「見る」には一般的にたくさんの意味があって、最近チコちゃんがうるさいので「ぼーと、みてんじゃねぇ!!」という意味を書くことにする。
人が何かを見るときは、最も情報量の多い「確認」を行っていると思う。視覚障害のある人には申し訳ないけれど、見えることで活動のための判断を簡単にできる。五感のうち最も優れた感性であると思う。いや、耳が聞こえなくなっても、作曲を続けられたベートーヴェンにしてみれば、経験で積み上げた音の感覚で作曲に関しては障害が無かったと言えるだろう。
つまり、赤ん坊の時から何でも判断できたわけではなくて、目の前の物も手を伸ばして、何度もつかもうと繰り返した経験から手が届くと、次第に判断できるようになったといえるが、見えているからと言って誰もが同じ経験則で理解しているとは限らないことが分かる。個人的経験が根底にあって、見て得られる感性の積み上げを行っていると言えるだろう。
そう、「誰も同じ見え方をしているわけではない」と言えることが、今回の主題です。「見る経験」を各自どのように行っているかで、思考回路も随分個人差があって、特に視覚表現を重視している画家にとって(していない人もいるのだけれど・・・・)大変重要な感性です。
私は2012年まで油彩画の保存修復家をしていた。前にも述べたように保存修復で求められる「見ること」は保存状態の観察であり、絵画表面の保存状態を見て、どのような状態にあるのか診断し、記憶することが、まず一番先にやる仕事である。この記憶することは「視覚的」に記憶することである。ここで先に診断する能力に個人差があり、記憶した内容にも差が生じる。相手が人間である医者なら「誤診」で命にかかわることもあるだろうから、必死でなければならないが、修復家の場合は人格に問題があるような者でも、修復家として働いているから、個人差は問題である。しかし素人目には個人差が分からないから、修復家の業務の優越は変わらないだろう。この国では修復家に能力基準となる公的な資格制度がないのが問題だろう。
見る事には、個人的な興味つまり趣味嗜好が左右する。私は昔から絵を描くことが基本に在って、ベルギー、ドイツで修復家の修業をするとき、技能を認められた。つまり、歴史的な絵画技法、材料に興味があって、文献資料から学び、そして第一義に実物の絵画から学んだ。そして帰国後、新聞社の主催する展覧会の借用作品の日本到着時から各会場移動、作品展示、最古の撤去返送までの間に、多くの巨匠の作品から、二流の画家までの作品を点検するときに、保存状態を記憶し、原因などを頭に叩き込んで置く作業を繰り返した。このことは私の目利きとしての基礎である「作家の技法、材料、技巧、表現様式そしてそれらが原因の経年後の劣化、損傷」を頭に記憶させた。
つまり、目で見て記憶して感性で分類することができた。これは誰もが出来ることではない。まず絵画が描けて、歴史的な技法材料に興味が必要だ。そして絶えず、それらを分類しておく習慣が必要だ。こうしたことは「絵を描かない美術史家」には向かないだろう。だからネーデルランド絵画史の先駆者であるドイツ人のマックス・フリートレンダーは私とは違った「目利きの方法」をあみ出している。それは表現様式の発展史のようなまとめ方に、作家個人の特徴的な表現方法を見つけておくことで、原作者に近い工房作品との区別などを行ったのである。現代の美術史家で欧米の研究者はこうした方法を大事にするが、この国では一般的ではないらしい。だからと言って、特別な目利きの方法は無いようだが。
私は、絵を見るときに保存状態ばかり見てきたわけではない。画面全体が見渡せるところに立って、作者の表現世界を味わうことをしなかったことはない。ここでも視覚的記憶をフルに生かして、作品の完成度を捉えるようにしている。
