箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

I Have A Dream. がもつ意味

2021年06月16日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ


マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカ合衆国の公民権運動の指導者でした。

アメリカの各地で公民権運動が盛り上がるなか、1963年、ワシントン大行進の途中、リンカーン記念堂の前で、「I Have A Dream.」のスピーチを行いました。

彼は、肌の色で差別されることのない社会の実現をめざしました。

このI Have A Dream. は、「私には夢がある」と直訳されます。

夢と言えば、日本人の感覚では、「こうなったらいいのにな」と「夢」を捉えがちです。

しかし、キング牧師のいうdreamとは、日本人がイメージしがちな「実現はしないかもしれないけど願っている」という弱い意味ではありません。

「今は難しくても、かならず現実のものにする。そのため、みんなで取り組んでいこう」。

強い意志と願いをもったものがdreamなのです。

実現するには多くの困難と課題に直面することになるが、あきらめることなく、立ち止まらず、前向きに一歩一歩進んでいきましょうという、連帯を呼びかけたのです。

「I Have A Dream.」は三省堂の「NEW CROWN」の中学校教科書には、何度改訂されても定番として載っています。

この教材を授業で取り扱う英語科の教員は、「夢」と「dream」のちがいをはっきりと生徒が理解できるようにしなければなりません。

第一印象の大切さ

2021年06月15日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
箕面市では、例年11月に青少年弁論大会を行なっていました。(今年から、英語のスピーチコンテストに一本化になります。)

わたしは、出場する自校生徒を指導していました。

そのとき、しばしば言っていたことは、

第一印象を与えるチャンスは、一度しかない。

ということです。

日本語で、4分の制限時間内で、思い思いのテーマで弁論をするのですが、審査員は初対面の人ばかりです。

第一印象は非常に大切です。

弁論の切り出しで、相手の心をつかむ工夫を入れるようにアドバイスしました。

たとえば、演劇部の生徒がその活動の意義をスピーチするときには、実際の劇の中での自分のセリフを開口一番に語る。

外国生活を経験して、日本の学校の文化とのちがいについて話す生徒には、最初に歯切れのいい英語を話すなどです。

これらは、第一印象をインパクトのあるものにする技術です。

さらに、服装にも気をつかうように指導しました。

何も着飾る必要はありません。

制服をきちんと着こなすように言いました。

実は、メーラビアンの法則というものがあって、人の第一印象は7割程度までは、視覚情報が影響するということがあります。

良くも悪くも、「見た目」で他者は、どんな生徒かを判断するというものです。

もちろん、その生徒とずっとつきあっていくと、第一印象が変わり、その子の人がらや長所がわかってきます。

しかし、弁論大会はわずか4分しか、自分を知ってもらう時間がないのです。

だから、「見た目」でも好印象を与えるように、服装にも気をつかうように言いました。

出場した生徒たちは、いい経験を積んだと思います。

新型コロナウイルス 進路選択に影を落とす

2021年06月14日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

高校生が進路を選ぶときにコロナがどんな影響を与えたか

2021年3月に高卒を卒業後、大学とか専門学校へ進学を希望した人の約3分の2が、大なり小なりの影響があったと答えています。(民間の調査結果)

*高校の休校によって授業が遅れ、受験の勉強が遅れた。

*受験対策の授業が受けられなかった。

*オープンキャンパスや体験入学会に参加できなかった。

*オンライン授業が多くの大学で続いていたので、わざわざ遠い都市の大学、専門学校よりも地元の学校を志望する気持ちに変わった。

*また、緊急事態宣言で学生が帰省できないという報道を聞いて、地元の学校に進もうと考えた。
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昨今の進路選択の条件として、実際に学校や大学を見て、授業を体験する、全体の雰囲気を感じるなどして決めていくのは当然の流れになっています。

