CubとSRと

ただの日記

「中国」を終わらせた日清戦争 (後半)

2019年07月22日 | 重箱の隅
 続きです。
 アヘン戦争は「中国」にとっては「辺境の地の蛮族の騒乱」くらいなもので、「仕方がないから入港を許してやろう」という、飽く迄も上から目線。
 清帝国は袁世凱が巨額の軍事費を用いて西洋式軍備の北洋軍を新設し、強大なまま存在している。金さえ注ぎ込めば、足りないところは補えばよい、なければ持ってくればよい、と考える。自身、工夫して創出しようとはしない。
 だから「軍備以外」は近代化されていない。
 アヘン戦争を見てきた日本は、軍備だけでなく国家体制そのものを近代化しなければ、と考え、やり繰りをして軍備も拡充しながら近代化に成功した。
 今、あるものを用いて(そうするしかないから)、次の段階に進もうとする。
 新幹線がそうだったように、「今ある技術だけ」で、世界中のどこにもない、「時速二百キロの営業運転をする鉄道」をつくる際の工夫。
 この基は明治期の「翻訳語」に顕著にみられる。
 苦心して翻訳語をつくった日本と、苦心惨憺することなど全くなく、その翻訳語を便利なツールとして取り入れ、事足れりとするシナと。
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 清国留学生は日本の教科書や参考書を読んで大喜びしたはずである。
 西欧語はチンプンカンプンでも、日本の本は漢字がたくさん使われているので、どれを読んでもなんとなく意味がわかる。
 さっき言ったように、もともと漢字は不完全なコミュニケーション・ツールで、異民族同士の符牒にすぎないので、なんとなく意味が通じればそれでいい。
 日本語がわかろうがわかるまいが、日本語の発音がどうであろうが、そんなことは問題ではない。
 もともと、何かをつきつめて百パーセント理解しようという文化は彼らにはない。
 すべてアバウトな、「馬馬虎虎(マーマー・フーフー。まあまあ適当に)」とか「差不多、一様(チャ ブトー、イーヤン。たいした違いはない)」とかいう精神で生きているから、日本人の翻訳した漢字の並びを見て、六、七割わかればそれで十分だった。
 ヨーロッパの最先端の思想が、日本語の字の並びをながめているだけで漠然とわかるのだから、これは便利だとばかり、そうした「和製漢語」を本国に大量に持ち帰った。
 日本が三十年かけてこれだけの〝漢語〟をすでに作っているので、これを使えば、われわれは二年くらいで近代化(西洋化)を終えて日本を追い越せると考えたのである。
 そのメンタリティーは現代でも変わっていない。新幹線の技術だけを取り入れれば、自分たちはもっと進んだ高速鉄道をあっというまにつくれる。
 そう考えるのが中国人である。安全のためのメンテナンスやモラル、乗客へのサービスなどといったものは彼らの頭にはない。
 
 
 「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
  宮脇淳子
    より転載
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 「漢字は表意文字」と習ったんだけど、もうひとつピンと来なかった。
 それがここに来てやっと(遅すぎる気も、しないでもない)、感覚的に分かったような気がする。
 「漢字」、或いは漢「字」という、「字」に目が向いてしまってたんだけど、これを「字」ではなく、「絵」として見たらどうか。一字が一枚の「解説絵」。見たら何となく意味が分かる。
 漢字が絵と違うのは、昔からモンタージュ技法が存在していたというところだろう。違う意味の「絵」を、二つないし三つ、一緒に書く。で、その一緒に書かれた絵をつなげて、言いたいことを探る。じっくり考えるのではなく脊髄反射的に「感じる」。
 これだったら、「見ただけで十分。発音なんてどうでもよい」、となる。
 エジプトの絵文字は絵が発音を表すのだそうだけど、漢字は意味さえ伝われば(それも「何となく」程度)良いのだから、ホントに文字通りの「表意文字」。


コメント
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