ここからが本題で、やはり「美術は見るための表現がされたもの」と言いたくて、この主題を再度選んだ。それというのも、今年も芸大の油絵学科の入試で、二次試験となる実技「デッサン」の課題が「世界を考える、世界を見る」だっという。描写力のテストではなく、発想力を問うものらしい。それは言葉の意味から連想するイメージを描けということだ。貴方ならどうします?「世界を考える」と何が頭に浮かびますか?「世界を見る」と言われて「見たこと」がありますか?この観念的と言うべき出題が出来る人物に会ってみたいが・・・・。言葉のヒントから、絵画的表現が生まれることが期待されているのか?それとも奇抜な対応をする受験生を選抜する手段としての出題であったということなのか・・・まあ受験生には「絵画表現」という高度な品質は要求されていないだろうから、後者かも知れない。合格者の作品の復元を紹介している「すいどーばた美術学院」の案内によると、合格者の資質には、「観る者が感じる基準」が無くて、「考えること」が基準だとしか思えなかった。これでは美術はお終いである。観念アートは美術ではない、美術と別の表現方法とと理解すべきというのは、これまでにも述べてきたが、芸大の中にもすでに、混乱して存在しているのは、教授たちが観念アート、現代アート、現代美術などの言葉に厳密な違いを求めない(これは国民性)こともあり、美術館関係者、美術研究者でさえ、視覚表現の範疇を決められないからであろう。
先に芸大美術館の館長の「展覧会に行く前の前知識(先入観の勧め)」は典型的な「美術への観念的傾向」である。先入観で思い込みを与えていると、見る側は「分からねばならない」と自分に言い聞かせて、自分の「思い込み」と照合しながら美術作品を見る。これを鑑賞というだろうか?
世の中には情報があふれていて、キャッチコピーは人を釣り込み為に、言葉の手段を択ばない。(それに乗る人は、詐欺師に騙されるのだ)
美術館で開催される展覧会の宣伝は時として度を超える。大枚の経費を回収するために、少々大げさな、事実と反する宣伝文句が使われる。かつて西洋美術館で開催されたバーンズ・コレクション展を憶えておられるだろうか?共催の読売新聞は十数億使って準備をしたので、費用回収の為に、宣伝に「門外不出絵画作品、本邦初公開、このコレクションは東京のみの限定公開」だと宣伝し、観衆を煽った。そのせいで毎日朝から押すな押すなの大盛況。巷でも「もう、バーンズを見た?」というのが挨拶のように聞けた。それはまるでディズニーランドへ行った?というのと同じレベルであった。
連日、朝6時ごろから(開館は特別に早めて、9時が8時半、そして8時、と変わった)人は並び、開館時間にはすでに4,5時間待ちであった。そして昼近くには7時間待ちの人もいた。普段の閉館時間も5時から、6時、6時半、7時と変わった。
長時間、寒い時期に外で待った人たちには、本当に申し訳なかったが、そんな状況になるとは美術館側としては想定外であった。入場制限として時間チケットとか、曜日チケットとかいろいろな手段はあったはずだが、読売新聞は「無料観覧券」をいくら配ったのかさえ言わないから、入場制限が掛けにくかった。連日待った人は寒空で、トイレに行きたくても「我慢」して、並び続けて・・・・中には美術館の裏口から飛び込む人もいた。その一方で裏口から入ろうとするもの後を絶たず、当時元気だった「長嶋茂雄」は裏口で「いよー!!」と声をあげて入ってしまったし、政治家もずるした。これは読売が裏で手配したのだ。会期中には美術館側と読売との間ですったもんだもあった。館内の収容人数の基準を超えた時には、入場を一時止める事に成っていたが、読売の担当者がかってにゲイトを開けて、大混乱した。学芸課の打ち合わせ室では読売担当者と学芸員(私も含めて)怒鳴り合いで、もう少しで殴り合いだったのを思い出す。(今から思うに、あの時、殴っておけば良かったと、イヒヒ)
