河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

画学生時代のデッサン1975-76

2018-04-29 01:21:07 | 絵画

ベルギー、ブリュセル王立美術アカデミーの学生時代が私にとって最も重要な時期だったと思えるデッサンをピックアップしてみた。年間千枚のノルマを課せて、毎日、休みなく2ないし3枚を描くことにしていいた。幸い、アカデミーの授業で午前の人物画の油彩についで、午後には人体デッサンが3ポーズあった。1ポーズ45分で15分の休憩で、モデルさんは我慢強く動かなかった。週5日、私以外誰も学生が来ない日もあって、モデルは私に好みのポーズをリクエストするように言ったが、やはりモデルにとってきつい45分にならないように気を使った。

ここに揚げたデッサンは皆45分で描いたものである。紙サイズは250x350mm。紙の材質は安く手に入り、鉛筆Bか2Bが良くのるものを選んだ。しかし何十年もたつと酸化で茶褐色になり、漂白と中和が必要になっている。もっとお金があったら、中性のコットン紙の表面がざらついたものを使っただろう。

初期的には石膏デッサンの物の見方を改めることから始まった。石膏デッサンは見た目の現象を追いかける描き方だった。そうではなくて、見えるものから感じた形に作り替えることが創作であり、自分が感じ取ったものを紙の上に作り出せる能力を養うのがデッサンであった。

75年1月 自画像

75年4月 自分の手がモデルだから左手ばかり描いた。

自画像は毎日描いた。75年9月

75年10月

75年10月

全身もこもこした形に置き換えて、現象から離れるようにした。

75年7月

76年2月

線描を主体的に用いて、アクセントのような影を入れて形を感じさせるようにした。

 

 

 


最新の画像もっと見る

post a comment