今学期の給食も、無事に終わりました~ 後は磨きものや給食室内の大掃除が待っています♪
そして、今年度も終わり・・・4月から新しい年度が始まるのですね
今朝も、可愛らしい女の子たちが「つくしを手渡してくれました」
午後の仕事終了時に、代替さんが美味しい大福を持ってきてくださいました
『過去は行く 未来は幸を 運ぶ風』
今学期の給食も、無事に終わりました~ 後は磨きものや給食室内の大掃除が待っています♪
そして、今年度も終わり・・・4月から新しい年度が始まるのですね
今朝も、可愛らしい女の子たちが「つくしを手渡してくれました」
午後の仕事終了時に、代替さんが美味しい大福を持ってきてくださいました
『過去は行く 未来は幸を 運ぶ風』
高校時代の友人達と、3~4か月に1度「何処かに(ドライブや日帰りバス旅行などで)出かけたり、ランチしたりする」ということを、卒業してから「ず~っと続けています」
今朝は、我が家に集合してもらって、津の総合文化センターまで(私の運転で)行ってきました♪
去年の私の誕生日(12/26)に、母と共に出かけた『Cotti菜』で会食♪
皆で仲良く『週替わり定食』を注文♪
美味しく味わって、楽しい御喋りタイム(お互いの近況報告など)
その後、場所を変えて・・・
御抹茶を頂きました~(380円)
屋外では、賑やかに『フリーマーケット』のイベントが・・・
午後2時頃になると、ますます御客さんが増えて、大変な混雑になってまいりました~
その訳を知って「納得」
淡い杏の花が、今にも咲きそうです
花同様、急に出現しては毎年驚かせてくれる夏水仙の葉です
去年は(モグラの悪戯で?)咲かなかった花ですが、今年は咲いてくれると信じています
『希望の葉 夏水仙は 祈ってる』
小学校に入学後も、次男は熱を出したり下血をしたりして、度々硬化療法のために入院しました。
「今のまま(脾臓が大きいまま)では、食道静脈瘤に対してモグラ叩きをしているような状態です」
「血小板も5~6万になっていますし、思い切って脾臓塞栓術をしましょう。8月12日に入院してください」と、言われたのは、平成4年の8月に入ったばかりの暑い日のことでした。
「とうとう、来るべきものがきた・・・」と、私は悩みました。
脾動脈塞栓術は、とても辛い治療だと聞いていました。高熱が出て、転げまわるほどの痛みだと聞いていました。
「脾臓の破裂、塞栓部に膿がたまる、という合併症もあるらしい」と知らされました。
「今こんなに元気なのに、万一、合併症が出たら・・・どうなるのか・・?」と、入院当日まで私は悩みました。
そして、とうとう不安な気持ちのまま・・8月17日、約1時間で『脾臓塞栓術(PSE)』は終わったのです!
次男は、針を刺した方の足を伸ばしたまま紐で固定され、仰向けに寝かせられていました。
「お腹が痛い!」と何度も私に訴えるので、看護師さんに言って痛み止めの座薬を入れてもらいました。
次男は何度も動き、横を向いたりするので、私は一晩中見張っていなければなりませんでした。
翌日、足の付け根を消毒してもらいました。
「気持ち悪い、吐き気がする」と訴えるので、吐き気止めも飲ませてもらいました。
昼過ぎになって「丸1日経ったので、もう手足を動かしても横になって寝てもいいですよ」と言われて、ほっとしました。
ところが、二男は夕方から「お腹が痛い!痛い!」と言い、痛み止めや眠り薬を入れてもらうのですが、「全然効かない!」と泣きます!
私は、一晩中、次男の御腹をさすり続けました。
20日、朝から続けて六回も血便が出ました。
「脾臓の動脈を詰めたので、隣り合わせの胃の動脈が圧迫される。その結果、血流が悪くなり潰瘍が出来て出血したのではないか」と主治医から言われました。
24日、昼から三分粥が出て、次男は1週間ぶりの食事に喜びましたが・・・まだお腹の痛みは消えません。
26日、昼食を抜いてCTを撮りました。その結果、脾臓の8割が詰まっていると言われました。
31日、歩いてトイレに行くことを許されました。
そして、9月18日に「無事に退院の日を迎えました」
その頃には、5~6万しかなかった血小板が、約4倍にも増えていたそうです。
「絶対に良くなるんだ!治りたい!!」という次男の強い意志があったからこそ、この日を迎えることが出来たのだと思いました。
可愛いケーキにロウソクを2本立てて、長男や三男と共に、次男の2歳の誕生日を祝ったのも束の間・・・
次男は、5月29日午後2時に三重大附属病院にて二度目の手術を受けました。
そして、無事に退院して七夕を迎えた頃、発熱と体調不良で再度入院。
次男の熱は三日経っても下がらなかったし・・お腹をこわしていて、淡い緑色のものが少し出るだけ・・
「胆汁が出なくなったので、今、薬で肝臓を叩いている状態です」と主治医に言われました。
ベットの傍に椅子を置いて座り、次男の手を握って、一晩が過ぎてゆく。
窓の外には、津の街の夜景が悲しいぐらいに映えている。
抗生物質が効いたのか、朝を迎える頃には次男の熱は下がり「よかった~」と思いましたが・・
何となく、次男の唇が赤くなったような気がして、少し不安になりました。
「コンコンッ」と、変な咳もしています。そして、昼過ぎに突然の吐血!
