わたしは、大学生で教育実習を体験し、以来、教師になりたいと熱望して、教職に就きました。
そして、教職を天職だと若い頃、思っていました。
しかし、いま思うに、若い頃に自分に適した天職を選ぶということは不可能だと思います。
きっと、若くしては自分の天職を知ることなどできないと考えます。
しかし、自分が従事してきた仕事が天職であったかどうかは、この年齢とこの段階になって、はっきりと自覚できます。
つまり、天職かどうかは、もう後戻りややり直しがきかない時期になって、はっきりとわかるものでしょう。
もちろん、そのときには、幾多の困難を乗り越え、いや、幾多の困難に耐え、風に揺れる吊り橋をなんとか終わりまでたどり着き、多くの人に迷惑をかけてきた後であるのですが。
では、今、あなたは教職を天職だと思うかですって?
はい、やはり天職です。
中学生が自分にあった仕事に就きたいと思うのはもっともなことだとは思いますが、その仕事が天職であるかは、若いころにはわからないのです。
天職かどうかは、後になって気づくのです。
まずは、就いた仕事に一生けんめいに取り組むこと。
同僚や上司は、迷惑をかけられても、その一生けんめいな人を応援して、サポートすること。
自分も若いころ、先輩教員に助けてもらいました。あまたの迷惑をかけてきました。
それにより、いま、教職が天職だと思えるのです。
わたしは三中の教員が、のちになって教職を天職だと思えるように支えていきたいし、同僚によって支えられる職場にしたいと思います。