行)
「山梨が潤うことで
 ひいては地方銀行
 私どもにも跳ね返ってくる。
 宝飾業である程度成功の道筋を作ってから横展開。
 ワインとか織物とか
 さまざまな産業につなげていくことができれば。」
ライブコマースは地場産業復活の切り札となるのか。
その動向に注目が集まっている。

 

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災害時に外国人に“やさしい日本語”

2020-02-08 07:00:00 | 報道/ニュース

1月20日 NHK「おはよう日本」


阪神淡路大震災から25年。
当時
被災した外国人への支援では
“やさしい日本語”という考え方が生まれ
今では各地の被災地に広がっている。
“やさしい日本語”はどのように誕生し変化を遂げてきたのか。

25年前 被災した外国人の支援団体で事務局長を務めていた田村太郎さん。
安否の確認や住まいの相談に“やさしい日本語”で対応した。
(被災外国人を支援 田村太郎さん)
「だいたい3割くらい日本語で対応している。
 基本的にはゆっくり短く分かりやすい日本語。
 聞いて分からないようだったらもう1回言い直す。
 違う言葉で。」
当時 被災した外国人は日本語の壁に直面していた。
「震度」や「避難所」といったふだんは耳にしない言葉が理解できずに
支援が十分に受けられないケースがあったのである。
(被災した外国人)
「家は見つかったが仕事がなく
 自立できずに困っています。
 言葉があまりよくわからない。」
田村さんは震災直後から被災した外国人向けに
15近くの言語で対応する電話相談を始めた。
しかしすべての言語の通訳を確保できないこともあって
やさしい日本語を使い始めた。
(田村太郎さん)
「わかりやすい日本語で
 最初の受け止め・やりとりはできるのではないかと
 やさしい日本語が徐々に普及始めた。」
やさしい日本語はふつうの日本語より簡単で外国人にもわかりやすい日本語である。
今朝(けさ)   ⇒今日の朝
頭がガンガンする ⇒頭がとても痛いです
警戒する     ⇒気を付ける
高台に避難する  ⇒高いところに逃げる
停電中です    ⇒電気を使うことができません
などと言い換える。
震災をきっかけに各地に広がり
去年の台風19号でも自治体がツイッターで平仮名だけの短い言葉で情報を発信した。
(長野県防災)
たいふうで、おかねや、みらいを、しんぱいする、がいこくじんのみなさん
にほんは、なんかいも、たいふうや、じしんにあいました。いえや、こころが、きずついても、たくさんのひとが、たすけあいました。
どのくにのひとも、みんな、たすけあいましょう。
うえをむいてあるこう。
おやすみなさい
やさしい日本語はいま形を変えながら広がりを見せている。
岐阜市内で行われた
外国人が多い避難所を想定した訓練。
使われたのは災害ピクトグラム
ピクトグラムとは
言葉ではなく
絵や記号で必要な情報を伝えるものである。
宗教上の理由で食べられないものがあるという人向けに食材も表示する。
「この中に食べられないものはありますか?」
「肉。
 全部。」
災害ピクトグラムの普及にあたっている菊地信孝さん。
普及が進む背景には文化が異なる外国人の増加があるという。
(災害ピクトグラム普及にあたる 菊地信孝さん)
「いま日本の外国人生活者の比率は50人に1人になっている。
 在留外国人はずっと日本に住んでいるので
 日本人と同じように避難所で衣食住する状況になってきている。」
(在留外国人)
「とても助かる。
 何が食べられないか簡単に相手に伝えられる。」
(菊地信孝さん)
「いろんな方が一緒に避難するという前提で
 分かりやすいコミュニケーションをつくる。
 そういう取り組みがどんどん広がっていけばと思っています。」
25年前の震災以来
外国人の支援にあたっている田村さん。
(田村太郎さん)
「“電車が不通です”という日本語がありますね。
 災害の時に出ている“ふつう”は“普通”ではないんです。」
いま訪日外国人の増加で
公共施設やホテルなどで研修の講師を頼まれることが増えている。
田村さんは
やさしい日本語を使うことはわかりやすいだけではなく
災害時に不安を抱える外国人の立場で支援にあたる姿勢にもつながるという。
(田村太郎さん)
「難しい日本語ではなくやさしい日本語を話すことで
 より伝わる人が増える。
 安心してもらうことが大事。
 安心してもらうことが“やさしい”ことにつながればと思う。」


