梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ゆとり教育の結果と官僚のふてぶてしさ

2012-08-20 19:16:23 | 雑記
バラエティ番組に「ゆとり教育」を推進したと言う官僚が出ていた、「ゆとり教育」は多くの弊害を指摘されて廃止になった事に対して質問をされたのだが、「ゆとり教育は正しい方法で効果も充分有った」と言う回答だった、無論それなりに考えて推進したのだからそう言う思いは有るだろうが結果として其れは否定された訳だし明らかに学力の低下が現われた、又社会人としてもかなり甘い人間に育ったと言う意見もある、出来れば「私は未だ云々」程度のコメントが欲しかったのだが収支薄ら笑いを浮かべて人を馬鹿にした様な態度に呆れてしまった、
公務員試験一種を通過した我々は一般庶民とは違う人種だと思うのが官僚の特徴だが其れが本当にあからさまに現したコメントだった、
国家公務員試験一種の試験自体彼の言う「詰込試験」その物の代表格だろう、「お前が言うか!」と思うのは私だけではあるまい、
詰込教育は弊害の方が大きいのは間違いないし彼の言う事は正しい方向だとは私も思う、しかし上意下達で進むわけも無い事は少し考えれば解るだろう、義務教育を詰込から変えたとしても国家試験を頂点に高校・大学と試験は知恵ではなく「知識」の量を計測する試験の連続である、
小中学で「ゆとり」を重視し、知識の詰め込みを止めれば当然、所謂「良い高校」には進学できない、良い高校には入れなければ日本社会では出世街道はスタートから外れる、
結果金のある連中が学校外の塾で「知識を詰込む」事に成る、その他の子供達は結局その時点で今風に「負け組み」に編入されてしまう。
もし彼が本当に「知識偏重の学校制度を変えなければ」と考えているなら取りあえず高校大学は入学試験を無くせば良い、その代り進学試験と卒業試験はそれなりの重度を持って望まなければならない、大学進学は入学した時点でフィニッシュだと言う、入学した年は羽を伸ばし、3年になったら就職運動に忙しくなるのでまともに弁居するのは2年生だけと聞いたことがあるが何しに大学に行くのだろう。
まあ其れは其れとして「ゆとり教育」で話題になった「円周率は概ね3」と言うのは噴飯物だな、数学で「概ね」なんぞと言う概念は有るまい、比較子と言う数式は有るがあくまで一方がもう一方より上とか下とか言う話で概ねでは円の面積や円周はどう言う答えにするつもりだ、
勉強時間を減らしてゆとりある学業をと言うなら取りあえず「教育委員会」や「日教組」にちゃんと話を理解させて詰込まないでその分自分で考えると言う事を理解させなければどうにも成るまい、
人それぞれ得て不得手が有る、成績だけが人の価値ではないと言う事をちゃんと教えられればゆとり教育の成果は充分に評価出来る、
詰込とは関係が有る川から無いが今の子供達は陰湿な虐めを繰り返し、「死ね」と言う言葉は面白い冗談だと言う、
卑怯と言う事がどう言う事でそれは最低な事だとをちゃんと教えられる事が何故日本から鳴くなてしまったのか、それも詰込教育の結果かも知れないとは私も思うのだが

