CubとSRと

ただの日記

参院選

2022年07月24日 | 日々の暮らし
 7月10日(日)

 それにしても10代の投票率が30%台(35%足らず)とは何ともはや。
 とは言え、全体だって52%ほどだが。

 しかし本当のところ、参議院は「良識の府」、衆議院は「民意(民衆)の府」であるべきで、「ただ衆議院の暴走を抑える」だけなら大して存在意義はない。
 「良識の府」だから、そこに政党色が入るのはおかしい。個々の議員の「良識」を以てする発言こそが国会(国民議会)に光・ヒントを与え、国政(実質、衆議院が決定する)が、より高い志に向くことを促す。それが参議院の仕事だろう。
 そうなると政党名を書くんじゃなくて候補者名を書くべきだし、「比例代表制とは何事だ!」となる。

 貴族院を廃止させたGHQは、初め一院制を目指していた。
 朝廷の参議に発する明治時代からの「参議」の職は、「貴族院」として(良く言えば)拡大充実されていたため、いきなり言われるがままに廃止すれば混乱する。
 「漢字の廃止」とか「靖国神社をなくし、跡地はドッグレース場にする」とか、今でさえ?な政策案の数々のうちの一つ。
 アメリカは州の自治が優先だから、二院にする必要があるが、敗戦国日本の早急な復興を考えれば一院の方が機能的、とかなんとか。

 「貴族院」(或いは参議院)をなくしたからって日本がなくなるわけではない。けれど、これまでの「日本」ではなくなる。
 例えば、漢字を廃止してこれまでの書物が読めなくなれば。
 数十年後、日本人は日本の歴史をはじめとする全てが分からなくなる。読めなければ、知らないのだから分かることもない。数百年前も数十年前のことも一括して「昔々」。

 西欧では彼らの「来し方」を尋ねるためにはラテン語を学ぶしかないし、ラテン語で書かれている部分でしか尋ねようがない。古い書物はラテン語で書かれているものしか存在しない。
 そしてエジプト文字の解読や楔形文字の解読は西欧人の「歴史」の究明に直結はしない。
 日本では誰でも当人の僅かな努力で簡単に究明することができる。
 明治の頃から、やっと一般的に教えられ始めた自国の文字だけを使うことに決めた隣国が、数十年たった今、どうなっているか。改めて説明するまでもない。

 また思わぬ方向へ行こうとしている。
コメント
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