河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

嵐は去ったか!

2020-09-07 22:22:00 | 絵画

台風10号はどうやら韓国、北朝鮮に向かって行って、熱帯低気圧に変わったようだ。浜田は丁度、暴風域と強風域の境目辺りで表示されていたので、気象庁が言うように風速50m/sとか60m/sとかだとえらい目にあうだろうと思って、プランターのトマトに囲いをしたり、そこいらじゅうの飛んでしまいそうな物をひもやロープで縛って、いつにない対策をした。イチジクの実が少しでも熟れたものから風で落ちるので、これも懸命に収穫して「イチジクの赤ワイン煮」を作った。このクソ忙しいのに・・・。

いよいよ月曜日の朝7時、8時ごろに大風が吹いてきて・・・・と思ったら、何時まで経っても生ぬるい風が吹いていて、ちっとも想定被害は起きなかった。被害と言えば寝ないで庭の子猫たちの様子を見に行ったため、良く寝ていないことだろうが。当の子猫たちは私が頻繁に懐中電灯で照らしてのぞき込んでいたので、寝ていても飛び起きて隠れるなど・・・もう寝れないと思ったか・・・大騒ぎを始めて子猫レスリングをする始末。「お前たち!!早く寝ろ、台風が来るぞ!!」なんてね、昔から父親が「テレビなんか見ていないで、早く寝ろ!!」と言っていたのを思い出す。彼は私が「還暦」になっても、言い続けたのだから・・・嫌な親だろうと思うが、子猫たちは日本語が分からなくて幸せだろう。ただ子猫たちがあまりにも能天気で楽しそうだったので、気疲れした。

朝方5時過ぎには明るくなって、家の前の海が気象庁の予報では波の高さ5mと言っていたが、なんのことはない1m程度だ。海面に小さなさざ波が立つ程度だ。気象庁の波予報担当は日本海の沿岸では「南の風」では結構強い風(風速15m/s程度)でも波は高くならないのを知らないのだ(この辺りでは漁をするため常識)。ついでに雨が僅かしか降らなかったため、外でぼんやりしていると蚊に食われる。8月は殆ど雨が降らなかったので虫が多く生き残った。

しかし午後には南の風が強くなり始めて、裏山の木がうなり始めて、ちょっとうるさい。台風が過ぎてからの方が風は強くなって、時に体を持って行かれる。

一体、台風9号との違いは何だったのか?9号は大風が一晩中吹いて山の木が唸りをあげて、窓を閉めていてもうるさくて寝られなかった。9号と10号は殆ど同じ進路を描いて北上し、朝鮮半島に上陸したが、10号は一気に勢力を弱めて熱帯低気圧化したのはどうしてか不思議がられたが、何が違うかと言えば、9号はこれまでで最も高い波を家の前の岩や波止にぶっつけて、丁度満月の大潮の時期に当たって高潮が同調して、前の住人が10年に一度の波と言った6mの大波が来たのだ。しかもうねりがあって、大きい時には我が家の石垣にもしぶきが来る。しかし雨は降らなかった。何がこの大きな違いを産んだのかというと、風邪の吹いてくる方向の違いだ。北東から吹いた風は大波をもたらす。

9号が開けた翌日には釣り客が押し寄せて、ヒラマサをゲットしている。ぬるま湯のような海水が混ぜ繰り返されて、水温が下がって食欲が失せた魚たちが動き始めたのだ。しかし雨が降って海面が上に水潮、下に海水となったほうが餌盗りの小魚が上に来なくて良いのだが(川から流れ込む汚れた淡水は比重が軽いので上に来る)海の水は未だに透き通って、釣りには今一だ。イカは何処へ行ってしまっただろう?

それより5匹の子猫のうち、最も独り行動が目立つ茶トラの子が調子悪そう。独りで私の足元に来たりすることもある、気になる子だが、一番痩せていて母親の乳を最ももらえなかった子だ。母乳に免疫力を与える栄養があるのは哺乳類では当たり前だが、もうすでに乳児の時から競争に負けて淘汰されてしまう。人間ではあり得なことが猫たちには厳しい。猫ミルクを買ってきて注射器で飲ませるが、嫌がる。もう無理やりやるしかない。ほっとけば三日と持たないだろうから。

こんな調子で、今絵を描いていません。時々、自分の描写の世界を想いだして、プロットのイメージだけでも固定しておかねば次がない。しかし生きるか死ぬかの子猫のことを考えてしまう。私の絵のテーマは「生と死」だった。でもそれは「虚構」であって、現実が私を叩きのめす。また墓掘りはいやだ。

 


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