みどりの野原

野原の便り

4月18日 能登半島① のと鉄道 室木家 ぼら待ちやぐら 禄剛崎灯台

2015年04月18日 | Weblog
ブログ送れていますが・・

能登へ1泊の旅 1日目は和倉温泉駅~最北端の禄剛崎までの予定。
計画を立てずに来て、地図を見ながらの行き当たりばったり旅 

メジャーな能登半島や和倉温泉も初めてなので、和倉温泉駅に降り立つや「わぁ~漆塗り(風?)の駅名板」と珍しがる。

レンタカーで出発。
お昼はミニ海鮮丼 おいしい海の幸

のと鉄道に沿って249号線を北へ。

のと鉄道七尾線 笠師保駅(恋火駅)に立ち寄り・・

明治の館 室木家住宅へ行くことに。


江戸から明治にかけて庄屋・北前船の廻船問屋・酒造業などを経営し隆盛を極めた室木家 寄贈され今は七尾市の所有になっている。 写真は母屋 入母屋造り 茅葺き屋根

明治12年から10年あまりかけて完成したという母屋 納屋 米蔵 道具蔵など合わせた建て坪は257坪もあるという豪邸
金に糸目をつけずに造られただけあって、今まで見たこともないような豪勢さ。

内部にはケヤキがふんだんに使われている。
 
ケヤキの板戸 中央の黒い帯を挟む上下は1枚板 右写真の板戸の上の幅広い材は平物(ひらもん)と言うらしい。幅60センチの平物もすべてケヤキ 3間の通し物


仏壇の曲面の襖 鴨居 敷居 框の材は、曲げてあるのではなく、広い材から切り抜いたものだとか。 ひえぇ~どんな丸太から???

他の造りもそんな具合で感心感動しっぱなし。来てよかったなあ。


ぼら待ちやぐら やぐらの上から海底に貼った網を見張り、ボラの群れが入ったら網を手繰りあげるという江戸時代からの原始的な漁法 ここは穴水町 
今もこの漁法が続いているのか? 観光用のやぐらなのか?と調べてみたら・・
『最盛期には、町内に40基を超えるやぐらが立てられていた。1996(平成8)年秋を最後に、この漁法を行う漁師はいなくなったが、2012(平成24)年の秋に漁が再開されました。』とのこと。


山田川岸の桜は満開。地元では咲き終わった桜 能登で再度花見ができるとは。

のと鉄道 能登線は穴水駅~蛸島駅まで30駅あったそうで、1964年に全線開通するも赤字が続いて、ついに2005年穴水ー蛸島駅間61キロが全線廃止になった。
今は七尾線として穴水駅どまりになっている。(ネット等の寄せ書き)

 
廃線になった能登線 鵜川駅 ホームも荒れ放題。かつては急行停車駅だったという。
でも、敷地の草刈りをしている人がおられ、桜の木が植えられていたので、いつかは人が集まる場所になることだろう。駅の向うにはトンネルが見えた。

他にも、線路が少し残り、その先線路があったところにソーラーが設置されているところもあった。車道と並行して線路の路盤がわかることろもあり、廃線になった能登線を感じることができた。

18時 今夜の宿「漁師の宿 禄剛崎温泉湯元 狼煙館」に到着。
荷物を置いて、禄剛崎灯台へ。


      狼煙港

 
灯台へは約300m階段を登る。     やっと真っ白な禄剛崎灯台が見えた。

  
禄剛崎灯台は能登半島最北端の灯台 明治16年イギリス人設計により建てられた。
昭和38年までは職員が常駐していたとのこと。今は無人。唯一菊の紋章付きだとか。


禄剛埼 夕日も朝日もここから観れるというスポット 少し曇って時間も遅い。
崖下には千畳敷きといわれる岩場がひろがっていた。

薄暗くなった道を戻る。宿に帰って夕食 刺身と海藻鍋がおいしかった。 続く。
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4月16日 タンポポ