 

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再生回数2億回!ドリブルの達人

2020-02-07 07:00:02 | 報道/ニュース

1月20日 NHK「おはよう日本」


個人でSNSに投降した動画の再生回数が合計2億回を超えるなど
高い関心を呼んでいるかたがいる。
かつては日本フットサルリーグの選手で
引退後ドリブル専門の指導者として活動を始めた。

サッカーに取り組む子どもたちが熱いまなざしを送るのが
岡部将和さん(36)。
ドリブルに特化した教室を全国各地で開いている。
小柄で細身の体から繰り出される変幻自在のテクニック。
多くの少年少女たちがその神わざの虜になっている。
「人間じゃないみたい。」
「岡部さんみたいになりたい。」
サッカーの現場では長い間ドリブルを感覚的な指導に頼ってきた。
岡部さんは
なぜ抜けるのかを徹底的に追求し
相手を抜くための独自の理論を作り上げた。
その理論。
相手が足を伸ばしても届かない距離を保つ。
その周りを弧を描くようにボールを持てば
相手に取られることは絶対にない。
さらに
ゴールと相手・自分を一直線に結ぶ角度を180度とした場合
この角度が135度90度と小さくなればなるほど
ヨーイドンでドリブルを仕掛けた時
後ろ向きの相手を振り切れる可能性が高まるというのである。
ドリブルで抜けるようになる勝利の方程式は
 相手の足が届かない「距離」×ヨーイドンで勝てる「角度」
(岡部将和さん)
「うれしかったですね。
 ああ これでドリブルに感情論とかを入れずに
 今まで抽象的だったもの
 感覚とされてきたものが可視化できたという
 喜びはありました。」
岡部さんは自らの理論をより広く知ってもらうため
抜き方のスキルや解説動画などをSNSで発信している。
(岡部将和さん)
「1日1個は動画を必ず作ってます。
 月30本。
 ティックトックだと月200本。」
動画は拡散され
世界各地から指導の依頼が舞い込むようになった。
さらにプロ選手からも岡部さんに直接指導を受けたいという依頼が相次ぐようになった。
その1人が現在ベルギーで活躍する小林祐希選手。
日本代表の経験もある選手である。
いまや各地から引っぱりだこの岡部さん。
ドリブル教室の最後には必ず生徒たちと対戦するようにしている。
そこには岡部さんの大事なメッセージが込められている。
「どんなに怖い場面であってもチャレンジした先に成功あがあると思うから
 ミスってもいいからチャレンジしよう。」
ドリブルを通して人生に挑戦する勇気を育てたい。
岡部さんの願いである。




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災害を折に触れ考え、備える

2020-02-06 07:00:00 | 編集手帳

1月19日 読売新聞「編集手帳」


作家のたくましい想像力は時に精緻(せいち)な予言を紡ぐことがある。
地殻変動で日本列島が海底に沈む。
小松左京さんのSF小説『日本沈没』(1973年)には予兆的な場面が随所に登場する。
<高架道路の橋脚はもろくも傾き…
 何百台もの自動車を、
 砂をこぼすように地上にぶちまけた>。
発表当時、
専門家からあり得ないと非難された風景は、
22年後、
悲しいかな現実となる。

「阪神大震災の日 わが覚書」(河出文庫『大震災’95』所収)に、
映像を目にした際のショックが綴(つづ)られている。
<視界が暗くなり、
 数秒間色覚がぬけた>
<眼球を動かすのさえ重い感じ>であったが、
無理にチェックする。
思ったより下に落ちた車は少ない――。
物語の地震は夕方の5時過ぎ、
東京で起きた。

百戦錬磨の作家をも打ちのめすのが実際の災害の凄(すさ)まじさである。
最悪を思い描くのはしんどくてつらい。
けれど折に触れ考え、
備える。
それがこの国で暮らすのに欠かせぬ心構えなのだろう。

ベストセラーになった小説に政治家も関心を寄せた。
「いっぺんゆっくり話したい」。
時の首相、
田中角栄氏も、その一人だったという。


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どこかユーモラスな響き 「チバニアン」

2020-02-05 07:00:00 | 編集手帳

1月18日 読売新聞「編集手帳」


藤子・F・不二雄さんの漫画『パーマン』はアニメとなり、
何度も再放送された。
気弱な男の子が宇宙人にもらったマスクとマントを身につけ、
空飛ぶヒーローに変身する物語は多くの方がご記憶だろう。

