CubとSRと

ただの日記

10年なんて

2019年07月31日 | 重箱の隅
 十年なんてあっという間だ。
 頭がボケて来たから、と日記をつけ始めたのは、それより更に数年前。50歳になったばかりの頃。
 日常の出来事を、取り敢えず書き連ねるだけで5年近くが過ぎた。
 50半ばになって、で、頭が少しでもマシになったか、というと全くと言っていいほど手応えがなかった。
 頭はちっともスッキリしない。
 一体何をしてきたんだろうという思い(焦り)が募るばかりだった。
 そのまま「今日は何も書くことが無い」という袋小路に入って「終了~!」となるところ、天の助けか「日記の形でブログを書く」、偶然にそんな機会を得た。
 それがちょうど十年前。
 頭のボケて来ていたのは少しはマシになったか?
 「マシになった」とは言い切れないが、少なくとも、この十年、ボケの進行は緩やかになってきている。
 日常の出来事をただ書き連ねるのと違って、「他人の目に触れるのだから」、と些か以上にカッコつけて、自分なりに無い知恵を振り絞って、呻吟しながら書いていく。
 そんな毎日が、ともすれば「怠けよう」「ボケよう」とする自分を引き留めている。
 いや、これは自分の意志ではない。他人の目を気にするがあまり、「いい加減なことを書いたら笑われる」という過剰な自意識からきているんだろう。
 でも、それはそれでいいと思うようになった。目的へ向かい続けるにはどんな手段を取ったって良い。他人の迷惑にならなければ。
 さて、とにかく十年。所属するSNSは今日を以て閉鎖となる。
 ボケることを食い止めてくれていた場に日記を書くことはもうできなくなる。
 が、要はこれからが本番、これからが本当の勝負、ということだ。
 高めなければならないのは品性。その後ろ盾は理性。
 情報を集めようとする努力より、情報を解析しようとする努力。
 見詰め続けることで、理解能力は付いてくる。
 情報収集能力よりも、情報解析能力の方が大事なのは言うまでもないこと。
 解析能力には高い品性に基づく理性があるべきであることも、これまた言うまでもないこと。
 解析能力が高くても、下劣な品性で理屈を弄べばただ害悪を周辺に撒き散らすだけだ。

 明日、8月1日からは己一人。
 とにかく、書くことをやめたら、それが自身の終わりだ。
 強迫観念であろうが何であろうが、書き続けるよう叱咤しなければ、必ず怠ける。
 


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コメント
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