以前に書いた日記の再掲です。前二回の高山氏のコラムから思ったこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(略)
料理が時間内に終わった瞬間、アメリカの料理人、興奮してしまって俎板の上に飛び上がってガッツポーズをした。
それを見た日本人の料理人は激怒し、
「料理人が俎板の上に土足で上がるなどあり得ないことだ!怪しからん!」
と、火を噴くかと思うような勢いでその行いを切り捨てた。
勝負は当然、日本人の料理人が勝ったんですが、彼は喜びの表情よりも、憤懣やるかたない、といった感じで、そのことをアメリカの料理人に伝えた。
この時、どこかの報道官よろしく
「こうなった責任は全て日本にある。日本は反省すべきだ」
みたいなことは言いませんよ、アメリカはね。
このアメリカの料理人は、その料理への「あるべき心得」を説かれ、猛烈に反省したんですね。
「そうだ。いくら浮かれても、あれはやってはならないことだった。よく教えてくれた。ありがとう!」
これで、怒っていた日本人の料理人も、その素直さに怒りをすぐ解いたんですが。
で、翌年だったか、改めて対決という事になった。
記者に前回の俎板事件のことを聞かれたアメリカの料理人、
「今回はあんなことにはならない。興奮してもダイジョーブ!」
と自信満々で応え、対決に挑む。
そして首尾よく時間通りに料理を仕上げる。
ところが、やっぱり興奮して俎板の上に飛び上がり、ガッツポーズをしたんですね。
さあ大変!日本人の料理人が怒る!
けど件の料理人は自信たっぷりで、
「今年は大丈夫だ!土足で上がったりなんかしなかったよ。ちゃんとビニールシートを掛けたんだ。俎板、汚さなかったヨ!」
得意満面の笑みでそう答えた。
ばか?間抜け?おっちょこちょい?ひねくれ者?意地が悪い?
本気だったんだと思いますよ。きっと。
「そう言う事じゃない!」と怒ったら「どういうこと?」と素直に聞き返すでしょうね、この人。
WIKIの「連合国軍占領下の日本」という項目で、今書いた話を思い出してしまいました。
占領下の話は、今書いて来たような、笑い話みたいなことではない。大変に深刻な話です。
でも、その根っこは同じアメリカ人の意識が流れているなぁ、と思います。
という事で、一部、転載してみようと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日本語ローマ字化計画」
1946年3月5日、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本語のローマ字化を企てる。
占領時代のアメリカ人は日本文化に対する情報が乏しく、日本の民衆は奴隷化されていて識字率は低いのだろうと思い込んでいた。
それを漢字が障壁と考えローマ字化すれば識字率が高まると一方的な推論を立て、日本語ローマ字化計画を企てた。
事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果がでた。
これはアメリカ合衆国の識字率と比べても、当時の世界水準で見ても高い識字率であったため、これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、調査官であった言語学者の柴田武に「調査結果を捏造してくれ」と迫った。
が、事実を捏造することはできないと柴田は拒否した。この一件があってから、日本語のローマ字化計画は立ち消えとなった。
占領当初は靖国神社を焼き払ってドッグレース場にする計画が立てられており、実行までにはGHQ内で賛否両論にわかれた。
が、駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父の反対で中止した。
日本では、第一次世界大戦終結当時から、鉄道電化によって石炭エネルギーに代えようという計画があり、戦後の新幹線計画の基となった「弾丸列車計画」すなわち主要幹線および山岳線区の大規模な電化計画が立てられ、すでに一部で工事を進めていたが、軍部に反対されて中断していた。
空襲被害によって発電所や変電所が破壊されると交通がマヒしてしまうというのがその理由だった。
平和国家としての再出発に際し、政府はこの計画を復活させ、戦前に着工していたトンネルを利用して長期的な新幹線計画を再編することになった。
ところがGHQはここでも厳しい制限を課し、電化工事のほとんどが禁止された。
GHQは新車両の製造にも制限を加え、フィリピンから米国製SLを移送させたりした。
GHQは日本にもディーゼル化を勧めたうえで日本に米国製の在庫のディーゼル機関車を購入させようとしていた。
ただし、これは日本の発展を阻害するというよりもむしろ、GHQが電化計画自体に理解がなかったことが原因となっていたようである。
オーストラリアでは鉄道はほとんど使用されていなかったし、アメリカではまだディーゼル機関車が主流だった。電化による動力分散を計画していた日本にとっては、米国製SLもディーゼル機関車もありがた迷惑であったが、電化計画と新幹線計画は主権回復後を待たざるを得ず、それまでの期間はSLで場をつないでやり過ごすことにした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これ以上書くことはないでしょう。
日本を潰そう、二度と立ち上がれないようにしようという画策があったのは事実だと思います。
しかし同時に、良かれと思って画策されたことがあったことも事実なんじゃないでしょうか。
ローマ字化計画は完璧に読み違えですね。
で、狼狽えてどうしようとなった時、言語学者の柴田武の捏造協力拒否により、いとも簡単に横車押しを諦めた。これ、例の或る意味潔いこととつながっているんじゃないでしょうか。
そして、鉄道の電化禁止。
これは国力が付くのを恐れたためではなく、
「そんなことできる筈がない。夢物語だ。アメリカだってできないのに」
という、思い込みによる「親切の押し売り」ではないですか?