舞台は東京だが、
パーマンは大阪にもいた。
子供の頃、
テレビの画面に登場してくるたび、
ほがらかな気持ちにさせてもらったのを覚えている。
その子の名は
「パーやん」

地域性にどこかユーモラスな響きが重なるところが似ていなくもない。「や」と「あ」の違いはあるものの、
いつも聞くだにパーやんを思い出して、
頬の緩む言葉がある。チバニアン――
千葉県市原市で見つかった太古の地層が、
韓国で開かれた国際学会で正式に認められたという。
きのうをもって世界のどの国でも、
77万年前~12万年前の地質学上の時代はチバニアンと呼ばれることになった。
一部に異議が出て、
立ち消えになる心配もあっただけに研究チームの喜びはひとしおだろう。

この地層からは地球のN極とS極が逆転したことが分かるとか。
親しみの持てる響きのなかに、
科学の奥行きがのぞく不思議なチバニアンである。

 

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災害の教訓を生かす努力を続ける

2020-02-04 07:00:00 | 編集手帳

1月17日 読売新聞「編集手帳」


妻が叫んだ。
「タンスにはさまれ動かれへん」。
夫が駆け寄る。
「火が来とるで!」。
妻が押し返すように言う。
「お父ちゃん、もういいから行って」

「かんにんやで、
 かんにんやで」。
74歳の夫は近所の人に羽交い締めされながら、
燃えさかる家を見つめた――
阪神大震災の激震の朝を伝える当時の紙面から引いた。
無数の無念の叫びがこだました日からきょう25年を迎えた。

<哀(かな)しみは身より離れず人の世の愛あるところ添ひて潜める>。
歌人の窪田空穂(うつぼ)の一首を思い浮かべると、
大地震の惨禍を「震災の記憶」と過去に押しやることに抵抗がある。

もう25年、
まだ25年…
多くの方が哀しみを身に潜めてきた歳月だろう。
阪神大震災では倒れないはずの高速道の高架が横倒しになった。
まさかと身を震わせた災害の教訓を後の社会に十分に生かせたかというと、合格点に至りそうもない。
津波は越えないはずの高さを越え、
豪雨は壊せないはずの堤防を壊した。

空穂の歌は愛があるから哀しいのだとも聞こえる。
なぜか同じ読みをする「愛」と「哀」を引き離す努力をつづけたい。
防災とはそういうことでは。

 

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茨の道を香り高い道に変えて

2020-02-03 07:00:00 | 編集手帳

1月16日 読売新聞「編集手帳」


茨(いばら)とは、
薔薇(ばら)などトゲのある植物の総称である。
茨の道、
というと、
苦難の多い人生の意味に転じてしまうが、
江戸期の俳人・与謝蕪村は茨を悪いように詠まなかった。

<花いばら故郷の路(みち)に似たる哉(かな)>。
細い道を歩いて、
咲き乱れる野茨の香りに行き合った。
そういえば子供の頃、
そっくりの小道に遊んだなあ、
と解釈される。

ショッキングなニュースが駆けめぐったとき、
蕪村の句を思い浮かべた。
茨の道をふたたび、
香り高い道に変えてほしいと。
遠征先のマレーシアで交通事故に遭い、
けがをしたバドミントンの桃田賢斗選手(25)である。

ふたたび、
と先に書いたわけは多くの方がお分かりだろう。
賭博問題で長く謹慎処分になった桃田選手は、
過去と真摯(しんし)に向き合いつつ、
自分の心と体を鍛え直した。
目下の世界ランキングは1位。
茨の道をやっと通り過ぎ、
栄光の場所に近づいたと思えたところで、
不運な事故に見舞われた。
試練がまた始まった。

蕪村には次の句もある。
<愁ひつつ岡にのぼれば花いばら>。
悲運を思いながらも、
坂道をひたひたと歩み続けてもらいたい。
きっと、
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カンボジア EUによる経済制裁の可能性は

2020-02-02 07:00:00 | 報道/ニュース

1月16日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


近年 強権的な姿勢を鮮明にしているとして
フン・セン政権に対し国際社会から批判の声が上がるなか
最大の輸出先であるEUヨーロッパ連合は人権状況の悪化を理由に経済制裁を検討している。
制裁が実施されればカンボジア経済にとって大きな打撃になる。

