最近、「恩返し」という言葉をよく聞くようになりました。
アイドルが言います。
「選抜に入って、応援してくれる親やファンのみなさんに恩返しがしたいです」
リオオリンピックでメダルをとった選手が、パレードで言います。
「私を支えてくれた人たちに恩返しができて、うれしいです」
でも、ちょっと考えてみると、この人たちは選抜チームに入るとか、メダルをとってパレードに出るために、練習に励み、かんばっていたのでしょうか?
もちろん自分の力だけで、成果を出せたり、オリンピックに出場できたのではありません。ずっと自分を支えてくれた人に感謝するのは、はじめの言葉としては自然な感情だし、言葉で表したらいいでしょう。
しかし、本来は、支えてくれた人たちのために、受賞したり、メダルをとったのではないでしょう。
結果として、選抜入りする実績とかメダルという成績を残したわけですが、応援してくれた人たちのために実績・成績を残したわけではありません。
一方、不本意な結果に終わり、メダルをとれなかった選手は謝らないといけないのでしょうか。実際、メダルをとれずに、応援してくれた人たちに謝っている人がTVに映し出されていました。
選手たちは、誰かのためにがんばったのではなく、根本は自分のためのはずです。
同じことが、中学生にもいえます。
子どもが勉強するのも、親の期待に応えるためではありません。第一義では、自分のために勉強するのです。
いい結果が出なかったら、スポーツ選手も中学生も、自分に跳ね返ってきます。
だから、少しでもできるようになりたいと思い、次に向けた練習に励めばいいのであり、自分は期待を裏切ったと考えて、落胆している余裕はないのです。
私は、中学の頃から英語が好きで、この英語を教えて英語が好きな子を増やしたいと思い、英語の教師になりました。
勉強するのは、自分のためといいましたが、それには次の段階があります。人の役に立つためです。
将来、社会に出て他者に貢献するため、中学生は勉強するのです。そして、その貢献感は、最終的には、自分の生き方への満足感となります。
勉強は、他の人の期待に応えるためにやるものではないのです。