わが子に障害があることがわかった親御さんは、その障害があることを受け入れるのは容易なことではないことが多いものです。
障害を受容したり、できなかったり、保護者のが気持ちは揺れるのです。
それが一定程度の期間が過ぎて、「この子とともに生きていく」という決意につながっていきます。
そして、障害があっても「この子を伸ばしていきたい」という思いや願いになるのです。
この思いや願いに学校園所の教育関係者は応えていくのです。
そのとき、「障害があるから(できなくても)しかたがない」ではありません。
最初はできなくても、「やってみたらできた」という小さな達成感の積み重ねが成長につながります。
障害のある子によっては、教室での授業中にじっとしていられない場合があります。
そのとき、教師はその子の気持ちに思いを馳せます。
やることがこの子にあってないので、退屈なのでないか。
ならば、ちょっとがんばればできそうな課題にかえてみよう。
重度障害のある子には、すぐに声をかけるのではなく、見守る時間を多くとり、少しでもできたらほめるようにしていこう。
このように対応する教師とそうでない教師では、子どもの成長具合に大きな開きが生まれます。
たとえば、最初はなかなか食事のときうまく食べられない子でも、おとなの補助を少しずつ減らしていきます。
自分でスプーンを使い、口に運ぶことができるようになった。
つぎは補助器具のついたおはしを使い食べられることができた。
そして、おはしを使い自分で食べるようになった。
その都度、その都度、ほめるのです。ほめるというか、少しずつできるたびに、かかわっているおとなは自然とうれしくなります。
うれしいという感情をそのまま言葉にして伝えるのです。
「わー、できたね。うれしいよ」
その言葉は、当事者の子どもの喜びやうれしさになります。
小さな達成感の積み重ねが、その子を成長させ、伸ばしていきます。
その成長が親御さんを喜ばせます。
その成長が感じられ、わが子がうれしそうにしている様子を見て。わが子の障害受容に近づくのでないかと思います。
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