河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

絵画の照明について

2017-06-21 10:52:35 | 絵画

絵画を鑑賞するには光が必要だが、ほとんどの美術館では照明に制限がされている。「美術作品の保存のため展示室は暗くしていあります」という注意書きが必ず見つかるようになってきたが、この注意書きはあくまでも暗いと言って「すぐに怒る人」の為のもので、行儀のよい紳士淑女の為に置かれているのではない。それはそれとして、温湿度の問題と同様に過度の照明には美術品の素材を破壊する力があるので、暗くしているのだ。

光はご存知のように電磁波の一種で、振動する波の波長が短いほど破壊力が強い。一般的にもよく語られる紫外線は波長が可視光線より短く、X線より長い。波長が短い紫外線やX線は目に見えないのが特徴で、我々の体に当たればガンなどの病気を起こす。紫外線には殺菌作用があり、紫外線ランプは食品加工場などの殺菌に用いられたりする。(最近、掃除機に紫外線灯が付いているものがあるが、短時間の照射では菌は死なない。気休めである。)

紫外線には鎖結合した油脂などの結合を切り離してしまう、つまり分解させる力がある。したがって日光が入る部屋の壁に油絵を掛けていると、表面は分解して脆くなっている。また酸化漂白作用があるので顔料によっては彩度が失われかすんだ色になる。また逆に液体の油脂は酸化が促進されて結合力が劣化する。紙のような繊維は、やはり繊維の劣化を起こし、白い紙も茶褐色に焼けを起こす。(必然的に自然光は紫外線除去フィルターで95%以上取り除くために、大きく開けて設計されていた窓には追加の工事を行うことになる。少し暗くなるが屋外が見える程度のフィルターで、閉塞感は免れる。しかし一方で最初から外交の入る窓のない建物が70年代から流行した。ドイツでは徹底して外光を除去し、温度湿度と共に照明も人工的な物に換えた。まるで天井から自然光が入っているように見えたら、担当技術者の高度な手法で違和感を感じさせないように工夫されていることを知ってほしい。)

従って、美術館の展示用照明器具は紫外線の出ない照明具を使ってきたが、紫外線除去された蛍光灯、ハロゲンランプ、タングステンランプなどに加えて、最近ではLEDランプが使われるようになった。先の3種類は熱を放出し、特にタングステンランプは空調の内乱(展示室内部での障害)を起こす原因にもなったが、LEDの登場で熱放出の問題は来館者の体温だけの問題になった。

個々の照明器具にはそれぞれ特性があって、蛍光灯(美術館用の紫外線を除去したもの)は色温度(ケルビンで表す)が高く、つまり実際の色彩より冷たく青白く見えるのである。ハロゲンは色温度はいくらか選べて、太陽光に近いが、熱放出が強く紫外線も出るので、フィルターを必要とする。タングステンは紫外線はないが熱線が強いので、空調の内乱原因として注意が必要。(昔、ニューヨークでダリの作品をテレビカメラで撮影中に、テレビ用照明のハロゲンランプだと思うが、絵の保護に額縁に取り付けられている阿久里に近づけすぎて、アクリルが溶けてダリの絵画面にくっついてしまったという話を聞いたことがある。少しオーバーかもしれないが、それほどハロゲンランプは熱いということだ。しかし撮影用ランプには冷却用ファンが付いているはずだが。)タングステンランプは色味として温かい。色温度が低いということだが、青い空が美しく描かれた風景画には向かない。・・・・そうランプの性格によって皆が見ている絵画は、描かれたときの色彩とは違うものを見ていることを覚悟しなければならない。

そもそも展示室で見る絵画作品の色彩は、温湿度や照明などという保存に不可欠な環境整備によって、もはや事実とは違う状態で鑑賞することを受け入れなければならないのだ。紙類は50~80ルックス、油彩画は180~250ルックスで、彫刻や工芸品の金属や石などは展示室の雰囲気を壊さない程度だ。(石の彫刻にオリジナルの顔料が残っていれば50~80ルックスもあり得る。ちなみに修復室で修復の作業を行うときはテーブルの上は2000ルックスぐらいの明るさを確保する。これはオリジナルの状態を確認し適切な処置を行うためだ。2000ルックスと言うとどれほどのものかと言うと、30ミクロンぐらいの顔料の粒が肉眼で色味を判別できるぐらいだ。0.03mmのインクペンがあるが、白い紙にプツと突いてみて確認すると良い。

展示室で見る水彩画などの色味は良く見えない状態であることは仕方がないが、かつて西武美術館で大英博物館所蔵のレオナルド・ダビンチの素描の展覧会で、大英からスタッフが来て照明を行ったというものを鑑賞したことがあった。80ルックス以上あるように感じたのは、彼らの照明技術の腕が良かったからだろうか?

いずれにせよ、暗い展示室にいきなり入ると何も見えない。個人差はあれど、暗さに慣れるには、おおよそ20分間必要とされる。気の利いた美術館では展示室の入り口から徐々に暗くして、違和感をなくす努力をしている。

さて、温度湿度、そして照明まで人工的に制限されている美術館に、鑑賞に来る人々は長くても2時間程度の滞在で、展示室の環境は全く受け入れられないものとはならないであろう。しかし中で長時間働いている人たちの中には、Museumkrannkheit(ムゼウムクランクハイト 博物館病)と呼ばれる日常生活に少し体調が悪くなる人もいるようである。

私はもちろん美術品のある修復室か大事な図書のある研究室で過ごしていたので、その影響はあったであろうが、仕事中は気にする余裕はなかった。勿論喫煙は禁止されているので、諦めるのが良い。

 

 

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