いまの社会・世の中では、成果を出したか、出さなかったかが、すべてになり、困難ことに向き合い、それを乗り越える力では人を評価しない傾向が色濃く出ています。
新自由主義といわれる規制緩和の時代が拍車をかけます。うまくいかないのは、その人が努力しなかったからという考え方で、その人のがんばりの過程に目を向けない風潮が見聞きできます。
どれほどがんばっても、結果がすべてで、結果を出せなければ努力しても意味がないと考える人もいます。
しかし、学習について、もしその子にまだ十分な学力がついていないのであれば、成績を上げるために努力しなければなりません。
しかしながら、子どもの中には、努力しないで安易なやり方で、他者よりも抜きんでようとする場合があります。
学習や受験は他者との競争である側面は、たしかにあります。しかし、それらは自分の問題であるという本質があるのです。
基本的には、学習や受験は自分の問題です。
学力が上がれば結果としてテストでいい点が取れるということであって、他者に勝つことだけを学習や受験の目的にしていると、努力を怠り、安易な方法で点数をとろうとするまちがいをおかしてしまうことになります。
そのような人は、競争に勝っている間は問題にはなりませんが、思い通りの結果が出ない場合には、落胆して落ち込むか、不正行為をしてでも結果を残そうとします。
つまり、勉強ができるように「みえる」ことではなく、勉強が「できる」ことこそが大事なのです。
私は、以前にも書いていますが、学習は、優秀であると思われるためにやるものではありません。他者の役に立つ人間になるためにやるものです。
ですから、大人は、結果ではなく、結果を出すために子どもが努力したみちすじに注目した言葉かけをしていくことこそが必要です。
逆に結果が出せなかった場合には、その結果に対して叱りつけない方がいいのです。結果に至るまでのみちすじに注目した言葉かけは、失敗をおそれず、次もまた挑戦する子を育てます。