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ただの日記

2021年04月14日 | 重箱の隅
 イエスキリストは自らが磔にされる十字架(十字の木組み)を背負い、ゴルゴタの丘に登らされる。
 そして、群衆の罵声や投石を浴びながら十字架上で絶命する。

 そこまでは知識として知っていた。
 でも、キリスト教徒じゃないからそこまでだ。それよりも
「手や足の甲に釘を打たれて痛かっただろうな。痛過ぎて死ねなかったんじゃないか」とか「括りつけられたんじゃないのか!釘で留められただけ?じゃ、何で死んだんだ?」みたいなことばかり考えていた。

 昔、南条範夫だったか、「戦国残酷物語」という本で「串刺しの刑」について書いていて、それが「尖った杭を立て、その後ろに立てた丸太に罪人を縛り付ける」というものだった。
 縛っている縄以外に身体を支えてくれるものはない。食い込んでくる縄の痛みに、罪人はどうしても身体を動かす。結果、少しずつ縄が緩み、身体は下にずり落ちてくる。
 このままでは尖った杭が尻から刺さって来る。そして、遂に杭が肛門に刺さり始め・・・。
 杭の先端が口に達した時は、当然罪人はホントの「悶絶死」をしている。
 確かに「串刺し」だ。そんな恐ろしい刑罰が日本で行われていたんだ。

 そう思って、日本人に生まれながら「なんて国なんだろう。でも、そんなえげつないことは戦国時代だけのことだろう」と思っていた。
 秀吉の行った鳥取や三木の兵糧攻めでは、城に籠った者が飢え、遂には屍肉を食らったという凄惨な記録がある。これらは後の世に語り継がれるほどの異常な事件だったということになる。串刺しの刑はそれに比べれば大したことではなかったのだろうか。
 
 「太平天国」などは食べ物がなくなったら移動する。蝗の大量発生のように、全てを食べ尽くし、通った後は何も残ってない。人も食べる。残った骨はまとめて埋める。これを「万人坑」と言うらしい。多くの人骨が見つかったそうだ。南京でも。それも何ヶ所も。だが話題にもならない。当たり前過ぎるらしい。日本がやったとなると食べてもないのに祈念館が林立する。(モチロン日本軍は、そんなことしてない。祈念館にある写真は全て偽物と判明している)
 
 避難訓練で、校長先生が生徒に言った。
 「火事で人が焼け死んだ、と言いますが、焼けて死ぬ人はいません。死んでから焼けるんです」。
 「だから、熱い煙を吸って窒息(死)せぬように」、と言いたかったらしい。
 「いや、熱い煙を吸うから『焼け死ぬ』んだ。死んでから、焼けるんじゃない」と横車を押す者が出てくる。
 「煙は秒速数メートル以上だから、逃げ切れない」という者も出てくる。
 避難訓練の趣旨から逸脱しているようだが、考えてみれば、この「侃々諤々の議論」こそが大事で、防火防災についてのコアになる人がここで育つ。

 人というものはどうやったら死ぬのか。死に方をどう名付けるか。
 能々観察することと同時に、その構造をどう捉えるかも大事なことなんだと思う。そこから逆に「どう生きるか」「どう生きるべきか」も見えてくる。

 さて「磔で人は本当に死ぬのか」については、次回の高山正之氏の評文で。

コメント
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