河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

描写の絵画2

2020-06-03 13:32:41 | 絵画

かつて描写の絵画(2019年9月)と題して一度書いたことがあるが、今回はもう少し別角度から追記したいと思う。

いつの間にか「描写」の意味が問われないうちに、描写の絵画は「油絵」から追い出されつつある。描写の意味を問わないで、具象絵画もその価値が失われたかのような扱いを受けている。今年の東京芸術大学の油彩学科の実技試験は観念アートで出題し「世界を見る、世界を考える」でデッサンしなさいというものであった。それは視覚表現より観念的なアイデア勝負で資質を見ようとし、描写の基礎力を問うものではなかった。描写がしたければ日本画学科を受験するしかない。日本画は観念アートになれないのは「日本画」のアイデンテティを失う訳にはいかないからであろう。これにも少し問題があるのだが、何故日本画独自の材料で描写に拘って、洋画風な表現に変質してきたのか・・・・西洋クラシック音楽がその優れた音楽性と栄光を優れた演奏の才能で再現できなくなったら、なんとも人間の歴史はつまらないものだと思うが・・・・何事も曖昧で生きていようとする日本人には日本画はファジーで過ごしやすいのかも知れない。

何故「描写の絵画」が遠ざけられようとされているのか、日本画についても同様の問題が含まれるが、考えてみればこの美術界のマンネリ化が原因として大きいかもしれない。従って今回は「描写の絵画」を分類しながら考えてみたい。

誰もがビギナーとして絵を描き始めるとき、油絵の具など専門的な領域で使う材料を手にして、つい思い付きで・・・はやる心を押さえつけずに、恣意的に何かのイメージを描いてみたくなるだろう。これが最も創作的で素直な制作欲を反映していると思うが、すぐにこの新鮮なモチベーションは失われて、頭で考えて何をどう描こうか思案するようになる。それは小学生の絵画作品に現れている。お絵かきの授業の前に先生から「こういうものを描いてみよう・・・」とか言われて、その気にさせられてしまう。しかし中には奇抜で優れた発想で絵作りが出来る子もいるので、この頃が一番「見えるものを写生することより、思いつくもの」を思い出して描くのである。このことは芸術表現の「虚構性」に結びついて、見る側の者を喜ばすのである。実は私が「構想画」と呼ぶ最も理想的な創作意欲の成果としてある成果物に近いのだ。この制作態度は最後に触れるが、視覚的経験から「形」「色」そして情景を思い出しながら「描写する」ことは、子供にとって最も感覚的に受け入れられる絵の世界だろう。子供にとってそれが芸術であろうがあるまいが関係ないところが素晴らしい表現を産んでいると思う。

しかし大人になると、そううまく世の中は思いが実現しない。子供のころの創造意欲や視覚的記憶力は失われている。なぜかというと「観念的になるから」である。アイデアや先入観が先にあって、感じることを素直に自分の中に取り込んでいないからだ。

大人になって、ビギナーがまず一番に飛びつくのは「写生画」だろう。「静物」「風景」「人物」を主題として、目の前にモチーフがあることで、観念的な自分の対応に安心する。しかし多くの人はうまくいかない。結局、大人の人間にとって失われた感性で描き始めることは困難で、ここで「描き方のマニアル」を必要とする。つまり不足した感性を補うために「考え、考え」とりかかろうとする。趣味で絵を描くには、これは大賛成だ。働かない頭に方向性を与えるのだから。

しかし、ここでよく考えて欲しい。「写生」とは「目の前にあるものを、右から左に写す行為」であるから、決して難しいことではない。大事なのは「観察力」で、目の前にある現象を確認できれば、「描き方のマニアル」には「筆をこう動かして絵具をこう使いなさい」と、経験で身に着ける技巧を短時間に済ませてくれる。つまりこの程度の「写生」は決して誰にも難しいことではないから、楽しんで始めれば良いだろう。

この写生画のもっとも極端な例が「モチーフそっくりに描く」ことだが、正確に描くことが求められたのは「写真機」が無かった頃の話。だが現代絵画に「写真からそっくりに描く」油絵が多くみられる・・・が、技術的には「写実絵画の一つの極限」であろうが、創造性や芸術性とは関係ないことで、技巧を認められたい自己満足に終わる。まあ、「良くできました、それで?・・・」というレベルで、これは趣味の世界ではなく、プロを自認している者たちが陥っている世界だ。

絵画の基本は「そこに虚構の世界を作り出す」ことであり、作り手の喜びが観る側に伝わるためには、表現された「世界」に錯覚を用いて引き込むことである。つまりその世界は写真のような客観的に誰もが認められる現象を見せるのではなく、作者の感性を通して感じた世界が画面に展開されていることが重要になるのである。