しかし、今回はコロナ渦により、それがままならなかったので、進学先を決めるのに苦労することが多かったようです。

また、学費を捻出するためアルバイトを考えていたが、見つかるか不安だったし、実際になかなか見つからない。

新型コロナウイルスの学業への影響は、今も続いているのです。

音楽で希望を届ける

2021年06月13日 07時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ


1991年、大地震が東北の街を襲いました。

その後、まもなくして津波が海辺の街を襲いました。津波が街をのみ込み、多くの人の命を奪いました。

先が見えない不安にさいなまれている被災者に、仙台市立の中学校合唱部の歌声が届きました。

震災により全国大会が中止になりました。この中学校の合唱部は、歌う予定になっていた「あすという日が」の曲を避難所となった自校の被災者に向けて歌いました。

その歌声が、傷ついた被災者の心をやさしく、あたたかく包み込みました。

この20年間に、震災で被災した人に、多くの歌がつくられ歌われ、また歌い手が被災地を訪れています。

音楽は、人の固まった心をときほぐし、元気にしたり、勇気づける力があります。

なかでも、私がいい曲だと思っている歌は『いつかこの海をこえて』です。

大阪から、この震災復興曲を歌いました。

視聴できます。


視聴やコーラスは、震災直後は、歌声を届けてくれてありがとう。いっしょに頑張ろうという気持ちにさせてくれます。

いまは、子どもたちが震災を知らないので、歌が震災を知るきっかけになることが多いようです。

これからも、合唱曲と震災が歌い継がれ、語り継がれていくことでしょう。

ささやかな日常の中に喜びを見つける

2021年06月12日 06時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

3年前の6月、大阪では大阪北部地震が起こりました。2018年6月18日のことでした。

大きな揺れがあったとき、私はまだ通勤途上の車の中でした。

信号で停車していると、大きな揺れが来て、信号の灯りが消えました。

急いで、学校に着くと、まだほとんどの生徒は登校しておらず、朝練をしていた女子テニス部の部員たちがコートの真ん中に集まり、不安そうな表情でしゃがんでいました。

その日は、臨時休業となり、登校してきた全校生徒たち、家にいる生徒たちを含め、安否を確認し、教職員が地区別に付き添い下校させました。

災害は突然やってきます。そのとき、あたりまえだと思っていた日常はじつはあたりまえでなかったことに気がつきます。

竹内まりやさんの『いのちの歌」(作詞:miyabi 作曲:村松崇継 2014年)に、こんなフレーズがあります。

本当にだいじなものは 隠れて見えない ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

私たちは、日常というささやかな日々に喜びを感じながら生きていくことが必要なのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで、制限された生活を送る私たちですが、そのなかでもできることを一生懸命にやることが大切なのだと思います。。

じっさい、児童生徒たちは、制限による不自由さやストレスを感じながらも、学校生活によく対応し、できることを一生懸命にやっています。

安心・安全は、多くの人たちの努力により保たれていることにあらためて感謝し、できることはしっかりとやっていきたいという思いを強くするのです。


初任者を指導して

2021年06月11日 06時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしは、各中学校を回り、初任の教諭の授業を見て、そのあとにはかならず協議をもち、助言やアドバイスをしたりします。

初任者の授業を見て思うのは、自分が「教えなければ」という意識が強く、授業を授業者としてリードしすぎであるということです。

わたしは、今の時代の授業のキーワードは「つなぐ」だと考えています。


教師(授業者)が発問や問いを生徒に投げかけます。手をあげて生徒が答えます。

「○○さんどうぞ」で、○○(生徒)は発表します。

このとき、習慣づいていないと、○○は教師(授業者)に対して答えます。そうなると、教室での人間関係は教師(授業者)と発表生徒○○の1対1の関係となるのです。

経験を積んだ授業者なら、それをクラス全体に広げ、○○を他の生徒とつなぎます。

「今の考えに関連した考えをしている人はいますか?」

または、「今のとは、ちがう考えをした人は?」

このように、◯◯と他の生徒をつなぐのです。

これを繰り返していくと、発表する○○は誰に対して話すのか。それは授業者ではなく、クラスのみんなに対して話すようになります。


1時間が終わって、授業者が話している時間の長さと生徒が発表したり活動したりする時間の長さを比較して、客観的にふりかえると、初任者の場合、ほとんど授業者が話しているのが多いものです。