入場者の収容基準と言えば、新館展示室1500平米に対し、瞬間滞在者2500人は少し多かった。美術品との間には堅固なバリケードがあって、事故防止を図っていた。だから1平米に2人以上立っていたと思える。保存管理者であった私は、たとえ開催時間中であっても、人ごみの中を押し分けて、作品の状態を観察しに行かねばならなかった。しかし、人を押し分けるたびに、周囲の人たちに睨みつけられた・・・まあ、当然だけど。作品の展示は、普段額縁のセンターが150cmくらいにするが、そのときは180cmであった。温度20℃から23℃、湿度50%から55%との設定も、空調機は殆ど効果なかった。それから二酸化炭素濃度は公共の多くの人が出入りする場所はやく2000ppmが基準であるが、展示室内は6000ppmを超えた。気分が悪くなった人の為に救急車が何度か呼ばれた。何もかも異例ずくめであった。中庭にまでセットした仮設トイレは連日、満杯!!そこにも行列。特に女性用だった。館内の女性トイレも数が少なかったので、申し訳なかった。閉館時間に名残惜しい入館者を追い出して、館内を点検すると、毎日必ず2,3か所はおしっこが展示室で見つかった。ある時はウン子もあった。人のプライドもかなぐり捨てさせたこの展覧会は二度と開催させてはならない。ちなみにこの展覧会で読売は十数億使った言うが(本当のことは知らない)6億ぐらい儲かった言う。そこで西洋美術館は1億貰って、それを原資に「財団法人:西洋美術振興財団」を作った。(私は2009年に「美術館・博物館における地震対策」という国際シンポジュウムの為にすこし資金を融通してもらった。が!!
7時間も並んで、展示作品を見るために費やした時間は平均「わずか30分」であった。見るとはいったいどういう意味であったろうか?作品より人の頭を見に行ったという感想も多かった。
そこまで「見なければいけない」展覧会であったろうか。開催は東京会場のみとされていたが、それが違うことを読売は知っていただろうに。東京のすぐあと、東京に来た輸送箱のまま、ミュンヘンに送られて、そこで大々的に「バーンズコレクション展」が行われていたのだ。たまたま出張でミュンヘンでそれを見る事に成った。まあ、日本人の熱狂は、ドイツ人は見せない。静かでゆったりとした会場であった。
主題に戻ると・・・・。美術鑑賞というものは、落ち着いた雰囲気の中で、ゆっくりと全感覚を用いて、作品に描かれた世界を感じとるものである。
やはり美術は「視覚表現」を手段としたものであり、絵画は「視覚的表現方法で作り出された虚構世界」であらねばならない。作品中に「我々が住んでいる世界とはまったく別の次元の虚構の世界が充足した形で存在しなければならない」と考える。こうした考えに基づく制作活動を行いたい者は芸大の油絵学科では無く、日本画学科へ行くべきだ。こちらはまだ描写力を基準とした「入学試験」を実施している。日本画の教授がもし観念的な表現を望んだら・・・・伝統的な絵画としての日本画は消滅したことになる。まあ、すでに多かれ少なかれ、教授陣のデッサン力は明治の画家たちと随分かけ離れてしまっている・・・・というのも石膏デッサンのせいだろう・・・・立体感が日本伝統絵画の失態間や空間感ではなく、西洋的立体感や空間感になってしまっているから・・・・画材だけ日本画でと言われてしまう。それとモチーフの選び方が「個性的ではなく、皆同じ」で、そのモチーフを選んだ「モチベーション・理由」が感じられなくなっている。描く方がこれだと見る方も困るだろう。
かつて日本の絵画は「明確な主題性」を持っていた。だからモチーフの選択が突拍子もないということはなく、時代背景から主題の要望に応えてきたのだと思う。雪舟の水墨画をご存じだろうか?禅僧であったから、絵画も宗教であったと解する人はいないと思うが、それこそ絵画の中に描かれた世界を「無言で感じ取る」ことは・・・私のいう「見る」ということであり、観念アートなどとは全く別物であることがお分かりいただけるだろう。観念アートは観る事より「コンセプトを考えること」が目的となっているため、表現したい画家当人の自力の限界でむかっても、見る人に伝えられる保証がないのである。
私はやはり「描写」によって、見る人の心を惑わす「虚構世界」を描写によって構築したい。観る人には「それ以上でもそれ以下でもない世界」を・・・言葉の説明なしに…見ただけで伝わるように作り出せたら、それが完成だ。いまだに、その修行中であるが。
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