箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

中学生が表現する機会

2016年11月13日 18時25分50秒 | 教育・子育てあれこれ

昨日12日は箕面文化交流センターで、箕面市青少年弁論大会が行われました。

箕面市内の中学校に通学する16名の生徒が、約4分程度で、自分の主張を言葉にして、スピーチしました。

三中からは、3年生の荒巻さんが出場しました。弁論の題は、「チーム 役割は違っても、喜びは同じ」でした。

三中演劇部での活動をふりかえり、チームの大切さを、自らの経験を通して伝えました。

演劇は、キャスト・裏方・観客が一体となってつくり上げるもの。どれか一つでも欠ければうまくいきません。

そして、演劇を上演し終えたときには、三者の役割は違っても、感じる喜びは等しい。

したがって、チームとは、いっしょに言葉を交わし活動し、喜びを共有する仲間である。

みなさんも、チームで活動しましょうという提案を会場の聴衆に訴えました。

大きく明瞭な声、明確な論旨、真摯で堂々とした態度でした。

圧倒的なスピーチで、みごとに最優秀賞を受賞しました。おめでとうございます。自分の内なる力を、自分で引き出した結果です。

特別審査員の関西TVの関純子アナウンサーからは、「自分の体験してきた苦労や喜びがあなたの中に根づいているので、説得力のあるスピーチになっていたのだと感じました」というコメントをいただきました。



さらに、本日13日には同じ会場で、箕面市の中学生ENGLISH EXPRESSION CONTESTが開かれました。

一中から六中、とどろみの森学園、彩都の丘学園の8校から28名の中学生が、英語でスピーチ・プレゼンテーションを行いました。

三中からは、1年生の部に貴志さん、2年生の部に中野さん、3年生の部に岡本さん、海外経験の部に田中さんが出場しました。

1年生は箕面市を紹介する同一の英文を暗唱しました。

2年生は、私の思い出か学校行事についてのオリジナル原稿を暗唱して、発表しました。

3年生は、私の夢か私の宝物についてのオリジナル原稿を同じく、暗唱して発表しましました。

貴志さんと田中さんが、それぞれの部で優秀賞(Excellent)を受賞しました。おめでとうございます。

英語力、態度、内容の3つの観点で8人のジャッジが評価しました。

英語力と態度は学校での練習で磨き上げることができますが、内容については、その生徒がどんな体験をして、周りを説得させ自分の思いや考えを広げていけるかが問われます。

そして、それら3つを合わせたものが表現力です。

今日までに、三中の英語コミュニケーション科では、全員がスピーチの発表をクラスでしました。

今日、出場した生徒のほかにも、一生懸命にスピーチづくりと発表に取り組んだ生徒は、たくさんいます。

三中の生徒には、英語が得意であろうと、不得意であろと、豊かな表現力を身につけてほしいと願っています。






社会で許されないことは、学校でも許されない

2016年11月13日 10時36分35秒 | 教育・子育てあれこれ

今でこそ、減りましたが、私が学級担任をしていた頃、20年ほど前には、中学生が男女を問わずバイクに乗る問題行動はよくありました。

無免許運転は、道路交通法の違反です。このときには、本人自身がやってしまったことの責任をどう感じているかを、ちゃんと整理させなければなりません。

このとき大切なのは、社会のルールに違反したのは、他のどの子でもないわが子であるという事実です。

親が「いっしょにいた誰かにそそのかれたから」とか「うちの子にかぎって」という釈明をしてはなりません。

無免許運転、窃盗、暴力等犯罪行為にあたる社会のルール違反を子どもがした場合には、親が叱ったり謝ったりすればすむ問題ではありません。

社会のルールを破れば、人は社会的制裁を受けなければならないのです。どういった罰を受けなければならないのかを、きっちりと教えておかなければなりません

社会のルール違反をした子に対して、社会的制裁から子どもを守ろうとすること。つまり「やったことは悪いが、やるにはやるだけの理由があり、うちの子だけを悪者扱いするのは納得できない」などと言って、子どもをかばうことは、子どものためになりません。

学校でも同様です。学校は社会に出るための準備段階です。むろん、学校は、生徒がまちがえた行為をしたときには、教育的な観点から子どもの成長を促すように、生徒を指導します。

しかし、それは、「こういう事情だったから、あなたがやった違反も仕方ないね」と生徒を甘やかすことではありません。(もちろん行為にいたった背景は理解しようとします。)

社会で許されないことは、学校でも許されないのです。