韓国と日本の関係

2012-08-19 15:39:55 | 雑記
イミョンバク大統領が竹島上陸に関して「従軍慰安婦の問題」を持ち出していたが領土問題と従軍慰安婦の問題は本質が全く違う、韓国側は「領土問題自体存在しない」と言っているがこれも当たり前で当事国同士「昔から我が国の領土である」と言う所が一致しないから「領土が問題」に成っているので日本は「我が国の領土を侵犯したから逮捕する」と言っているのだからそちらが問題にしていると言っている訳ではない、「我が国にとって貴国は大問題だ」と言っている訳であれでは今回の事件の回答には成っていない、無論政府はそんな事は百も承知で出しているのだが一方で国内の選挙対応かどうか解らないが明らかに国民の「ナショナリズム」を刺激し煽っている、
元々韓国の教育は「反日教育」が社会教育の基本になっていると聞く、歴史上日韓の間には多くの利害関係が有った事は間違いないし韓国が日本を支配するような関係は無かった事も間違いない、又日本人の中に韓国国民を低く見るような風潮があった事も間違いない事実だ、
しかし其れは永い歴史の中でほんの僅かな期間、明治後期から敗戦までの5~60年間の事で江戸時代は鎖国状況だったがそれでも韓国から使節が来日している、
韓国が幾つかに分裂していた時代もありその時代も交流が有ったし日本が侵犯しようとした時期は幾つかの皇紀で有った事も事実だがせそれは「結果的に」であり、韓国が中国との軋轢から援助を求めて来たと言う事が切っ掛けである、
日清、日露の両戦でまるで日本がアジアの大国になったような勘違いをして併合なぞと言う愚かしい政策を取った時期が有ることは事実でこのことに関しては全く言い訳の出来る話では無い。
あえて言わせてもらえるなら軍部と言う狂気の集団が日本の政治を占拠した為に起きてしまった悲劇で勝手な言い分に聞こえるかも知れないが軍部以外の国民も大きな犠牲を払ってしまった、
恐らく日本の歴史の中で「無政府状況」に成ったのはこの半世紀だっただろう、
そしてその反動か今では国民の側に立つべき文官が軍部の居た位置に座り日本を更に違った方向に導きかけている、そしてその中にはまたぞろ軍歌の音も聞こえ始めている様でもある。
確かに植民地政策と言う過ちを犯したことは認めなければならない、しかし申し訳ないが今の韓国の人達の発言を聞いていると「補償しろ」と言う事が大前提でその為に「謝罪しろ」と言っているとしか思えない事があまりに多い、
戦争は何れにも悲劇しか残さない、しかし敗戦側に戦争で発生した損害を賠償させるとしたら結局また窮鼠猫を噛むと言ったことに成りかねない
ヨーロッパ諸国がアジアで植民地を作りやがて独立して行った歴史が有るがその間の補償金を支払ったと言う事が有っただろうか、
それで良いと言う事ではなく世界的な国家関係を維持するには此れが一番だと言う所に落ち着いた訳なのだ、
戦争で発生した損害を戦勝側が敗戦側にのみ求めると言うのは明らかにおかしいと言う事は解るだろう、当事国間でと言うなら日本はアメリカに「非軍事施設と一般国民に負わせた損害を補償して貰いたい」と切実に思う、
原爆と東京大空襲を筆頭に一般市民と都市を標的にばら撒いた焼夷弾は明らかに「虐殺・ジェノサイド」である、国際法廷に掛けたい位であろう、アメリカ国民も多くの国民を戦争で失ったが其れは武器を持ったアメリカ人だけだろう、
赤紙で一家の柱、将来を託す若者を借り出され、女子供だけの町を焼き尽くしたアメリカに補償を求める事が出来るなら韓国に対しても同じ事をしなければならないだろうが「戦争の賠償」は国際的に「求める事が出来ない」と言う事になっているのだ、

