箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

聞くことに徹する

2017年02月05日 11時11分19秒 | 教育・子育てあれこれ


聞き上手の人には、人が集まってくるのでないか。

私は、そう思います。


ある営業マンが言うには、

「お客様にどれだけ話してもらえるかで、セールスがうまくいくか、いかないかが決まってくる。

どれだけ営業側が熱心に、巧みに話したとしても、お客様はお金を払ってくれるのではない。

お客様側が本当に関心があるのなら、みずから質問してきます。

質問してこないお客様は、その営業マンを望んでいない。

セールスで大切なのは、お客さんに質問してもらうようにすることである」


そのためには、おそらく相手の話を聞くことに徹するのが秘訣のようです。

聞き上手の人に対しては、相手は自由にものが言えるので話しやすい雰囲気ができるのかもしれません。

だから、人が集まってくる。


これは、生徒と先生のコミュニケーションにもあてはまるのでないかと、私は考えます。

一方的に、教師が自分の言い分を言い、生徒は聞かされるだけなら、生徒はもう二度と話をしたくない感じます。


でも、先生が私の話を聞いてくれた。自分の思いや考えを言うことができた。

そのような教師にはたくさんの生徒が集まってきます。


私は、大阪大学のもと総長であった鷲尾清一先生の講演を聞いたことがあります。

「聴くことは受動的な行為のように思えるが、決してそうではない。

聴くことは能動的な行為で、これにより人は支えられるのです」

このことばが印象に残っています。


ただし、聞くのは相手の言いなりになることではないと私は思います。

聞く人が主体性をもち、耳を傾けるという態度がいります。

聞いたうえで、自分でよく考え、自分の責任で行動する。「聞く」のはそのためです。

聞いてもらえるだけで十分、聞いてくれただけで気持ちが楽になった。

このように、教育相談や生活相談などでよく人は言いますが、行動が伴わないただの「聞く人」では、相談者は、真剣に話そうとは思わないのではないかと、私は思います。



基礎基本を大切にして、一歩ずつ

2017年02月03日 17時17分43秒 | 教育・子育てあれこれ




立春の頃となり、寒いなかにも陽射しはどことなく春の近づきを感じます。

今日は、1・2年生の実力テストでした。
体調のすぐれない生徒もいますが、一生懸命に取り組んでいました。

さて、「実力」とはどのように身についていくものでしょうか。

国民栄誉賞を受けた、もと広島東洋カープの衣笠祥雄選手は、野球でよくいわれる「2年目のジンクス」について、その原因を次のように述べています。

段階をふまずに高度なレベルを求め、自分がついていけず苦しむからであると。

1年目に活躍した選手には、当然「今年はもっと・・・」という期待が寄せられます。その期待に応えようと、二年目には過酷なトレーニングをして、自分を見失ってしまいます。

技術面でも、段階を踏まずに高いレベルに挑戦しようとして、現実とのギャップに苦しむことになります。

このようにして、「2年目のジンクス」に直面するというのです。

衣笠選手も、2年目は気持ちが空回りして、打率が三分ほど、ホームランも前年より6本減りました。

プロの世界で1年目にいい成績を残したのは、やはり実力があるからです。

それだけ実力があっても、基礎基本をおろそかにして、一足飛びをねらうとつまづくのです。

おそらく、上達というものにジャンプアップはないのかもしれません。一歩ずつ地道に階段を上がっていくべきなのでしょう。

子どもの学習も同じだと思います。地道に一歩ずつ努力を重ねる生徒は、基礎基本を大切にして、学習習慣をしっかりともち、実力をあげてきて、応用力や活用力を問う問題にも答えることができます。

基本をおろそかにして成功はない。このことを、生徒たちはもちろん、私たちも心がけて実行していきたいと思います。

「ありがとう」は、子どもの協力をねぎらうこと

2017年02月01日 20時55分43秒 | 教育・子育てあれこれ


ある日、私は石橋から梅田までの阪急電車急行に乗っていました。

男の子二人の兄弟が、両親に連れられ乗っていました。年齢は、二人とも小学校に上がるまでと見えました。

車内はけっこう混んでおり、立っている人が、ドアとドアの間に30人程度。小さい子どもが静かにしているには難しい状況でした。

でも、その子たちは静かに行儀よく座席に座っていました。

よくあるように、じっとせず、大きな声を出してもおかしくないのに、どうしてだろうと思い、私はその親子のようすをみていました。

お母さんはお父さんと話すときも、子どもたちと話すときも、大きな声を出していません。

いわゆるウィスパー[ささやき]の状態でした。つまり、ささやくように子どもたちに話しかけていました。

それに応じるように、子どもたちも同じように話していました。

私が思うには、そのお母さんは電車を降りてから、きっと「静かにしてくれていてありがとう」と子どもたちに言ったことでしょう。

このことばは、子どもたちの協力に対して、かけることばです。

こんなとき、子どもをほめる親もいます。「えらかったね。静かにしてくれて」と。

しかし、これはほめる問題でしょうか。電車の中で静かにしているのは当たり前。当たり前のことをしたことに対してほめる必要はありません。

子どもたちが静かにするという行為に協力してくれたから、「ありがとう」でいいのです。

ほめることは、教育上大切ですが、ほめる必要のないのにほめるのは、逆効果です。

三中の廊下をていねいに掃除している生徒に、「えらいね」と声かけするのではなく、「(きれいにしてくれて)ありがとう」です。

小さい子どもの場合は、「ありがとう」はとくに大切です。

対して、ほめられ続けて大きくなった子は、ほめられないと、適切な行動をしなくなることもあるからです。

廊下にゴミが落ちていても、拾おうかどうか、まわりに人がいるかどうか確かめてから拾う子になるかもしれません。

静かにしていることが、周りの人への協力になると、経験を積んで大きくなった子は、大人を困らせるようなことはしなくなります。