「岳」と言う映画が掛かっている、私は未だ漫画を見るのでこの漫画も知っている、最近はテレビも映画も漫画からの物が実に多い、本職の映画脚本家として少し情けなくないか?
それはそれとしてこの内容は山岳救助隊の話しである、大変な仕事だと思うしすごい方たちだと思う、
しかしこの登山と言う遊び(と言えば恐らく大反発を貰うとは思うが生活上欠くべからざるものでなく好きだからと言う事は基本的には遊びだと思う)は余り好きではない、
好き嫌い、趣味と言う事は個人の問題で此れは何の感想も口を挟む気も無い、しかし特に冬山登山と言うのはかなりの危険が伴う、そう言う意味ではこの「岳」と言う話は良かったかも知れないが一方で救助される側も含めて「山のロマン」と言った方向に行くとしたら「それは違う」と思う、
幾ら注意したとしても遭難といつも隣り合わせの遊びである、つまり生命がけの遊びである、捜索に掛かる費用は実費であると言う事も必ず表現しておいてい欲しい、
どんな山男も殆ど全て家族が有る筈だ、帰らぬ人となった時その家族の悲しみは想像に難くない、仮に助かっても体に傷は残る、そして多額の費用が残る、
「好きなんだから止められない」と言うなら結婚はするべきではないだろうと思う、そこを理解して一緒になる相手が居るならそれはそれで納得ずくだから良いだろう、しかし子供は作るべきではない、大人になって「親は趣味に殉じたから」と言う子もあるかもしれない、しかし物心がついた位の子供にとって親が居なくなるという事はやはり大きな悲しみになるだろう、
「最大の親不孝は親より先に死ぬ事だ」と言う、自分が育てた子供のする事だと諦めるしかないにせよその与えた悲しみは多大だと思う、趣味を追求するのも良いし安全志向で何もしない人ばかりになったら確かに世の中面白くもなんとも無い世界になるだろうが1つ1つ取り出してみるとやはり許しがたいと思う、
私は特に親の身勝手で家庭的にに苦しんだという様な若年期を送った訳ではないがどうしても親が家庭を省みないで自分の生き方を貫くのには承諾出来ない、人が悲しむのを見るのはとても嫌いなのだ、
今度の被災の様に天災や事故でも見ていて辛くなる、まして親が「自分の行き方を求めて」家族を棄てるとか蔑ろにするのは親の資格は無いのではないかと思う、そう言う人間は子供を成してはいけないだろう、
漂白の詩人と言われる山頭火と言う詩人が居た、あの不定形詩と言うのも理解しがたいがそれ以上に壮年になってから
「詩の為に」突然家族を棄てて旅に出てしまうと言うのはそれが芸術の為と言う理屈をつけても私には納得の出来る事ではない、家族でもなんでもないから大きなお世話だが聞く度に腹が立つ渡しはおかしいのか?
それはそれとしてこの内容は山岳救助隊の話しである、大変な仕事だと思うしすごい方たちだと思う、
しかしこの登山と言う遊び(と言えば恐らく大反発を貰うとは思うが生活上欠くべからざるものでなく好きだからと言う事は基本的には遊びだと思う)は余り好きではない、
好き嫌い、趣味と言う事は個人の問題で此れは何の感想も口を挟む気も無い、しかし特に冬山登山と言うのはかなりの危険が伴う、そう言う意味ではこの「岳」と言う話は良かったかも知れないが一方で救助される側も含めて「山のロマン」と言った方向に行くとしたら「それは違う」と思う、
幾ら注意したとしても遭難といつも隣り合わせの遊びである、つまり生命がけの遊びである、捜索に掛かる費用は実費であると言う事も必ず表現しておいてい欲しい、
どんな山男も殆ど全て家族が有る筈だ、帰らぬ人となった時その家族の悲しみは想像に難くない、仮に助かっても体に傷は残る、そして多額の費用が残る、
「好きなんだから止められない」と言うなら結婚はするべきではないだろうと思う、そこを理解して一緒になる相手が居るならそれはそれで納得ずくだから良いだろう、しかし子供は作るべきではない、大人になって「親は趣味に殉じたから」と言う子もあるかもしれない、しかし物心がついた位の子供にとって親が居なくなるという事はやはり大きな悲しみになるだろう、
「最大の親不孝は親より先に死ぬ事だ」と言う、自分が育てた子供のする事だと諦めるしかないにせよその与えた悲しみは多大だと思う、趣味を追求するのも良いし安全志向で何もしない人ばかりになったら確かに世の中面白くもなんとも無い世界になるだろうが1つ1つ取り出してみるとやはり許しがたいと思う、
私は特に親の身勝手で家庭的にに苦しんだという様な若年期を送った訳ではないがどうしても親が家庭を省みないで自分の生き方を貫くのには承諾出来ない、人が悲しむのを見るのはとても嫌いなのだ、
今度の被災の様に天災や事故でも見ていて辛くなる、まして親が「自分の行き方を求めて」家族を棄てるとか蔑ろにするのは親の資格は無いのではないかと思う、そう言う人間は子供を成してはいけないだろう、
漂白の詩人と言われる山頭火と言う詩人が居た、あの不定形詩と言うのも理解しがたいがそれ以上に壮年になってから
「詩の為に」突然家族を棄てて旅に出てしまうと言うのはそれが芸術の為と言う理屈をつけても私には納得の出来る事ではない、家族でもなんでもないから大きなお世話だが聞く度に腹が立つ渡しはおかしいのか?