「米大統領選も視点を変えれば面白い」
イエスはローマへの反逆という大罪で断罪された。
処刑方法はだから最も残酷な磔(はりつけ)だった。十字架に両の掌(てのひら)、両足の甲を鉄釘で留められる。
激痛に加え、手でも足でも体重を支えられないから、胸郭が圧迫され横隔膜が動きにくくなる。呼吸ができなくなって空気がいっぱいあるのに窒息死していく。苦しみの極みと言われる。
エラエラ・ラマ・サバクタニ (神は我を見捨て給(たも)うたか)と文句の一つも言いたくなるイエスの気持ちが分かるような気がする。
その処刑場がエルサレムのヴィア・ドロローサ(苦痛の道)の先、ゴルゴタの丘の天辺だった。
三世紀後、コンスタンチヌス帝の母ヘレナがこの丘を訪れ、十字架の立てられた頂にギリシャ正教会の祠を建てた。
次に先を越されたローマン・カトリックが来て、舌打ちしながらゴルゴタの丘の一段低いところに彼らの祭壇を設けた。
次にアルメニア教会が丘の八合目にに祭壇を造り、コプト教会が五合目、さらにシリア正教会、エチオピア正教会がその下に教会を建てていった。
気が付いたとき、ゴルゴタの丘は寄り集まった各種キリスト教会によって、すっぽり覆われていた。それが今の聖墳墓(Holly Sepulcher)教会だ。
ただ、カトリックとギリシャ正教が、互いに破門し合い、憎み合い殺し合ってきたように、みんな仲が悪い。
先日もギリシャ正教会とアルメニア教会の坊主同士がここで殴り合いをやったし、エチオピア正教会はいまだに合同ミサに参加させてもらえない。
あまりに仲が悪いので聖墳墓教会の扉の鍵はこの数百年間、イスラム教徒が代々管理しているほどだ。
そんなに仲が悪くても彼らは新参者が来ると一致団結して追い返す。
ゴルゴタアパートは満杯です。もう誰も入居させませんというわけだ。
カトリックから分かれたプロテスタント系のルーテル教会も追い払われた口で、今は道路を隔てた向かいに建てられている。
それでもまだ扱われ方はいい方で、米国で生まれた新興のモルモン教会はエルサレムの城壁の中にも入れてもらえなかった。
しょうがないから城壁の外の、かつてキリストが籠ったオリーブ山の山腹に教会を建てている。
(以下 次回)
変見自在
「マッカーサーは慰安婦がお好き」
高山正之 より
「マッカーサーは慰安婦がお好き」
高山正之 より
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自らの体重による激痛で呼吸困難に陥り、窒息死する・・・。
ネットで調べたら、手の甲では手が裂けてしまって全然体重を支えることができず、磔の意味を為さないので手首のところに打つ、とあった。
それでも、激痛自体は変わらないし、何より手首だってそういうことをされるために作られたわけではない。
次に支えるべき肩も、耐え切れず、脱臼する。体全部が沈み込んで、重ねて釘づけにされた足首に全体重がかかる。
だから崩れ落ちないように、脚は初めから大きく屈曲させておいて釘付けにするのだそうだ。絵や彫刻に見られるような姿形ではなく、深く膝を曲げた形で釘で留められ、正座をして両腕を高く掲げたような恰好で死ぬ。
死後、すぐに十字架は倒され、変形した身体は元の形に戻される。
聖痕は掌ではなく手首にあったということになる。
「視点を変える」という話とどう絡むのだと思われるかもしれないけど、やっぱり「視点を変えると見えなかったものが見えてくる」。
キリスト教の本義が、この聖墳墓教会の現状(ここ数百年)を見るだけで、これまでとは違った手触りの中から感じられ始める。「神は押しのけつつ抱きしめる」「汝の隣人を愛せ」等々・・・・。