葛城古道の1部 長柄神社~末吉庄兵衛宅~一言主神社~
九品寺~鴨山口神社~崇道(すどう)神社の巨木を見てきました。
葛城古道は巨木だらけです。
有名な一言主神社の乳垂イチョウ♂
樹齢1200年 幹周り3,9m
行基開設の九品寺は境内に千体石仏があり、しっとりとした境内は
紅葉も色鮮やか。ミミズクの石仏もあった。
江戸時代までは、葛城周辺は水が乏しく、水稲は作れず木綿や菜種作り
が盛んであったが、金剛山頂の水をこちら側に引くことを認めさせ、そ
れからは「半田米」といわれる良い米が作れるようになったと説明を聞
く。時間によって水を分けていた「番水の時計」跡があり苦労がしのば
れる。
後日、テレビで大阪と葛城の「水争い」を放映していた。本来は大阪側
に流れる水をこちらへ付け替えたため対立が生じ裁判に発展、元禄14年
に京都所司代の裁きで大和側が勝訴したとのこと。
九品寺~鴨山口神社~崇道(すどう)神社の巨木を見てきました。
葛城古道は巨木だらけです。
有名な一言主神社の乳垂イチョウ♂
樹齢1200年 幹周り3,9m
行基開設の九品寺は境内に千体石仏があり、しっとりとした境内は
紅葉も色鮮やか。ミミズクの石仏もあった。
江戸時代までは、葛城周辺は水が乏しく、水稲は作れず木綿や菜種作り
が盛んであったが、金剛山頂の水をこちら側に引くことを認めさせ、そ
れからは「半田米」といわれる良い米が作れるようになったと説明を聞
く。時間によって水を分けていた「番水の時計」跡があり苦労がしのば
れる。
後日、テレビで大阪と葛城の「水争い」を放映していた。本来は大阪側
に流れる水をこちらへ付け替えたため対立が生じ裁判に発展、元禄14年
に京都所司代の裁きで大和側が勝訴したとのこと。