2015年04月16日 | Weblog
淀川の堤防は真っ黄色

  
セイヨウカラシナの黄色 カラスムギのうす緑    一面の黄色いタンポポはカンサイタンポポ

 
総苞片が上向きで・・カンサイタンポポと思ったが、違うかもしれないとのこと。
           白花タンポポにしては茎も細いし、か弱そうな・・と思えば、カンサイタンポポとのこと。
タンポポがわからなくなった~。 
堤防周辺カンサイタンポポの他ははっきりしたセイヨウタンポポはほとんどなく、雑種タンポポがほんの少しあっただけだった。

コース中の田んぼ道で
 
アーティチョークだそうだ。あまりなじみがない。 
  右)田んぼ道に見慣れぬ?どこかで見たような?可愛い花 園芸種フクロナデシコの逃げ出し?のようだ。


       ヤエザクラが満開  
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4月14日 座禅体験

2015年04月14日 | Weblog
座禅体験ができる機会があったので参加。

瑞雲山 三松禅寺(さんしょうぜんじ)
 
          座禅体験のできる三松禅寺

ご住職さまよりお話を聞いた後、道場へ。
歩く時の手の形も決まっている。
堂内へ入り方 左又は右側から。右側から入る時は右足から入る。

正面にだるまさん。左右に1段高い座る場所がある。
企業の新人教育の一環か作業服の若い男性も一緒だった。

合掌の後、置いてある座布団(クッション)に軽く腰かけ脚を組み、右回りで壁の方に向く。
教えてもらった座禅の手の型 法界定印に組んで、深呼吸を数回。体を左右に揺らし体勢を整えて・・いよいよ初座禅・・
目は閉じてはいけないそうで、何も考えないようにする。
途中で1回 警策(きょうさく)で肩をバンと打たれた。
姿勢が崩れていたのか?
・・・とするうちに終了。20分の体験だったらしく、雑念が消えるまでには至らなかった。
胡坐が組めないので正座にしたが、短時間だったし、クッションのお蔭で足は痛くもならなかった。ほんの短時間の体験だった。
だるまさんは9年間も座禅を組まれたそうだが、常人には考えられない。

その後、永平寺の修行僧のビデオを見る。
食事を作るのも食べるのも修行の一環だそうだ。
感謝の心、食材を無駄にせず食べきる、というのは普段の生活にも活かせそうに思った。

みなさん知らん顔で行き過ぎる草花に目が行ってしまう。
 
道ばたにアケボノスミレが群生          ウサギアオイ
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4月13日 家のベランダ シャク キンチョウ

2015年04月13日 | Weblog
ベランダ


ベンケイソウの仲間 キンチョウの花 

 
花のない時期いつも迷っていたシャク 葉は切れ込みが細かいことがわかる。
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4月11日 大福から穴師周辺  鬼瓦 石棺仏  

2015年04月11日 | Weblog
ぐずついていたお天気も回復した。
三十八柱神社(みそやはしらじんじゃと読む)

推古天皇の「小墾田宮(おはりだのみや跡」と伝わるという。
「小墾田宮」は飛鳥と思っていたが、宮司さんの説明では根拠とする地名や街道もあり,梅原猛氏も「小墾田宮跡 大福説」に共感され、立派な碑も建っていた。
梅原氏揮毫の碑は全国でもここともう1ヵ所だけしかないという。

泡子地蔵堂 
 
街道の辻に立つ。泡子地蔵堂は奈良県で2番目に古い地蔵さまだそうで、座像と言うのも珍しいらしい。火災後石膏を塗られたお顔は白い。 右)集落の端の地蔵堂 後背の6地蔵のお話などを聞く。

東新堂の環濠集落

室町時代には奈良盆地には220か所もの環濠集落があったという。

森本六爾氏の生家へ
森本六爾氏は現在の考古学の草分けの方で、満32歳の若さで亡くなったが、「学問としての考古学」の発展に寄与されたという。私は初めて聞く名前だった。
 