授業は「講義」ではありません。生徒が話す時間や活動する時間が多いのがいいのであり、
教師はコーディネート役になることが大切です。

生徒の声と声をつなぎ、生徒の学びを深めるコーディネーター役として、授業をできるようになることが、初任者の当面の目標にすべきです。

授業技術を上げるのは、教員の「専門職性」にもとづく必要からです。

ほかの職種の人に授業ができるものではない。学校の先生だからできることです。

そもそも、「専門性」と「専門職性」はちがいます。

お寿司屋のおじさんは、飲酒運転をしても新聞には載りません。

お寿司屋さんは、おいしい寿司を握るという専門性をもっています。

でも、学校の先生が、飲酒運転をしたら新聞に載ります。

また、医師会や弁護士会の見解は、一般の人びとの中で認知されています。

だから、新型コロナウイルス感染症対策でも、医師会の意見・見解は尊重されるのです。

しかし、学校の教師の専門職性は、いまだ社会の中で確立されているとは言えません。

学校の先生の仕事は専門職性をもつべきです。それだけ社会的責任が大きくて、重いということです。

教育のプロとしていい授業ができるのは、専門性ではなく、専門職性にもとづき要求されているのです。
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6月と言えば・・・

2021年06月10日 06時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ

関西では、梅雨入りの頃にはかなりまとまった雨が降りましたが、それ以降いい天気が続いています。

6月と言えばやはり雨。あじさいの花がきれいに咲く頃です。

箕面市の中学生が、6月をテーマに作品をつくりました。あじさいの花びらを1枚1枚ていねいに作り貼り付けました。また、雨に似つかわしい傘と長ぐつを添えています。





さらにこの作品は美術科と国語科のコラボですので、作品に自作の短歌を添えています。

雨粒があじさいの葉の上にのり、キラキラと輝くさまを、この生徒は宝石にたとえています。

わたしは、この雨粒を宝石にたとえる中学2年生のみずみずしい感性を大切にしたいと思います。


また、雨が上がり晴れたとき、宝石は蒸気となり立ちのぼり、ジメッとする湿度の高さを感じます。

それを短歌にしたのが、次の作品です。






雨は嫌いなので、せめててるてる坊主はニッコリ、カエルも楽しそうに鳴いているように見えます。

これらの作品は、ふだんは漠然と感じながらも、見過ごしたり、通り過ぎたりする6月の景色を、このように絵と短歌の作品にすることで、中学生の想いは明確になり、感受性はシャープになっていくのです。

エレベーターの乗り方に成熟度がみえる

2021年06月09日 07時07分00秒 | エッセイ


国内では、エスカレーターの右か左のどちらかを空ける習慣・マナーは、1970年ごろに始まりました。

阪急電鉄が梅田駅で「エスカレーターは右側に立ち、お急ぎの方のため左側を空けてください』とアナウンスしました。

その後、ときは大阪万博(1970年)の頃で、当時は万博施設内で平面式のエスカレーターである「動く歩道」(ムービング・ウォーク)が活躍しました。

その後、そのムービング・ウォークは、阪急梅田駅と阪急百貨店を結ぶ通路に取り付けられました。(その後40年ほどたちましたが、いまもあります。)

そのときのアナウンスが、まさしく「エスカレーターは右側に立ち、お急ぎの方のため左側をお空けください』でした。

当時は高度経済成長下の「モーレツ社員」の時代でした。とにかく関西の人は歩くのが速い人が多いのです。

「速いことは美徳だ」のような価値観が加わり、関西ではエスカレーターの左側を空けるのが定着しました

これは関東圏では逆になり、エスカレーターの右側を空けるのが普通になって今にいたっています。

ところが、1990年代後半には「エスカレーターは歩かずに止まってお乗りください」というアナウンスが聞こえてくるようになりました。

これは高齢化が進む日本で、歩く人がいるとひっかけられ、転倒する高齢者がいるという事故を意識してのことだったと推測します。

でも,考えてみると、そもそもエスカレーターは歩くことを前提に設計されたものではなく、立ち止まり手すりを持って乗るものだと考えます。

しかし、一度身についた習慣を変えるのは、なかなか難しいのです。わたしなどは右側で立ち止まろうとすると、マナーを守らない人が右側で後ろから急かすように近づいてきます。

そのときに感じる雰囲気は「みんなが急いでいるのだから、立ち止まるなよ!」です。

とくに、新型コロナウイルス渦ではっきりしたように、日本では同調圧力がはたらき、「みんなが自粛しているのに、なぜ店を開けているのだ」となり、「まわりにしたがえ」という無言の圧力を感じます。

