今の学校では、教師は忙しく、児童生徒とゆっくりと時間をとって話す余裕がありません。
わたしが教師になってしばらくは、土曜日にも授業が午前中だけありました。
それは、完全学校週5日制が導入された1992年より以前のことです。
土曜日の午後からの時間は、ほんとうにゆったりと時間が流れていました。
中学の場合なら、ゆっくりと昼食をとって午後からは部活にいそしむ。
そのような教員生活を送っていたのを思い出します。
しかし、その後は、学校に求められる教育のとりくみ課題は肥大化し、社会からの要請もあり、「これはしなければならない、あれもしなければならない」となり、業務量が増えてきています。
授業の準備も、学校行事の準備もあり、本来の仕事の一つである生徒との対話もままならないのです。
そのようにして小学校6年間を終え、思春期を迎えた生徒(中学生)は、心が揺れ動く、変化の大きい年齢になっったときに、教師に自分の悩みや困りごとを相談することを知りません。
つまり、「先生は相談できる相手である」という認識をもっていないのです。
それにくわえ、いまは教師自身も「話ができる人間関係」を求めていないかも知れません。
そこで、生徒にすれば「先生に相談してどうなるの?」となります。
生徒にとって、それだけの存在にもなっていないのかもしれません。
でも、わたしが知っている限り、「先生に助けられた」とか「先生に救われた」という実感をおとなになってももっている人は、じっさいにいます。
どんなに忙しくても、生徒の話を聴き、生徒の相談相手になることは、教師である以上は必ず求められる業務だと思います。
教師の存在意義は、ここにあります。
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