 森本六爾夫妻の顕彰碑  ご実家の建物は当時とほとんど変わらず残されているとか。

天満神社の後、河合肉店に立ち寄る。お昼前、いただいたコロッケは最高においしかった。

中宇木材さんは今は主に彫刻材を扱っておられる。
仏像や能面などの彫刻用に需要があるという。
仏像彫刻用には木曽檜が最高で。米檜も彫刻材になるとのこと。

午後は国津神社へ。
 
国津神社拝殿の鬼瓦には「文化11年 ミワ 瓦屋 五郎衛門」の銘があるという。双眼鏡で一部読めた。

ホケノ山古墳
古墳時代前期初頭の纏向型と言われる帆立貝形の前方後円墳 頂上から箸墓古墳を見る。

慶運寺
 
墓地の近くにある「石棺仏」         慶運寺裏古墳
石棺仏の石材は熊本県産の「馬門石(まかどいし)」阿蘇火山由来の赤っぽい色をしている。奈良には植山古墳の石棺など他にも使用例があるらしい。わざわざ遠方の石を運ばせて大和政権の力を示したか。 右)慶運寺裏古墳の中は意外と高さがあった。近辺にはこのような古墳がいくつかあったらしい。

 
寺の山門の鬼瓦は江戸はじめのもので(奈良県で?)一番古いものだとか。
西の京の利右衛門の銘があるというがわからなかった。
江戸時代には村に1.2軒は瓦屋があったらしい。古い民家の屋根にも立派な鬼瓦が載っていることがある。


サクラの花びらで飾られたテーブルとイス このシーズンならでは(慶運寺裏)

後、野見宿禰を祀る相撲神社から巻向駅へ。

  
川の土手はセイヨウカラシナでまっ黄色        オドリコソウ

 
        スミレ                  キランソウ
 
         アケビ                 ゴヨウアケビ 
ミツバアケビもあって、アケビ3兄弟そろい踏み。(ミツバアケビ撮り損ね)
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4月9日 下見の下見に・・

2015年04月09日 | Weblog
下見の下見に行って来た。
思ったより春は進んでいた。
本番には見ごろを迎えそうなものもあった、
ここで初めて目にしたものもあった。お楽しみに。
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4月8日 大和郡山のクラシック建築 杉山医院 旧川本家 

2015年04月08日 | Weblog
小雨降る中、ボランティアさんの案内で大和郡山のクラシック建築巡り 

 
        枝垂れ桜満開 
     右)大納言 豊臣秀長の菩提寺 春岳院 大納言塚の管理もされている。

杉山小児科医院 

3月にひな巡りで立ち寄ったがもう展示は終わっていて、中へは入れず、ぜひ内部を見たいと思っていた。今は診療はしておられないらしい。
ご主人(院長さん)の説明を受ける。「今朝の産経新聞にたまたま掲載されました」と新聞をみせてくださる。
この建物は大正10年頃の木造建築で、平成17年国の有形文化財に指定された。
柱や梁などの骨組みがむきだしになっているハーフティンバーという様式。
縦や斜めになった木の見える外観デザインは美しい。
屋根の上には尖った塔がいくつか見える。これはピナクルというらしい。
台風で落ちて、ひとつは金属で作りなおしたが、他は修理して使用。
維持管理も大変だが、できるだけ元のままにと努力されているのがわかる。
 
         古い看板      受付カウンターもクラシック


部屋は白い漆喰塗り。壁と天井の間はゆるい盛り上がったデザイン。

改装したという屋根裏へも案内してくださった。
 
屋根裏は主人の御趣味の絵や写真やステンドグラスが飾られて、今はギャラリーのようになっている。 屋根裏部屋では内側の骨組みが目の前で見れた。

持ち主の杉山様の愛着愛情がわかるすばらしい建物だった。
サロンとして活用もされているらしい。

拡張された藺町線(いのまちせん)を通って洞泉寺町へ。

旧川本家
何回か覗いたことがあり、3月にもひな祭りの展示を見に来たが、今日は建築をゆっくりと見学
ここ洞泉寺界隈は奈良3大遊郭のひとつに数えられた所で、昔はたくさんの遊郭があったらしい。今も面影を残す建物もある。居住しておられるお家もある。

 
旧川本家は木造3階建 平成11年に大和郡山市が保存活用を目的に買収した。
ボランティアさんに言われて見ると、1階2階3階の細格子はそれぞれに違う事がわかった。芸が細かい。              右)一階の細格子