離婚の話、バツ幾つを自慢するおぞましさ

2012-08-18 11:29:40 | 雑記
最近、離婚率が上がり続けていると言う、確かに自分の廻りにも離婚暦の有る男女がうようよ居る、
昭和初期産まれの人間にはなんとも複雑で歓迎できない風潮だ、
我々の時代は離婚暦は1つの傷だった、女性は「出戻り女」と言われ田舎では顔を伏せて歩かなければ成らない、後ろ指を差されると言う存在だった、
男も「女房に逃げられた男」と言うレッテルはずっと付いて周り再婚にも離婚歴があると言う事は逃げられた理由があるとして敬遠される事が多い、無論離婚そのものは諸々の事情もあり結婚生活の維持は不幸を増幅するだけだと言うケースも当然ある、前述の様な不利益をも覚悟の上で離婚をしたわけだからむやみに批難される話ではない、そう言う意味では一度の離婚は番やむを得ないと言える、しかし、同じ人間が何度も結婚して何度も離婚すると言うのはやはり何か本人に問題が有ると考えるのが普通だろう、
嫌で仕方ない、憎しみしかないと言うのにヽ家庭に居ても仕方は無い、もはや家庭とは言えまい、
確かに一度何かが嫌に成るとあらゆるものが嫌に成る、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言う様なものである、何処までが我が儘で何処までは当然の要求なのかは個人差がある、性格も育ちも違う人間が同じ屋根の下で四六時中一緒に暮らすのである、当然軋轢は起きる、
我が儘と言う言葉は「自分が思う儘にしたい」と言う意味であるが二人居ればお互いに「自分の思う儘にしたい」と言う事が当然の様にぶつかり合う、相手が人でなく例えば家具の配置を我が思う儘にしようとしたら自分で好みに合うように動かさなければならない、しかし人間同士だと自分が思った事は相手が合わせるのが当然だと言う風に考えるが相手を我が思う儘にするにはそれなりに労力が必要なのだ。
今の結婚は大抵が恋愛結婚だがそちらの方が離婚率が高い、恋は盲目、ほれて通えば痘痕も笑窪である、相手を美化し自分も頑張って良く見せて恋愛を成就させても結婚すると「こんな人ではない筈だった」事が当然起きてきて「坊主憎けりゃ」になる、
「結婚する前は両目でしっかり見て、結婚したら片目は閉じる」と言う諺があるが大抵はこの反対である、
日本にはお見合いと言う方式が有った、親同士が決めるかこの見合いで相手を見定めて結婚をするのが大半だった、今で言う婚活みたいな物だが少し違うのは恋愛感情と結婚の順序が逆である、見合いで相手に恋をする事は稀であろう、見合いまでは見たことの無い相手と短期間で結婚をする、つまり結婚をしてから恋をするのだ、無論濃いには程遠い夫婦も居たろうが我々の親世代には見合結婚なのだが見ていると仲の良い恋人同士の様な夫婦も結構多い
やはり互いに相手との距離を見極めながら徐々に近寄って行く事がそう言う関係を築くのだろう、
恋愛を否定する気は毛頭無いが離婚暦を「恋多き」と言い換えて「バツイチ、バツ幾つ」と自慢げに話す連中には辟易するのだ、

蝉の声

2012-08-17 17:57:24 | 雑記
段々陽が短くなって来た、曇っているせいも有るだろうが5時半で既に表は薄暗くなって来ている、
それでも未だ昼間の暑さは充分に残っている様だ、これから帰る道中が少々うんざりする、
昨日来た孫が銭湯に凝ってしまい私の帰りを待って銭湯に行く筈だ、こっちは帰ったらシャワーを浴びて直ぐビールを飲みたいのだが少しお預けと言う事に成がまあ今年でもう来なくなるだろうから喜んで付き合わないとな、
今年は余り蝉の声を聞かない気がするがこの辺だけなんだろうか?東京の蝉はアブラゼミで鳴き声は「ミーン、ミン」と言う感じの声だが私の田舎ではクマゼミで「シャワ、シャワ」と言うか「シャンシャンシャン」と言う様に聞こえる鳴き声だ、
一説によると箱根が境で箱根以西はクマゼミで以東はアブラゼミだと言う、面白い事に漫画の擬音も関東の漫画家だと「ミーン、ミーン」と書いているが関西の漫画家は「シャワ、シャワシャワ」と書く、暑そうな夏空や校庭の画は殆ど変らないので気が付き難いが見事に違う、「ドクタースランプ」の鳥井明氏は名古屋だそうだがあの漫画はたしか「シャワシャワ」だった気がする。
昔一緒に素潜旅をしていた友人は宮城の出で奥さんも北海道だ、伊豆半島を廻って焼津の浜当目と言う海岸に辿り着いた時、日陰に車を置いてしばし昼寝をしたのだがこの海岸の北側は大崩海岸に繋がる山で鬱蒼とした広葉樹が繁っている、此処に大量のクマゼミがいて其れこそ山が振動しそうな大音響で鳴き続ける、友人はこの時初めてクマゼミの鳴き声を聞いたらしい、
「ウルセエ!」と跳ね起きて「何だ横の声は!とてもじゃないが寝られたもんじゃない」と怒り出したが自分にとっての夏休みの思い出に聞こえる蝉の声は全てこの声だったから逆に懐かしく気持ちよく寝る事が出来た、
最近はこのクマゼミは箱根を越えて相模から東京でも時折聞こえると言う、やはり温暖化が進んだんだろうか、
蝉と言えば抜け殻だが20代の前半頃兄夫婦と小学生になったばかりの姪を連れて川崎街道沿いで当時は名物だった梨狩りをした事が有る、
梨畑は蝉には絶好の住処らしい、梨の木には蝉の抜け殻が一杯付いていて蝉自体も未だ結構居た、梨狩りなので恐らく9月になっていたと思うのだが姪達は梨そっちのけで大量の抜け殻を集めてご満悦だった事を思い出した、
これからの時期は蝉の声はヒグラシに替わって来る、「夏もそろそろ終わりかな」と言う気になるのだが子供の頃は「夏休みも終わりか」と言う事も有って少々寂しくなった物だったが年齢を重ねるにつれて「やっと暑い季節も終わるか」とほっとする様に成ってくる、しかし東京ではヒグラシの声は滅多に聞けないな、
後1ヶ月位は暑つい、年齢と共に一年はだんだん短く感じてくるがそれでも夏は結構長い。

