現代日本を代表する詩人、谷川俊太郎さんが11月13にお亡くなりになりました。
谷川俊太郎さんの詩は、わたしもよく中学生に紹介しました。
谷川さんの詩は抽象的な表現を避け、誰が読んでもわかる言葉しか使いません。
しかもセンテンスのシンタックス(統語規則)を壊さないのです。
シンタックスとは、文によってある考えを伝えるとき、一定の規則にしたがって語をつなぐことです。
たとえば、「母はきのう実家を出発し、わが家に帰ってきた。」は統語規則をまもっているので意味がわかります。
でも、「わが家は出発し帰ってきたきのう母は実家を」は意味が伝わりません。
また谷川さんの詩の最大の特徴は、書き手と詩の一体性です。
谷川さんは、自分は依頼を受けた時に詩を書く、仕事として詩を書いてきたと明言していた通り、いくつもの「私」が作品のなかで生きていました。
生きる
谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ (以下略)
ご本人は亡くなっても、彼の詩は残り、深く味わうことができます。