玄関内庭には金魚の泳ぐ池があったという。 丁場では好みの女性を選んだとか。

目につくのは明かりとりの窓

 
トイレにも松竹梅の明かりとり      階段横にも明かりとり窓


        ハートの窓も
遊郭というなまめかしい感じよりも、可愛い感じがする。

 
竿縁天井と細い木と竹を組み合わせた欄間    横開きの雪見障子

 
  床の間の床柱はエンジュとか。 暗くてよく見えない床の間の天井板は材質の違うものでデザイン こんなところまで気配りがされているのに感心


中庭に面した2階の廊下

「髪結い」の小部屋や客が待つ「待合」の部屋もあった。

 
客座敷は細い板の間付きの3畳の間 大きさは同じでもそれぞれに意匠は違えてある。


3階への大階段 ひな祭りの時にはここいっぱいにお雛様が飾られて壮観だった。
3階へは上がることはできなかったが、同じような客座敷が並んでいるという。
ガス灯の名残も見ることができた。

駅前に向かう。


この水路の左側は大工町、右側は柳町 町を分けるから「背割水路」というそうだ。背割堤とか背割桜は聞いたことがあったが、初めて聞いた言葉だった。

今は営業しておられない酒屋・呉服屋などの建物。間口の広い店が多いのは秀長の城下町振興策で税金は免除されていたかららしい。
税金免除の代わりに、、防火・防犯などは各町で組織された「箱本十三町」という自治体にまかされていたらしい。


金魚の泳ぐ電話ボックス 町おこしのために不要になった電話ボックスを利用して造られたそうだ。 掃除は? 地元の方がちゃんとお世話しておられるらしい。
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4月7日 うちの庭 コフウロ ジロボウエンゴサク サクラソウ 

2015年04月07日 | Weblog

       ヒメリュウキンカ         ツルジュウニヒトエ


         ノウルシ                 ツボスミレ


      ジロボウエンゴサク            サクラソウ吾妻紅       
 

         コフウロ                シラユキゲシ      
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4月6日 小豆島 ② ソテツ巨樹 中山千枚田 城石公園 桜の森公園 寒霞渓

2015年04月06日 | Weblog
小豆島2日目

        濃霧の朝  
波が高い時だけでなく、霧が深いとフェリーがでないらしいが、帰る頃には大丈夫だろう。

「日本一のソテツの巨樹」も見に行けることになった。

 
小豆島霊場31番 誓願寺 境内正面に森のように繁るのが天然記念物ソテツ巨樹 うぉ~!これはすごい。根元はどうなっているのか覗くがわけがわからない。
横枝を支えるコンクリートや木の杭と絡まり合って・・ 樹齢は1000年以上とか・・
来た甲斐があった。

中山千枚田
去年来た時は下から歩いて登ったが、今年は上から眺める。

 
       霧で霞む棚田        足元にオドリコソウが咲いていた。


中山湯船の水 共同洗い場
湯船とは湯船山のこと。この湧水は日照りにも枯れないらしい。日本の名水100選

 
湯船山から湧き出した水を洗いものに利用。千枚田へも流れる。


千枚田の下の方にある中山農村歌舞伎の舞台 
天保年間の建物で国の有形文化財に指定されている。
覗き窓から中を見ると人形が飾られていた。
娯楽の少なかった昔、庶民の楽しみとして続いてきた。
準備から上演まですべて島の人がするらしい。
昔は小豆島各地にあった農村歌舞伎は今はここと肥土山だけに残る。
江戸時代から300年も続いているのはすばらしい。


舞台と向かい合った春日神社に歌舞伎は奉納される。間が観客席となるらしい。

大阪城残石公園
 
石切り場から伐り出されながら、どういう理由でか運ばれなかった「残念石」が集められていた。 外には石を運んだ修羅の模型があった。

そこでの掲示によると、何年か前、残念石を修羅で運んで筏に乗せ、1キロ沖まで運び(そこからは運搬船だったようだが)、大阪城まで運ぶ「偉業再現」という行事をされたらしい。
無事大阪に着いて、大阪城(のどこか)に置いてあるらしい。