1月15日
カンボジアの首都プノンペンで始まった裁判。
被告は国家反逆の罪に問われているケム・ソカ氏である。
フン・セン政権によって3年前解散を命じられた最大野党の党首を務めていた。
(パイン・へイン弁護士)
「彼への疑いは晴れると思います。
 それこそが正義です。」
野党への締め付けを続けるフン・セン政権に対し国際社会はきびしい目を向けている。
中でも批判を強めているのが人権を重視するEU。
経済制裁としてカンボジアに適用している特恵関税措置の撤廃を検討。
武器以外のすべての製品について輸入関税をなくすという優遇措置を続けるかどうか
来月には判断する見通しである。
適用が始まってから20年近く。
EUへの輸出は後押しされ今では全体の約4割を占めるまでに拡大。
中国向けと比べて5倍近い規模で
年7%前後という高い経済成長率の実現にも貢献した。
措置が撤廃されればカンボジア経済への打撃は避けられない。
ただフン・セン首相は
「制裁をちらつかせて人権の解明を迫るEUのやり方は内政干渉だ」と反発。
(カンボジア フン・セン首相)
「援助や特恵関税を国の主権と取引できるわけがない。」
外国投資全体の約7割を占める中国の投資を背景に
EUに対して強い姿勢をとっている。
しかしEUによる制裁の可能性が高まるなか市民の間では不安が広がっている。
主力の輸出産業である縫製業では
措置が撤廃されれば失業者は数十万にものぼるとされる推計がある。
EU向けの服などを縫製する工場で13年働いてきたコッサルさん。
工場では従業員の代表を任され
月収は日本円で約3万3,000円である。
家族3人の生活費に加え
月に8,000円近くかかる子どもの学費もまかなってきた。
EUが制裁に踏み切れば輸出は減速。
工場の生産も抑えられ
相当数の従業員が解雇されるのではないかと懸念している。
(縫製工場従業員 コッサルさん)
「特恵関税措置が撤廃されれば失業して収入がなくなります。
 そうなれば子どもに勉強を続けさせられません。」
失業した場合に備えコッサルさんは去年11月から薬品販売のアルバイトを始めた。
しかし給与は歩合制。
慣れない仕事のせいもあってまだ収入にはつながっていない。
この日コッサルさんは別の工場の代表たちと自分たちの仕事の将来について話し合った。
「特景関税措置がなくなり工場が閉鎖しても他の仕事はできない。」
「工場が閉鎖したら失業だ。」
どの工場も状況は厳しく
従業員の間で不安が広がっていることが分かった。
コッサルさんは
カンボジア政府とEUには政治的な駆け引きではなく
貧しい人々の暮らしにこそ目を向けてほしいと感じている。
(縫製工場従業員 コッサルさん)
「政治のことはよく分かりませんが
 労働者や市民は不安を感じています。
 特恵関税措置の撤廃で苦しむのは私たちカンボジアの庶民なのです。」


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春が来る頃には

2020-02-01 06:58:39 | 編集手帳

1月15日 読売新聞「編集手帳」


 葉をすっきりと落とし、
裸になっている木を見かけると、
明治生まれの詩人・八木重吉のごく短い詩を思い出す。
『冬』と題す。
<木に眼めが生なって人を見ている>

結核で29歳で夭折(ようせつ)した重吉の詩は生命の息づかいに触れる作品が多い。
体が弱く床に伏しがちだった詩人が裸の木にこしらえた眼は、
一行しかないだけに、
冬の街を歩く人の何を見ているのだろうかと想像させる。

きのう横断歩道で信号待ちしていると、
向かい側の人たちがほぼ全員マスクをしていた。
風邪気味の人の感染を広げないためのエチケットであり、
かたや予防であり。
人間だからできることだろう。

沖縄で豚(とん)コレラ(CSF)の感染の広がりが懸念されている。
農林水産省は特産の「アグー」豚を守るため、
施設に隔離する検討を始めたという。
絶滅寸前だった「島豚」を殖やしてきた地元の努力を無にしないよう、
迅速な対応が望まれる。

重吉に『豚』という詩もある。
<この
 豚だって
 かわいいよ
 こんな
 春だもの
 いいけしきをすって
 むちゅうで
 あるいてきたんだもの>。
春が来る頃には感染が終息し、
外に出られるといい。

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