一色正春
@nipponichi8
5h
他人に多様性を求める人は
多様性というものは 人に押し付けるものではない
ということに気付いた方が良い
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↑これは昨晩、偶然目にしたツイート。
あの一色正春氏。
それで思ったこと。
「みんな違ってみんないい」とか「世界に一つだけの花」とか。
なるほどね、と思いながらずっと何かしら引っ掛かるようなものを感じていた。
徒競走で手を繋いでゴール、ほどじゃないけど。
「人それぞれなんだから」と、自身で思っているうちは内省の基準でしかない。
けど、同じ言葉を「発」すれば、その瞬間から「(人それぞれなんだから)受け入れよ」という命令(強制)になる。
「命令」で上下(支配者と隷属者)の位置関係が生まれる。意図するとせざるとに関係なく。
少数派が支配するのは問題だ(例、言論の封殺が必ず起きる)ということを分かっていても、多数派が支配するのはもっと大きな問題だ(例、粛清、虐殺が・・・)ということに思いを致すことは、あまりない。
「押しつけだって命令だって強制だって、それが『正しい』ことなら受け入れるべき」、は言葉通り「正論」だが、「正」の文字通り、「一を以て止(とど)む」わけだから、個人の思いは封ずることになる。隷属と何ら変わりはない。
「人は皆同じ」「平等」を精神面で実行するなら、隷属を求めるのではなく、気付きに依る各個人の変化を待つしかない。
そこを我々の先祖は「我が国は言挙げせぬ国(あしはらのみづほの国はかむながらことあげせぬ国)」と見抜いていたのだろう。