アメリカは衰退しない 風評に惑わされるな
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加瀬英明
風評とは根拠がきわめて薄いか、根拠がないのにもかかわらず、多くの人々が真実だと思い込むことをいう。
風評によって惑わされると、現実を見誤って国益を大きく損ねかねない。
今日のように情報が氾濫している時代には、正しい判断を行うことが大 切だといえば、反対する者は誰もいまい。
明治訳語は外国語
「常識」という言葉は、数多くある明治翻訳語の一つである。明治に入るまで、日本語に存在していなかった。
それまで日本になかった概念が、津波のように押し寄せるなかで日本語の仲間入りをした明治訳語は、漢字の衣を装った外国語のようなものだろう。
常識はコモンセンス(commonsense)の訳語だが、日本語として用いら れるうちに、いつの間にか、もとのコモンセンスとまったく違った意味を持たされるようになった。
日本語の「常識」は、社会の全員が事実であると信じていることを、意味している。
「常識外れ」を『広辞苑』でひくと、「世間での一般的な考え方から大きくはずれること」と説明されている。
私は英英辞典でもっとも権威があるとされている、『ウェブスタース・ サード・インターナショナル・ディクショナリー』3巻を所蔵しているが、「commonsense(コモンセンス)」をひくと、「good sound ordinary sense. good judgement or prudence」(普通人の正しい、しっかりとした感覚。正しい判断、分別)などと説明されている
個人がもとから備えている、正しい判断力を意味しており、あくまでも個人から発するものだ。「世間で一般的な考え方」と、まったく異なっている。米国衰退の危機感こそ、米国を奮起させてきた。
このところどこを向いても、「米国が力を失って、衰退している」という話でいっぱいだ。書店の棚や新聞広告を見ると、『米国崩壊』といった題の本が並んでいて、飽き飽きさせられる。いい加減にやめてほしい。
米国が落ちぶれたというが、本当に米国が凋落しているか。世界の頂点に立っていたのに、転落しつつあるのだろうか。私はそのようなことはありえないと思う。これは風評だ。米国はいまから30年後、いや半世紀たっても、世界でもっとも大きな力を持っている国であり続けよう。中国や、インド、ましてやロシアが、国力で米国を追い抜くことはありえない。
私は1950年代末に、米国に留学した。翌年、共和党のアイゼンハワー政 権のリチャード・ニクソン副大統領と、民主党のジョン・ケネディ候補が、大統領選挙を戦ったのを忘れることができない。
ケネディ候補が「このままゆくと、米国がソ連に追い抜かれる」とさかんに危機を煽り立てたのに対して、ニクソン候補はソ連経済の仕組や、技術力などからいってありえないと、理を尽して反論したが敗れた。
その3年前に、ソ連がフルシショフ政権のもとで、米国に先駆けて人工衛星『スプトニク』を軌道にのせたために、米国民が強い衝撃を受けた。 米国民は第2次大戦後、米国が“世界のナンバー・ワン国家”でなければならないと信じてきた。
ソ連はケネディとニクソンが大統領の座を争った1960年から、31年後の 1991年に自壊した。米国が衰退しつつあるという警告は、何も新しいものではない。つねにまことしやかに唱えられ、米国民をそのつど奮起させてきた。
米国民が常用している、精力増強剤のサプリのようなものだ。サプリ錠だと思ったほうがよい。
忘れ去られた「強い日本」
1970年代に米国は、いまから振り返ると信じられないことだが、日本によって追い越されるという恐怖心に駆られていた。日本が今日の中国のようなものだった。
三菱グループが米国経済のシンボルであるニューヨークのロックフェラー・センター・ビルを買収するかたわら、エズラ・ボーゲル・ハーバード大学教授が『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』という著書を発表して、ベスト・セラーになった。私はボーゲル教授と親しかったが、気の毒なことにこの本が出版された直後に、昇る太陽のはずだった日本のバブル 経済が破裂して、日本が萎(しぼ)んでしまった。
もう日本国民はこのころのことを、忘れている。健忘症を患っている。 レーガン政権をとれば、ロナルド・レーガン候補が1980年の大統領選挙で、民主党のジミー・カーター大統領がソ連に対する弱腰外交を行い、国 防予算を削ったと攻撃して、「強いアメリカ」をつくり、国防支出を大幅に増額することを訴えて勝った。レーガン政権のもとで、米国は息を吹き返した。
これまで米国では、衰退してゆくという閉塞的な気分から、自信を取り戻すシーソーゲームを繰り返してきた。
バラク・オバマ大統領は2011年の連邦議会における年頭教書演説のなか で、「これはわれわれの世代における“スプトニック(危機の)モーメン ト”だ」と、訴えた。
といっても、1957年にソ連が人類最初に人工衛星『スプトニク』を宇宙軌道にのせた危機を指していたのではない。このままゆくと、中国が米国を追い越してしまうと、危機感を露わにしたのだった。
風評に惑わされると日本のためにならない
オバマ大統領のあとを継いだ、ドナルド・トランプ大統領のスローガン は、読者諸賢もよく記憶されておられよう。「アメリカ・ファースト」「メ イク・アメリカ・グレート・アゲイン!」(アメリカを再び偉大な国家としよう)というものだ。 共和党の大統領候補選びで、泡沫候補でしかなかったのに、このスローガ ンによって彗星のように大統領候補の金的を射止めて、ホワイトハウス入 りした。
米国民は“ナンバー・ワン”の地位を保つために、衰退論を好んでいるのだ。“ナンバー・ワン”の宿痾だろう。そして達磨(だるま)の人形の底におもりをつけた玩具の起上り小法師(おきあがりこぼうし)のように、起きなおる。
米国はベトナム戦争や、アフガニスタン戦争の失敗によって鼻血をだして、一時、畏縮するが、傲慢無礼な態度を改めることがない。“ナン バー・ワン”の使命を授かっていると、信じている。
なぜ、米国は“ナンバー・ワン”の力を失わないのだろうか。米国は自由で、熾烈な競争社会である。地縁、人縁を捨てて集まった国であるから、 自分の力と金(かね)の力しか頼るものがない。米国は活力が溢れているから、混乱しているようにみえる。
いま、ウクライナ戦争という突発事によって“グローバリゼーションの時代”が、一時的に中断されているが、グローバリゼーションは世界の大きな流れだ。誰でも米国を訪れれば、すぐに肌で感じることができるが、米国は国の構成から文化まで、グローバリゼーションにもっとも適している。
ところが、米国衰退論は困ったことに、ソ連や、中国のような国を鼓舞する。1976年の第25回ソ連共産党大会において、ブレジネフ書記長はソ連圏が米国を凌駕しつつあると誇って、「ソ連の国際的地位は年ごとに強まり、世界に対する社会主義諸国の力がますます強くなっている」と、演説 している。
中国の習近平主席も中国が興隆しつつあるかたわら、米国が力を衰えさせていると判断して、ことあるごとに「五千年の偉大な中華文明の復興」を訴えて、世界への覇権を拡げる「一帯一路」戦略を進めている。
わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6187号
2022(令和4年)年 7月3日(日)より