桜オーナー制をとっている桜の森公園のサクラはまだ木が若いが満開だった。

スカイラインで寒霞渓へ。


寒霞渓の絶景は霧の中 少し見えたと思ったら下から湧いてきた霧に隠されてしまった。
去年は麓の紅雲亭から歩いて登った。


1億円の快適トイレ 

ここから土庄港のある前島への途中に「世界一狭い海峡」がある。
外を見ていたが、あっという間に通り過ぎた。

お昼御飯を食べて、土庄港からフェリーで高松港へ。
朝、心配していた霧は晴れたが、正常運転になったのはこの便からだそうで、ラッキーだった。
 
              フェリーで高松港へ。
そこからは高速バスで大阪まで。
1泊2日 醤油蔵、日本一のソテツ、小豆島の満開の桜 いろいろ楽しめた。
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4月5日 小豆島 ① 姫路城 小豆島天狗岩丁場 醤油蔵 城山・・

2015年04月05日 | Weblog
1泊2日の小豆島の旅に誘っていただいた。
予報通りあいにくの雨
去年5月に小豆島に来たが、時期が少し違うので新しい発見があるに違いない。

姫路城
天守の保存修理が完成した姫路城を外から見る。

 
グレイに見える白鷺城 桜は満開 昨日はイベントもあり6万人の人出だったとか。

フェリーで姫路港から小豆島 福田港へ渡る。

天狗岩丁場
小豆島は良質な花崗岩を産するので、大阪城築城の際には、多くの石が切り出された。
 
中でも大きい天狗岩 切り出された跡が残る。 矢穴の残る石
岩盤から切り出すにはノミで穴をあけ火薬も使われたらしいが、たくさんの石を手仕事で切り取るなんて想像できない。
小豆島には天狗岩丁場以外にもたくさんの丁場(石切り場)があったようだ。

 
切り取ってそのまま出番がなかった?石    印を刻んだ石もある。

次は映画「二十四の瞳」のモデルとなった苗羽(のうま)小学校 田浦分校へ。
 
昭和46年に廃校となっている。懐かしい感じの木造校舎 木の机の並ぶ教室には子どもたちの書いた図画が残され昔にタイムスリップしたよう。

マルキン醤油記念館を見学できることになった。
去年来た時、横目に通り過ぎたところで来たいと思っていた所。
  
資料館では醤油造りの工程や道具などを見学

その後、醸造蔵を見ることができた。うれし~。
 
この天然醸造蔵はじめ4棟が登録有形文化財に指定されている。
明治40年の建物だそうだ。
説明板によると、この4号蔵には30石(5400ℓ)の木桶が4列で153本並んでいる。長さは約100mとのこと。すごーい。同じような5号蔵、6号蔵もあるという。
中を覗くと、柱や木組みにびっしりとこびりついたものが見えた。これが発酵醸造に欠かせない「蔵に住みついた微生物」なのだろう。ここで自然な状態で1年間発酵熟成させるとか。

次はオリーブ公園へ。
 
オリーブの起源等の展示。 明治41年に植栽され昭和10年に枯死したという原木の展示。
オリーブアナアキゾウムシという害虫による枯死だという。日本だけに生息するオリーブの天敵とのこと。オリーブが日本に持ち込まれた時、各地で栽培を試みたが、うまくいかず、結局小豆島だけが生育に適していた。との話を聞いたことがあるが「日本だけにいる天敵」というのは不思議な気がした。

今夜の宿へ立ち寄った後、近くの城山へハイキング。歩けるのはうれしい。

 
 コバノミツバツツジ満開   ノグルミの枯れた果穂 双眼鏡で覗いてわかった。 
 
最初高い所に咲いていて、ユーカリ?と思ったが木肌も違う。そばへ寄ったらアカシアの仲間だった。カマバアカシアの名が浮かんだが、羽状の葉が混じるものがあり「メラノキシロンアカシア」とわかる。この山にはたくさんこの木があった。
帰って前のメモ帳を見たら、メラノキシロンアカシアはh17年19年に見ている。花は初めて見た。別名をヤナギバアカシアというそうだ。ただ。全部の木がメラノキシロンアカシアかどうかはわからない。

標高111m 頂上には城山神社が建つ。
  
     桜も満開、芽出しの微妙な色合いの混じる春の山も美しかった。
歩くからこそ見れるものがある。  

夜はおいしい海の幸とちょっぴりの?お酒。しあわせなことである。    2日目へ続く。
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