
弁慶橋の北岸側には、「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」の石碑と説明板が設置してありました。江戸時代のこの辺り一帯は、紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸の屋敷が広がっていました。

説明板には「紀尾井町」という地名の由来も書かれていました。紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の頭文字を合わせた地名となっています。

そばには「弁慶橋」の説明板も設置されていました。この弁慶橋は江戸時代から架かっていたものではなく、1899年(明治22年)に架設された道路橋なのだそうです。

弁慶橋の北岸側から(南西側から)、東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地西側に整備されている「花の広場」を見渡して撮影しました。

弁慶橋の中央部から「弁慶濠(東側)」を見渡して撮影しました。正面には、江戸城の「赤坂見附跡地」の石垣群が広がっているのが見えます。

南西側から、「紀尾井タワー」の高層オフィス棟の低層階部分を撮影しました。「紀尾井テラス」の商業施設が併設されています。

同じ場所から振り返って、弁慶橋から西側を見渡して撮影しました。奥の方には「赤坂御用地」の広大な緑地帯が広がっているのが見えます。

弁慶橋の北岸部から北側へ向かって伸びている「紀尾井町通り」を撮影しました。千代田区の紀尾井町地区の住宅街の中を南北方向に通っている道路であり、北へ向かうと清水谷地区へ出ることができます。

高層オフィス棟の低層階部分の「紀尾井テラス」の商業施設棟と、弁慶濠の北岸側の枯れ木状態のソメイヨシノの木々群を見上げて撮影しました。

敷地西側に整備されている「花の広場」内を散策していきます。正面には「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」の地上入口が設置されています。

南側から「花の広場」を見渡して撮影しました。広場内には植栽の木々や人工の池、ベンチなどが整備されています。

広場の隅には、「東京ガーデンテラス紀尾井町」のシンボルマークが設置されていました。

その隣には、施設全体の見取り図が設置されていました。

南側から、広場内の人工の池の全景を撮影しました。そばには屋外カフェなども展開していました。

商業施設棟の「紀尾井テラス」の全景を撮影しました。脇には、高層オフィス棟の高層階部分に入っている「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」の入り口も設置されています。