花火の話

2012-08-16 18:21:55 | 雑記
漸く8月も半ばを越えたが未だ々暑い、昨夜は近くの多摩川で花火大会が有った、距離はかなり近く大玉が上がるとガラスが振動する、しかし丁度その方向には背の高いマンションが有って4階の踊り場に出ても一番大玉でやっと半分程度が見えるだけだった、
しかし花火見物をしているのは1軒だけで他の家は誰も見に出て来ない、核言う我が家の女房も全く興味が無い様で、大玉が上がる度に「煩い!」と言う反応だった、
しかし夕方電車で戻る時には駅前が大変な混雑だったらしい、土手は次の駅だが雑色の駅には焼き鳥の店が数件ある、よく知っていて此処で買い込んで花火見物に行くらしく「普段は精々5~6人でも多い方なのに今日は20人近く並んでいてどうしたんだろと思っていた」と言う事だったがそれでも帰って私に「何かあるの?」と言う程度の反応である、
思い返してみても最後に花火見物に行ったのは何時頃だったろう?写真やテレビで見ると「素晴らしいね」と話すのだが二人とも横着と言うか人込みが苦手なので行こうと言う気にはなれない、
一緒になってから言った事は恐らく無かった気がする、と言うより東京に出てきてから純粋に花火見物をしたのは恐らく無い、純粋でなければなんだと言うと友人が飲屋をやっていて川崎の花火会場近くに店が有ったので土手で無許可で焼き蕎麦とビールを売った事が有るのでその時位だ、
20代の後半位に大瀬崎に潜りに行った時に箱根から十国峠を夜走った事がありそのときに丁度熱海の花火大会で熱海峠からずっと下に蒲公英の綿毛の様な形に見える花火を見た事が有るが真っ暗な海にポンポンと開くのを暫く見た事、仕事で翌日の朝までに部品を届けなければならないと東名を名古屋に向けて走ったときに実に彼方此方の花火を遠目で見た事、
やはり20代の後半か30代の始めに浜名湖の花火を遊覧船から見た事があった、此れは結構見ごたえがあったな、マニアックな友人が8mmで写していたのが有る筈だが音信が途絶えて既に20年以上経ってしまった、
産まれて初めての花火は中学生の頃自転車で掛川城の下まで見に行った事だがこの時は悪友が無免許のスーパーカブで二人乗りで行って見事に帰りに警官に捕まった事の方が印象に強い、
まあ其れが行かなくなった理由では全く無いが其れ以来花火見物を目的に出かけて言った事は無いな
今日から孫が又遊びに来る、今回は4泊5日だそうだが目的は「銭湯の梯子」だと言う、無論一日でと言う意味ではなく毎日彼方此方に行きたいらしいが自分は面倒くさいので余り行きたくも無いのだが、年寄りと孫が逆転現象を起こしている、
まあ、来年から中学でもう来る事も無いだろうから今のうち可愛がっておこうと女房と話しているが大きくなっても「孫は来てよし帰って良し」である