だから、じっと立ち止まっているのには少々勇気がいることもあるのです。

いまは、高度成長期も終わり、モーレツに働く価値観も昔の遺物となりました。
成熟時代には「エスカレーターは右に立つ、左に立つとかではなく、歩かない』という行動に価値を見いだすべきでないかと思います。

効率ばかり優先するのではなく、エスカレータに乗りながら転倒の危険を感じている人に思いをはせることができる成熟したおとなでありたいと思います。

6月8日は学校安全の日

2021年06月08日 07時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ


2001年6月8日、ちょうど20年前の今日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で児童殺傷事件がありました。

包丁をもった男が侵入し、次々と児童に襲いかかり、8名もの児童と教職員の大切な命が奪われました。

この衝撃的で悲しく痛ましい事件を契機に、6月8日を「学校の安全確保・安全管理の日」と設定したのでした。

当時の大阪府の学校では、地域に開かれた学校づくりを進めていましたが、この事件のあと、校門を常時閉めるのと開かれた学校づくりは別物という考えから、校門は常時閉めるようになり、現在に至っています。

大阪府各自治体のなかには、予算をつけおもに小学校の正門に警備員を配置するようになった学校もあります。

また、学校では定期的に危機管理の避難訓練を行うことも定着しています。

その危機管理の避難訓練は「不審者対応の訓練」という名称がついています。

ただ、わたしは「不審者」という言葉をつかうとき、いまでも一抹の違和感を覚えます。

これほどの大きな事件であり、児童の被害が出たのだから、「知らない人を見たら不審者と思え」という教えは行きすぎではないほどに思います。

ただ、「不審者」というとき、たとえば日本に住む外国人の知らない人は不審者として扱われ、何をするかわからない人、犯罪を起こすのは外国人が多いというきめつけにつながることに危惧をもちます。

だから私自身は、言うときには「いわゆる不審者」、書くときにはかぎ括弧をつけて「不審者」と表記します。

今の時代、人と人との関係が疎遠になり、人間同士のつながりが薄くなってきています。

人間同士のつながりやその温かさを、子どもに教えるのが学校の役割です。学校は、教育活動のため、保護者や地域の人が出入りする、人が人と出会う「交差点」です。

開かれた学校と校門を閉めることは、本来は、相反するものではないはずです。

大切なのは、学校生活の具体的な場面で、校舎内に知らない人が入ってきたとき、「こんにちは、職員室へのご用件ですか」などと、教職員から声をかけることです。

そのかけ声がないと、学外の人がスルーして、校舎内に入り込む余地をつくります。

開かれた学校づくりの核心とは、多忙な教職員であっても、学外からの来訪者に心を開き、一声かけることから始まると、私は思うのです。

どんな教師に出会うか

2021年06月07日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしは、少しですが家で畑に野菜を植え、育てています。

水やりや肥料が十分かそうでないかで、野菜の育ちは大きく変わります。とくに、適切に肥料を入れた、よく肥えた土ではよく育ちます。

そのような条件を整えても、ちがいが生まれることもあります。

それは、野菜にかける愛情です。

愛すれば育ちます。憎めば枯れます。

これは、教育にも通じるのではないでしょうか。

子どもを愛することは、教師にとって必要な資質です。

ていねいに子どもに愛情をかけると、子どもはそれを受けて成長します。

でも、子どもを愛する教師でないと、子どもの才能は引き出せず、成長が止まるのです。

子どものなかには素直になれず、なかには反抗する子もいます。なかなか人間関係が深まりにくい子もいます。

でも、子どもにとって、学齢期は長くはありません。

その学齢期の間に、どんな教師と出会うかは、子どもはふつう選べません。

だからこそ、縁あってその子の担当になった教師は、子どもへの愛情を注ぐことができる人であってほしいと願います。

多様な願いに応える学校の制服とは

2021年06月06日 08時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学校には、ふつう1校に何人かは、自分の性(生物学性)に違和感を感じている生徒がいます。

