初めて降りた斎宮駅
駅の北側は広い公園。 発掘調査に基づいた斎宮跡の10分の1の史跡全体模型
荒れていたところ、宅地造成の計画をきっかけに調査が行われた結果、斎宮跡であることが判明。
東西約2㎞ 南北約0.7㎞の広い範囲を占めていることがわかり、史跡に指定された。
建物の名など書いてあるようだったが、見に行く時間がなかった。
講師より、斎宮 斎王などの説明がある。
斎王とは
天皇家の守護神(伊勢神宮の天照大神)を祀る姫のこと。
その始まりは、崇神天皇の皇女 豊鍬入姫命が倭・笠縫村に天照大神を祀らせたとの古事記・日本書紀などの伝承があるが、制度上の最初の斎王は7世紀末、天武天皇の娘・大来皇女といわれる。
斎王は天皇が変わるたびに(主に)皇女がなり、天皇が退位したり、身内に不幸があった時に帰京するまで務める。
斎王制度は7世紀後半から平安・鎌倉時代と続いたが、次第に衰退し14世紀、斎王制度は廃止になった。
斎宮(さいくうと読む)
斎王の居住するところ。斎王に使える女官や斎宮を運営する官人など500人以上の人々が起居していたとのこと。近くに使える女官以外はすべて男性だったとか。
神を祀る名目で「東方の抑え」の役目もあったのでは?とは講師の説?
「復元した伊勢街道」を歩いて斎宮歴史博物館へ。
斎宮歴史博物館
13分間の映像「斎宮群行」を見た後展示物を見、その後もう一つの映像「今よみがえる幻の宮」を見る。
天皇が即位し、斎王が立てられる。
映像の斎王は後朱雀天皇の皇女、良子(ながこ)内親王
斎王に決まったのは8歳の時だったという。
潔斎の後、出発の儀式が行われる。
天皇から「櫛」を渡され「二度と戻らぬように」との言葉を受け、惣花輦(そうかれん)という輿に乗って、都から伊勢へと旅立つ。その行列を群行という。
展示 斎王群行絵巻(複製) 斎王の居室
映像の群行の様子などは、同行した藤原資房の残した日記(春記)を元にしたもの。
お付きの女官他、従者など数百人の行列だったそうだ。
途中、頓宮に立ち寄りながら甲賀・垂水・鈴鹿などを通って伊勢へ。
険しい山道もあったらしい。
17歳で天皇崩御により帰京するまで7年間斎王を務めた良子(ながこ)、外出は年3回の伊勢神宮の祭礼の時だけだったとか。それ以外は貝合わせや歌など優雅な暮らしをしていたという。
優雅な暮らしをゆったり楽しんでいたのか?幼くして親元から離れ、自由にもできず、淋しい思いをしていたのか? 聞いてみたい気がする。
講師のお話では斎王から退いて帰京した後、独り身で過ごした人、また嫁いだ人もあったそうだが、良子(ながこ)親王は母の元で暮らしたが、49歳、疱瘡でなくなったそうだ。
展示では上記の絵巻(複製)や年表・出土品などが多数あった。
博物館を出て、お弁当を食べる。晴天で気持ちが良い。
博物館前の広場の隅にあったシマニシキソウ
帰りの道端にもシマニシキソウが広がっていた。
南の植物と思っていたが、ありふれた植物になりつつある?
途中の塚山古墳群のいくつかの古墳を横目に駅へ戻る。
お元気の様子 何よりです
斎王を訪ねての旅ですか
10月に歴史のフォローアップで行きましたが
凄い詳しい説明を聞いてこられたのですね
博物館で映像もみたのですが良子内親王とは知りませんでした。
10年ほど前に行った時とは随分変わっていて・・・
駅から博物館までの田舎道もよさげで
近鉄電車で行くのもいいですね