風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

夫婦といえども男と女というもの

2015-07-03 07:36:29 | 心理と真理
私に夫はいない
5年前に他界した

結婚35周年記念旅行に行った
娘たちからのプレゼント

新婚旅行以来初めての二人旅
といってもどちらの旅も一泊旅行

35年いろいろあったけれど
離婚したいと思ったのは一度

お前たちのためにしたい仕事ができなかったと
ぼそっと言われた時

死んでしまえと思ったことはない
ところが

夫の病気が重くなった頃
よく車いすの夫と家族で平池を散歩をした

もう少しましなころ当たり前なら
10分ほどの散歩を小一時間かけて夫婦で歩いた

そのなにを話すでなく
小さな日々の自然の変化を心の底から味わった

家族で日々を日記に綴った
喜びや憂いやら怒りやら


そんな日々があったから


一期一会
袖すりあうも・・

ホントに小さな幸せがどれだけ幸せなのか
大切なのか

夫はホントに幸せに逝ったと思う
家族の先を案じて死にきれなかったかもしれないけれど

家族や知人を支え支えられ
不思議に守られて逝った


だから


やっかみかもしれないけれど
他人夫婦の

あんなやつ
死んでしまえなんて聞くと


ん・ん・ん
あんなやつ??

思ったな?
でも憎しみじゃないあんなやつって


あるかもしれない


愛情がいっぱい詰まったあんなやつ
愛しくどうしようもないほどの感情の表現


あんなやつもうしらん
と甘えに似たやつ


そうあってほしい
だって

憎しみ合ってるのを見えるのはつらい
他人には夫婦の心の奥底は見えない


愛するのって辛いこと
愛するのって悲しいこと

そんなものも含んでこそ
愛しいのかもしれない

嬉しい楽しいことばかりじゃ
嬉しいこともわからない???









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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-07-04 01:52:04
35年間共に夫婦で歩むというのは沢山の思いがあるのでしょうね
文面を読んで、ある坊さんの言葉を思い出しました
「愛とは悲しみの表現である」
意味を取違やすいけれど、傷みや悲しみを知っているからこそ手を差しのべるといった愛の話しですが
お話しを読んでその愛をとても感じさせて頂きました。
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↑さん (misaharu--misachan)
2015-07-10 07:25:55
いつまでたっても男と女
ある老夫婦のニュースで・・・

介護状態になった夫を見て
妻は殺害したのかけがで済んだのか忘れたけれど

35年前の夫の浮気を思い出してかっとなったとか
修羅場で終えた35年前
そして仲睦まじく過ごしてきたはずの年月
嫉妬がぶり返した・・・

愛は憎しみ
体の自由を失った夫の姿は
二人で歩んできた妻にとって
取り残された感に襲われたのでしょうか

愛するが故の事件??
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