こうやって見ると、
「日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。」
、の「失望」というのが、宗主国として、属国の日本に言っているのか、それとも「大きなお世話」に発しているのか見えてくるのではないでしょうか。
それを見た日本人の料理人は激怒し、
「料理人が俎板の上に土足で上がるなどあり得ないことだ!怪しからん!」
と、火を噴くかと思うような勢いでその行いを切り捨てた。
勝負は当然、日本人の料理人が勝ったんですが、彼は喜びの表情よりも、憤懣やるかたない、といった感じで、そのことをアメリカの料理人に伝えた。
この時、どこかの報道官よろしく
「こうなった責任は全て日本にある。日本は反省すべきだ」
みたいなことは言いませんよ、アメリカはね。
このアメリカの料理人は、その料理への「あるべき心得」を説かれ、猛烈に反省したんですね。
「そうだ。いくら浮かれても、あれはやってはならないことだった。よく教えてくれた。ありがとう!」
これで、怒っていた日本人の料理人も、その素直さに怒りをすぐ解いたんですが。
で、翌年だったか、改めて対決という事になった。
記者に前回の俎板事件のことを聞かれたアメリカの料理人、
「今回はあんなことにはならない。興奮してもダイジョーブ!」
と自信満々で応え、対決に挑む。
そして首尾よく時間通りに料理を仕上げる。
ところが、やっぱり興奮して俎板の上に飛び上がり、ガッツポーズをしたんですね。
さあ大変!日本人の料理人が怒る!
けど件の料理人は自信たっぷりで、
「今年は大丈夫だ!土足で上がったりなんかしなかったよ。ちゃんとビニールシートを掛けたんだ。俎板、汚さなかったヨ!」
得意満面の笑みでそう答えた。
ばか?間抜け?おっちょこちょい?ひねくれ者?意地が悪い?
本気だったんだと思いますよ。きっと。
「そう言う事じゃない!」と怒ったら「どういうこと?」と素直に聞き返すでしょうね、この人。
WIKIの「連合国軍占領下の日本」という項目で、今書いた話を思い出してしまいました。
占領下の話は、今書いて来たような、笑い話みたいなことではない。大変に深刻な話です。
でも、その根っこは同じアメリカ人の意識が流れているなぁ、と思います。
という事で、一部、転載してみようと思います。
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「日本語ローマ字化計画」
1946年3月5日、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本語のローマ字化を企てる。
占領時代のアメリカ人は日本文化に対する情報が乏しく、日本の民衆は奴隷化されていて識字率は低いのだろうと思い込んでいた。
それを漢字が障壁と考えローマ字化すれば識字率が高まると一方的な推論を立て、日本語ローマ字化計画を企てた。
事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果がでた。
これはアメリカ合衆国の識字率と比べても、当時の世界水準で見ても高い識字率であったため、これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、調査官であった言語学者の柴田武に「調査結果を捏造してくれ」と迫った。
が、事実を捏造することはできないと柴田は拒否した。この一件があってから、日本語のローマ字化計画は立ち消えとなった。
占領当初は靖国神社を焼き払ってドッグレース場にする計画が立てられており、実行までにはGHQ内で賛否両論にわかれた。
が、駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父の反対で中止した。
日本では、第一次世界大戦終結当時から、鉄道電化によって石炭エネルギーに代えようという計画があり、戦後の新幹線計画の基となった「弾丸列車計画」すなわち主要幹線および山岳線区の大規模な電化計画が立てられ、すでに一部で工事を進めていたが、軍部に反対されて中断していた。
空襲被害によって発電所や変電所が破壊されると交通がマヒしてしまうというのがその理由だった。
平和国家としての再出発に際し、政府はこの計画を復活させ、戦前に着工していたトンネルを利用して長期的な新幹線計画を再編することになった。
ところがGHQはここでも厳しい制限を課し、電化工事のほとんどが禁止された。
GHQは新車両の製造にも制限を加え、フィリピンから米国製SLを移送させたりした。
GHQは日本にもディーゼル化を勧めたうえで日本に米国製の在庫のディーゼル機関車を購入させようとしていた。
ただし、これは日本の発展を阻害するというよりもむしろ、GHQが電化計画自体に理解がなかったことが原因となっていたようである。
オーストラリアでは鉄道はほとんど使用されていなかったし、アメリカではまだディーゼル機関車が主流だった。電化による動力分散を計画していた日本にとっては、米国製SLもディーゼル機関車もありがた迷惑であったが、電化計画と新幹線計画は主権回復後を待たざるを得ず、それまでの期間はSLで場をつないでやり過ごすことにした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これ以上書くことはないでしょう。
日本を潰そう、二度と立ち上がれないようにしようという画策があったのは事実だと思います。
しかし同時に、良かれと思って画策されたことがあったことも事実なんじゃないでしょうか。
ローマ字化計画は完璧に読み違えですね。
で、狼狽えてどうしようとなった時、言語学者の柴田武の捏造協力拒否により、いとも簡単に横車押しを諦めた。これ、例の或る意味潔いこととつながっているんじゃないでしょうか。
そして、鉄道の電化禁止。
これは国力が付くのを恐れたためではなく、
「そんなことできる筈がない。夢物語だ。アメリカだってできないのに」
という、思い込みによる「親切の押し売り」ではないですか?
こうやって見ると、
「日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。」
、の「失望」というのが、宗主国として、属国の日本に言っているのか、それとも「大きなお世話」に発しているのか見えてくるのではないでしょうか。