思春期の一過性の場合もありますが、社会では一生涯にわたり性的マイノリティに位置づく生徒が在籍しているのが、いまの学校の現実です。

女子生徒とまわりから見なされるが、自分は男子生徒であるという自覚をもつ子、その逆もあります。

このとき、本人たちが戸惑うことの一つは制服です。

私の校長経験では、スカートをはくことに違和感をもつ子「女子生徒」がいました。その生徒は自分は男子であるという自覚をもっていた子でした。

その中学校の制服は、上着が男女共用の紺色のジャケット(ブレザー)で、男子はグレーのズボン、女子はグレーのスカートときまっていました。

本人と親御さんからの申し出がありました。「スカートでなく、ズボンをはきたい」ということでした。

事情を聴き、学校としてズボンの着用を認めました。周りの生徒たちは、「ズボンをはいた女子生徒」を自然に受け入れていました。

次に校長を務めた学校は、冬服について、男子は黒色の詰め襟上着に、黒色のズボン、女子は紺色のセーラー服(ネクタイはエンジ色)と同色のスカートでした。

夏服は、男子が白のカッターシャツと黒のズボン、女子は白のセーラー服と紺色のスカートでした。

ズボンをはきたい「女子生徒」がいることを、学年の教職員がつかんでいましたが、その生徒は校則にあわせて、本意ではなかったのですが、スカートの制服を着ていました。

このタイプの制服の場合、学校は難しい判断を迫られることになります。いわゆる「女子生徒」が詰め襟の学生服を日常的に着用するかどうかという問題に突き当たるのです。

その問題を解決することになるかはともかくとして、いま、いくつかの中学校では生徒や保護者の声を受け、制服の見直しをするケースが出てきています。

兵庫県姫路市立のある中学校は、制服検討委員会を作り、開校以来男子は詰め襟、女子はセーラー服と決めていた校則をあらため、ブレザーとズボンを男女の標準的な制服に変更しました。

このように、ブレザー型の制服は、下にスカートをはくか、ズボンをはくかという違いだけなので、対応しやすいのです。

ただ、この中学の場合は、さらに柔軟な対応を盛り込み、「スカートの制服には、ある種の憧れがある」という保護者の声を受け、申請すれば男女ともスカートを選ぶことができる柔軟なとりきめをしました。

結果、この中学では「女子」の場合、ズボンをはく生徒とスカートをはく生徒が混じり合って学校生活を送っているようです。

ここまで、いろいろ考えなければならないのなら、いっそうのこと私服にすればいいでないかという声もあるかもしれません。

しかし、現状での子どもの意見は、「制服を着たい」が主流です。とくに、高校の女子生徒の場合、自校の制服に愛着をもっている生徒がけっこう多いです。

「制服を着られるのは、JKの間だけだもの」という思いがあります。

中学3年生の場合、「あの高校の制服を着たい」という意向も、高校を選択する条件の条件の一つにもなるぐらいです。

ということですので、現状では制服があるものとして、LGBTQの生徒の願いもほかの生徒の願いも、最大公約数的に充足できる服装を、話し合いできめることが、いま学校ができることだと考えます。

授業参観もオンライン

2021年06月05日 09時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ
コロナ禍のため、いま学校では保護者の授業参観もZoomで行うようになっています。

直接、わが子の授業中の様子を見ることができればいいのですが、感染防止のためオンライン参観でも、だいたいの子どもの様子を知ることはできます。

つねにわが子の様子が画面越しにあらわれるのではないですが、授業参観がないよりはよほどましではないでしょうか。

箕面市の小学校では2時間分をZoomでの授業参観にあてています。

肖像権保護のため、保護者は、録画をしないようにする配慮が必要です。


母子家庭が困っている

2021年06月04日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今回の新型コロナウイルス感染症拡大は、想像以上にひとり親家庭、特に母子家庭の家計に影響を与えています。

仕事を失い、就職先が見つからない。

子どもにお腹いっぱい食べさせたいけど、食事代もままならない。

貯金を切り崩して生活している。
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相対的貧困率の数字が取りあげられ、社会的な問題となったのは、私が覚えているのでは、2010年代前半頃からだったと思いますが、コロナ渦が広がりだした2020年から、その貧困問題をさらに深刻化しました。

