東京オリンピックは、多様性の尊重や共生社会への志向をスローガンにしています。
しかし、今回のオリンピック大会組織委員会では、ジェンダーの問題や障害者への人権侵害での辞任が続き、多様性尊重や共生社会の実現の理念は、足もとからのほころびが目立ちました。
スローガンを実現するには、無関心層の人が多いほど難しくなると、わたしは考えます。
賛成派の人と反対派の人がいる中で、無関心層はどちらにもなびくのです。
「愛の反対は憎しみでなく、無関心である」とマザー・テレサは言いました。
学校でのいじめも同じです。
いじめる子といじめられる子という関係がクラスの中にあるとき、無関心な子の存在はいじめを黙認することになります。
また、自分への利害関係がありそうなときには、往々にしていじめる側にまわります。
自分に利害関係がからんでも、差別する側にまわらないクラスづくり、自分に利害関係がからんでも、差別しないことがメリットになるしくみをクラスのなかにつくること。
これが学級担任がいじめ防止に取り組む今日的課題であると、わたしは考えます。
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