箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

法令がもつ意味を学習すること

2021年09月03日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


東京では、ここ2年ほどで駅のエレベーターの数が急増しました。

東京パラリンピックの開催がきまり、障害のある人がたくさん街に来るため、バリアフリー施設の整備を進めたからです。

エレベーターがないため、車いすでは利用できなかった駅や電車の乗り換え駅にエレベーターが整備されました。

さて、「障害者差別解消法」は2013年に制定されました。

その法の中で、社会が「合理的配慮」を実施することが求められています。

社会の中にあるバリアをなくすため、事業者は「負担過重にならない範囲で」合理的配慮の対応に努めることが規定されています。

では、こんな例はどう考えるべきでしょうか。

よく流行るラーメン屋さんがあり、お昼時にはお客さんの行列ができます。

ある日、店主が「お昼時には車いすの人の入店をお断りします」という張り紙を店頭に掲げました。

これを見たお客さんの反応はいろいろでした。
「車いすの人を差別している」

「お昼時はお店も忙しいんだから、しかたないよ。車いすの人はがまんしなくっちゃ」

「車いすの人もラーメンを食べられるのが当然よ」

「車いすは場所をとるから、混雑時には遠慮してもいいんじゃない」

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法が定める合理的配慮の解釈としては、店主は努力義務を怠っていることになります。

法の解釈では、車いすの人が利用するには(店にとって)「負担が重すぎない範囲」で、合理的配慮に努めなければなりません。

これは、負担が重すぎるときには、「従業員が少ない店であり、昼間は混雑しているので・・・」という事情を当事者と話し合い、理解を求め、別の方法を考えるなどが考えられます。

ところが、話し合うことなく、「車いすの人は、昼間お断り」という張り紙は、一方的に伝えているだけであり、合理的配慮を実施する努力義務を怠っていると、私は考えます。

このケースから、「店主からの思いやりがたりないな」という心の動きになる人がいるかも知れません。

小中学校の道徳の授業なら「思いやり、公共の精神をもとう」という展開になるでしょう。

「思いやり」という言葉は、世間ではたくさんの人が使います。

「思いは見えないが、思いやりは見える」という広告もメディアを通じて流れた時期も10年ほど前にありました。

人権は思いやりの心で守ることができると考え、学校で思いやりを教えることは大切です。

人権侵害の芽は、個人の心に生まれるのだから、学校で思いやりを教えることは必要です。

しかし、思いやりがたりないから、エレベーターが少なかったのでしょうか。

そうではなく、エレベーターが少なく、車いすユーザーが駅を利用できないのは、社会のしくみの問題です。

人権侵害の問題の根底に社会のしくみが存在するからこそ、それを変えるには法の制定が必要なのであり、個人のおもいやりや心のありようだけで、問題は解決しないのです。

そして、法の制定・実施により、人びとの行動は変化します。これが法が制定される意義なのです。

法により、人びとの行動が定式化されるのです。人権教育はそのことを、児童生徒が学習することでもあります。

学校教育の中では、道徳教育の充実と人権教育の推進の両方が大切です。


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