失業、解雇、シフト減は収入を減少させ、シングルマザーを困窮化させています。

その背景には、パート、アルバイトなどの非正規雇用ではたらく女性が多いという事情があります。

もともとあった貧困問題、格差にコロナ渦が覆い被さり、いままでなんとか家計をやりくりしてきたのが、限界を迎えているのです。

なかでも、食費を削らざるを得ない、文字通り「食べるのにも困る」という事態が起きています。

国は2020年度に「ひとり親世帯臨時特別給付金」を支給しました。第1子に5万円、第2子以降に3万円を出しました。

2021年度にも低所得者を対象に「子育て世帯生活支援特別給付金」制度を設け、子ども一人あたりに5万円に増やしました。

私は学校の児童生徒のようすは、家庭や地域の状況を映し出す鏡のように考えています。

子どもは家庭での生活、地域での生活を背負って学校に来ています。

とくに家で十分な食事が摂れていない児童生徒は、授業中や給食などのようすで、教職員は把握することができるものです。

ですから、教職員は、子どもの学校でのようすで家庭の経済状況を推し量ることができます。

困窮家庭をキャッチすれば、学校は、保護者に連絡を取ります。

その際には、「お子さんのようすが気になり、心配をしています」というアプローチのしかたをします。

また、地域の民生児童委員につなぐとか、福祉行政の手立てにつなぐとか、母子家庭支援のNPOと連携するとか、「ひとり親家庭生活支援基金」を紹介するなど、学校は必要な対策を講じる必要があります。

一人1台のタブレットで期待できること

2021年06月03日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ


国の推進する「GIGAスクール構想」を受け、全国の小中学校で、一人1台のタブレットがほぼ実現されました。

一人1台のタブレットの利用でどのようなことが期待できるでしょうか。

① 一人1 台のタブレットを使うことで、子どものやる気が上がる。

目新しさも手伝い、 多くの子どもはワクワクして、学習意欲が高まります。

②自分の力で、段階を踏んで学習を進めることができます。

アプリの学習ドリルの解答がすぐに採点されて、結果がすぐにわかります。

子どもにとってみれば、問題に取り組んだあと、すぐに答え合わせができるのは、やる気を持続させるのに効果的です。

また、 自分の力で、次々と学習を進めていくことができます。自分の学習の進み具合やステップがわかりやすくなり、意欲が向上します。

問題をやったが、誤答ばかり続くとやる気をなくす子どもも出てくるかもしれません。

でも、 そんな場合は、前の段階に戻って学習をやり直すことができます。問題が幅広く準備
されていることもタブレットの強みです。

③一人ひとりの学習履歴から、その子の学力に応じた教材が提供されます。

タブレットで、自分はどのような学習をして、どの部分が十分に理解できていて、まだ十分に理解できていないのはどこかがわかるようになります。

④調べる学習、プレゼンテーションの力を高めることができます。

一人1台タブレットにより、調べる学習やプレゼンテーションの資料づくりがしやすくなり、いまの社会で必要とされる思考力・判断力・表現の力を身につけることができます。

⑤子ども同士がタブレットを通して、お互いの意見や作品を見合うことができるので、自分にはなかった発想や考え方に気づくことができます。

またクラスメートに評価してもらったりして、うれしさがやる気につながります。

ただし、この効果が期待できるのは、教師が活用法に長けていて、適切なアドバイスを子どもにできることが必要になります。


他者やものごとに対して、寛容でありたい

2021年06月02日 06時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ


他者に対して寛容でない「度量の狭さ」がいまの日本社会を覆っています。

新型コロナウイルス感染症に関してなら、「マスクをしないのは許せない」であり、時短営業を守っていない店に脅迫じみた落書きをしたりなど、度量の狭さがうかがえます。

これは、ある件について、正しいか、正しくないかを、時と場合により柔軟に判断して行動するのではありません。

ただ安心したいために、いろいろな事情を考えず、まわりの人と同じような行動をしたり、させたりすることから寛容のなさになっていると考えることができます。

このような「思考停止」による硬直性や閉鎖性が広がれば、多様性を認めないことになります。

多様性に背中を向け、画一的に「これはこう」「これはこうすべきもの」という人が多い組織では、斬新なアイデアや技術の革新は生まれなくなります。

学校教育でも同じで、教職員が子どもに寛容でないと、子どもから「先生、こうしようよ」という意見や提案は生まれません。

教職員同士でも、硬直化した組織の場合、新しい教育活動をやってみようという雰囲気はできませ。.

教育行政と学校の関係も、「これはこう」「あれはああすべき」と指示や通知をトップダウンばかりで出すことが多くなると、学校の教職員の士気は高まりません。

柔軟さ(flexibility)は、いまの日本社会に、とくに必要な行動規範であると思います。