即、食道静脈瘤破裂部を圧迫し、止血するためのバルーン付きチューブが挿入されました。
その際、次男は私の方を見て「ジュース!(飲みたい)」と訴えました!
翌日、教授から「食道静脈瘤破裂ですね、ご存じだとは思いますが、肝臓が固くなると門脈圧が上がり、肝臓を通らない新しい経路を通るようになるのです。そのひとつとして、食道壁を通るために出来る食道静脈瘤があるのです」との説明がありました。
「今後の治療方針は、主治医らと相談して決めましょう。方法は色々ありますが・・塞栓硬化療法で、静脈瘤を潰すのが良いと思われます」
1ヶ月後、ようやく長い絶食と点滴から解放された次男は、粥食を口にすることが出来ました。
硬化療法は11月1日に予定され、全身麻酔で2~3回に分けて行われるとの説明を受けました。
4か月の入院生活を経て、次男の静脈瘤は「綺麗に消えていた」との喜びの報告と共に退院の日を迎えました。
なのに、その後「もうひとつの難点」を指摘されることになってしまいました。
脾機能亢進症による「血小板減少」でした。
「血小板は、血液の凝固という重要な役目を果たしています。これが不足すると、当然出血しやすくなり、貧血も進んできます」
「治療法としては脾臓を取ってしまうか、脾臓の血管を詰めて脾臓を小さくするか、どちらかです」と、説明を受けました。
悶々とした心持で、何末年始を送った私でしたが・・・
待ちに待った春!次男が市立幼稚園に入園する春を迎えました(夢のようです)
今まで、病院と自宅を往復するような日々を送っていた次男にとって、幼稚園での1年間は素晴らしいものになったと思います。
春の遠足には砂浜で遊び、子供の日には鯉のぼりを作り、ブロック遊びが大好きで、給食も残さずに食べていると!
父の日の小運動会には、おじいちゃんと一緒に「綱引き・玉入れ・帽子取りと、楽しそうに走り回っていた」そうです。
夏にはプールで遊び、七夕の飾り付けをして、秋の運動会には元気に『ようこそ星のまちへ』というダンスを踊りました。
冬のクリスマス会には、園長先生扮するサンタクロースからプレゼントを貰い、ケーキ作りをしました。
そして、昭和64年を迎えると、まもなく新しい『平成』の時代が始まりました!
本日は、六年生にとって「最後の給食」になりました(おめでとう)
献立は『赤飯・お祝いケーキ・エビの天ぷら・けんちん汁』
旅立ちの日、我が家のクリスマスローズも咲きました
可愛いクロッカスの花々も、六年生の卒業をお祝いしているかのようですね
りんごの木は、小さな実を沢山付けていて、ほんの少し白い花が残っていました。
ひとつの花びらを取って押し花にして、私は盛岡から持って帰りました。
生後三か月を前に手術を受けた次男は、度々熱を出し、直ぐに絶食・点滴になります。
「上行性胆管炎(腸の細菌が肝臓の方に逆流)が怖いので、熱が下がるまではミルクはストップします」と、主治医が仰います。
「先生、こんなに気を使っているのに・・・どうしたら熱を出さなくなるのですか?」
「お母さん。お子さんは、あんなに小さな身体で手術したのです。だだでさえ傷んでいる肝臓に負担がかかっています。良くなってきた肝機能も横ばいですし、大変だけど頑張ってもらわないと!」
小さな次男を抱いて歩いていると、「細い脛の赤ちゃんだなはん、母ちゃんの親指ぐらいしかねえ」と、何度も振り返って言う人がいました。
心無い噂を流す人もいました。
「気にするな、子供が悲しむよ」と、盛岡の夫は言いました。
そんな辛い日々の中で、何度も入退院を繰り返した次男が、1歳4か月の頃に急に歩き始めたのです!
長男と共に見届けた、その時の驚きと喜びは忘れることが出来ません。
こないだまでの寒さは「何処へやら?」 きょうは、急に気温が上昇して「初夏のような1日」でした
職場の駐車場から望む景色は、とても幻想的な『春霞の鈴鹿山脈』
『春霞 遥か彼方に 幸が住む』
今年も『胆道閉鎖症の子供を守る会』から、美しい絵柄の手作りカードが届きました
毎年、送ってくださって「ありがとうございます」 明日で、次男は3◇歳になります