幼い子どもは、よく親に「見てて、見てて」と言います。
見守ることは、子育ての基本中の基本です。
「稲を早く育てようと、田んぼの稲を引っ張ったので、稲が伸びなくなり、枯れてしまった」というエピソード(杞憂)があります。
相手が植物でも、動物でも、人間であっても、生き物を育てるときには、その成長を見守りながら、待たなければなりません。
待つことができない人は、子どもを育てるのが難しくなります。
ただし、待つといっても、漠然と時の流れを送るのではありません。
見守って待つのです。
「見守る」というのは、相手が「助けて」と言ったときに、応じることができるように見ていることであり、このことは思春期の子どもの子育てでは、とくに重要です。
また、植物の話に戻りますが、植物の世話をしていて失敗する原因は、おおまかに二つあります。
①水とか肥料をやりすぎるからです。
やりすぎると、根腐れを起こして枯れます。
②放ったらかしにしすぎるからです。
長い間、水をやらずにいると、水切れでこれも枯れてしまいます。
このことを子育てにあてはめると、①は過保護であり、②は放任です。
①も②も植物の世話をする人が、様子を見守っていないのです。
たしかに、子育てで子どもを保護するのは必要です。
しかし、過保護や放任は子どもをスポイルします。
保護とは子どもが必要とするものを的確に与えることでしょう。
大人から見て、これは子どもには必要ないと思うことでも、子どもにとって必要なものなら、ちゃんと与えます。
そうすると、子どもは情緒精神面で安定します。
放任とは、子どもが必要とするものを与えないことです。
ご飯が与えられないとか、学習に最低限必要な学用品が与えられない。
こうなると、子どもはいま生きている世界を諦めることにもなります。
家を出るか、自分の世界にとじこもるという影響を受けます。
ここまで読まれて、私は過保護なのか、いや子どものために愛情をかけているのが過保護だなんて・・・。
子育てにお悩みで、過保護という言葉に抵抗感を感じられる場合には、自分の行為と子どもの受け止めにズレがないかを考えてみます。
もしズレが見つかれば、子どもの受け止めに合わせてみます。
そうすると、不思議にも、子どもの表情に明るさが出てきます。
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