箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「ありがとう」は、子どもの協力をねぎらうこと

2017年02月01日 20時55分43秒 | 教育・子育てあれこれ


ある日、私は石橋から梅田までの阪急電車急行に乗っていました。

男の子二人の兄弟が、両親に連れられ乗っていました。年齢は、二人とも小学校に上がるまでと見えました。

車内はけっこう混んでおり、立っている人が、ドアとドアの間に30人程度。小さい子どもが静かにしているには難しい状況でした。

でも、その子たちは静かに行儀よく座席に座っていました。

よくあるように、じっとせず、大きな声を出してもおかしくないのに、どうしてだろうと思い、私はその親子のようすをみていました。

お母さんはお父さんと話すときも、子どもたちと話すときも、大きな声を出していません。

いわゆるウィスパー[ささやき]の状態でした。つまり、ささやくように子どもたちに話しかけていました。

それに応じるように、子どもたちも同じように話していました。

私が思うには、そのお母さんは電車を降りてから、きっと「静かにしてくれていてありがとう」と子どもたちに言ったことでしょう。

このことばは、子どもたちの協力に対して、かけることばです。

こんなとき、子どもをほめる親もいます。「えらかったね。静かにしてくれて」と。

しかし、これはほめる問題でしょうか。電車の中で静かにしているのは当たり前。当たり前のことをしたことに対してほめる必要はありません。

子どもたちが静かにするという行為に協力してくれたから、「ありがとう」でいいのです。

ほめることは、教育上大切ですが、ほめる必要のないのにほめるのは、逆効果です。

三中の廊下をていねいに掃除している生徒に、「えらいね」と声かけするのではなく、「(きれいにしてくれて)ありがとう」です。

小さい子どもの場合は、「ありがとう」はとくに大切です。

対して、ほめられ続けて大きくなった子は、ほめられないと、適切な行動をしなくなることもあるからです。

廊下にゴミが落ちていても、拾おうかどうか、まわりに人がいるかどうか確かめてから拾う子になるかもしれません。

静かにしていることが、周りの人への協力になると、経験を積んで大きくなった子は、大人を困らせるようなことはしなくなります。