廊下を歩いていて、突然かがみこみ、落ちているゴミを拾う。
私がふつうのようにしていたら、見ていた生徒がいいました。
「校長先生、ゴミを拾うのですか?」
「うん、そうやで」
・・・・・・・・・・・・
私にしてみれば、ごくふつうの行動なのです。
いまでこそ、ほとんどありませんが、今から20年以上前、中学校が荒れていたころには、生徒はよくゴミを投げていました。
ちなみに私が教師になった頃は、中学校で全国的に吹き荒れた校内暴力が、少し落ち着き始めたころでした。
それでも、授業をエスケープして、廊下に寝転んでいる生徒がいました。
昼休みには、三角形のテトラパックの牛乳が5個ぐらいまとまって飛んできて、ガラスに当たる。
すると、パックははじけ、ガラスの表面は真っ白になり、ミルクの「滝」が流れました。
生徒指導に注力して、そんな状況はおさまりましたが、次はゴミの問題でした。
中庭はゴミだらけということもありました。
なかには、わざと紙吹雪を作ってベランダから撒いている生徒もいました。
配付したプリントは紙飛行機になって、ユーラユラと校舎と校舎の間を飛んでいたこともあります。
そんな状況だったので、教師は校内に落ちているゴミをゴミぶくろとハサミをもって歩き、ゴミをよく拾いました。
私にとっては、それが習慣というか、教師としての性(さが)のようになっていました。
ただ、どんなゴミが落ちているかで、生徒の様子がわかるということもありました。
行事が近づくと、プリントよりも、学校行事に関係したゴミが多く落ちていました。
定期考査が近づくと、学習プリントのゴミが増えました。
それにより、行事前の浮ついた気持ち、テストが近づくイライラ感を生徒が感じているのかと考えました。
その当時と比較すると、今はわざとゴミを投げる中学生はほとんどいなくなりました。
まあ、それでも、大勢の生徒が生活する学校では、廊下や階段にときどきゴミが落ちています。
さまざまな体験をしてきて、いま生徒に思うのは「足元のゴミにそっと手を伸ばせる人になってほしい」ということです。、
それは、環境教育というようなおおげさなものではなく、ゴミが落ちていたら、自然に拾うという人間的な行為です。
だから、私は黙々と掃除の時間、一人ででも、ホーキをもってゴミを集めている生徒には、惹かれるのです。
「ご苦労さま」と、ねぎらいの言葉をかけたくなります。
そんな子は、大人になっても、身の回りを整理する人になるのでないかと思います。
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