大津皇子の悲劇の地などを訪ねてウォーク。
神武天皇ゆかりの地に建てられた、神武天皇 磐余邑 聖跡顕彰碑を見る。
神武天皇東征に至る聖跡とされる「磐余邑」の地に、紀元2600年奉祝事業として建てられたらしい。
吉備 春日神社
境内に建つ 大津皇子の辞世の歌碑
「金烏臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向」
他の皇子と共に天武天皇を支えていた大津皇子。
皇位継承をめぐり、謀反の疑いがかかり、「磐余」にあったと言われる「訳語田(おさだ)」の自邸で死を賜る。
歌には無念の気持ちがにじみ出ている。
奥に大津皇子の磐座があったらしいが見なかった。
初めから失敗。
そばにある吉備池 磐余の池とは時代も違う江戸時代に作られた農業溜池。
池の東?の方では百済大寺の可能性もあるという巨大寺院の跡が出土した。
吉備池の堤には、大津皇子の辞世の歌碑 皇子の死を悲しんだ大伯(来)皇女の歌碑が建つ。
大津皇子の歌碑
「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ」
大伯(来)皇女の歌碑 遠くに二上山を望む。
「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟背とわが見む」
大伯(来)皇女は同母(太田皇女)で姉
説明板があるところから見た「池之内遺跡(磐余池推定地)」
発掘で人工の堤跡やそばに建物跡なども見つかっているとか。
このあたりには「池尻」「池之内」といった池に関係する地名が残る。
広い平地を見ているとここがその磐余池であったのかと思えるが「桜井市谷 若桜神社西側」の説もあるそうだ。
用明天皇の皇居 「池辺双槻宮」も池之内付近にあったとの説がある。
「みずし観音 妙楽寺」へ。
ここからも広い平地が見え、入江泰吉氏揮毫の万葉歌碑「ももづたふ・・」が建つ。
みずし観音 紅葉
社務所前のソテツ
吉備真備が、遣唐使として出発する際、ご加護を祈って出発
無事に帰還できたことを喜んで観音堂を創建させたのが始まりという。
本尊十一面観音菩薩は1願成就の観世音と言われる。
ぼけ除け地蔵もあってもちろんお願い。
桜井方面へ。
坂を登って、「石寸(いわれ)山口神社」
先に行った「池之内付近」とともに、ここも「用明天皇 磐余双槻宮」の跡地の説がある。
関連する 厩戸皇子の宮 などとの位置関係で、説が異なるらしい。
下って・・
桜井市仁王堂 小西橋東詰め
ここから西へは、日本最古の官道 横大路 が始まり、東へは初瀬・伊勢への街道が続く。
春日神社(桜井市戒重)
ここが大津皇子が24歳で死を賜った「訳語田(おさだ)幸玉宮」の推定値。
妃 山辺皇女は、大津の賜死を聞き、素足で髪振り乱して駆けつけ殉死したという。
イヌマキ大木 ムクノキ大木
この大木もまだここにない頃の悲劇である。
「磐余池」「用明天皇 磐余池双槻宮」大津皇子の邸宅となっていた「訳語田双槻宮」・・・
わからないことが多い。
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