後期ルネッサンス(16世紀)を生きたジョルジュ・ヴァザーリという建築家、彫刻家であり画家は自身の絵画論の中で、ルネッサンスの「巨匠たちの絵を真似ているうちに技巧が身に着き、絵画作品が描ける」、これをマニエラと呼んで推奨して居た。16世紀後半にはイタリアには多くのマニエリストが生まれ、独自の絵画様式が生まれ、北方にも影響を与えた。つまり模写をしていれば巨匠の影響を受けた「作品」が作れるということだが、優れたデッサン力で人体を表現するイタリアルネッサンスの画法がヨーロッパ全体に行き渡ったことは否めない。(模写は個人に限られた資質を発展させるには優れた学習方法である。特に巨匠の作品に限定するが。)一言述べると、どんなくずのマニエリストの絵画の方が「写真を写す」よりましだ。イタリアでは公開の教会の壁に壁画が描かれて、優れた巨匠の絵画を見て影響を受ける機会が多く、北方の絵画の在り方とは違った発展形式を持ったことは後続の画家たちには幸いであった。

そうなると次の「描写の絵画」は「写生」から一歩、二歩離れ、発展させられた絵画である。たとえ写生からの出発であっても、世に優れた「静物画」や「風景画」などがあり、人物画にあっては作者の感性で優れた精神的なつながりを感じさせて、絵の世界に引き込む力のあるものも沢山ある。17世紀には静物画や風景画、肖像画は宗教的主題とは関係なしに独立してより人間味を感じさせるに至った。当時はやはり宗教や神話を主題として描けることがが優れているとされ、静物画や風景画はその一部の練習程度の扱いを受けていたことは以前書いたことがある。独立した価値が認められるのは偶像破壊によって北ネーデルランド(現在のオランダ)でカトリック的な教義が否定されて市民が求めるものが変化してからのことである。静物画にせよ風景画にせよ、見えるがままに描くことはしなかった。誰もが同じ結果になるような絵画は求められなかったのである。だからそこにはデッサン力と言うべき画家個人の感性で描かれる形や色彩が独自の空間を作り出すことが求められていたのである。従って現代の趣味感覚の「写生画」ではなく、私がいつも主張する「虚構」として、現実には存在しない世界を作り出すことが是であったのだ。これが第二の描写の絵画である。つまり小学生のお絵かきの在り方と同じ視覚的記憶によって創作が加わってくるのである。最も当時の画家は屋外で風景画を描くのではなく(逐一練らねばならい絵具など屋外に持参するのは困難であった。たとえ豚の膀胱に油と練った絵具を保存できることもあっても。)、屋外では紙にデッサンをして家に戻ってアトリエで本作を描くというのが普通であった。だから視覚的記憶に創作が加わるのは当たり前であった。これまでどの様に描かれているのか判別できないような技巧で仕上げられたものが、レンブラントのように筆痕を巧みに使って迫力ある描写を生み出した画家も登場する。彼の筆さばきは独特でエックス線で見れば、彼の作品のコピーは直ぐに見破られる。晩年の自画像では「ほほの皮膚がやんわりと弛んだような表現」も筆先の加減で表している。この作品を見た時、観る者にゾクッとする感想を与えるだろう。

次には更なる発展形式について解説すると、この「虚構」が意識的に社会や注文主から離れて自由を主張した絵画がある。画家も地位と名声で注文が来るようになると、創作もより拡大できる。それが売りでもある。例えば料亭に行ってメニュを見て注文はしないであろう。通常はそこの当日の献立というのがあって、それを黙って客は楽しみに待つのである。だから作り手は相手のことを考えて献立は予め考えてある。画家にとっても同じであろうが、絵画作品は料理と違って深い精神的な満足感を与えねばならないので、誰にも同じ満足感を与えられるとは限らないが

「この世にないものを在るがごときに(錯覚させる)」というのが芸術の基本である。ここが料理が芸術にならない点である。(料理の味は錯覚では困る。錯誤ではさらに困る)

絵画の中では「建物も宙に浮いていても許される」し、「人殺し」も許されるので、表現力次第で観る者を虜に出来る。人物画で左右の足の長さが異なっていても構わない。バランスがとれていれば、それが作品の魅力だったり出来る。

今日、描写の絵画は「古物」扱いを受けているが、今後も発展する可能性はいくらでもあり、写真的(あるいは写真その物を写す)ことに走らないことで具象画の限界を打ち破らなければと思う。

 


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