CubとSRと

ただの日記

何度でも

2023年02月10日 | 心の持ち様
 10年前の日記です。
 明日の「建国記念の日」について書いたものです。
 これを先にして、明日も「建国記念の日」についての日記を再掲します。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 わざわざ、「建国記念『の』日」と、「の」を括弧に入れることもない、ようなものですが、今回、以前に書いた日記を転載して来た中に、「の」についてシツコク書きましたからね、駄目押しです。

 ところで。
 「今日は何の日」ってのは、以前ラジオで聞いたんですが、その関係の機関に申請すれば簡単に決定するんだそうです。
 そして、その理由も、ちゃんとしたものから単なる語呂合わせ、時には苦笑するしかないようなものまで、なんでもあり。
 勿論「三月三日は女の子の節句。五月五日は男の子の節句。だから、四月四日は○○○の日にしましょう」・・・・なんてのは決まってないと思いますが。
 でも、「11月22日はいい夫婦の日」みたいなのは簡単に決まるんでしょうね。「11月11日はポッキーの日」らしいし。
 ・・・・あれ?脱線しまくり。

 この「今日は何の日」で思ったんですが。「~の日」は、こじつければ何でもアリ、ってことなんです、基本的に。
 それで、「建国記念日」だったら、あんなに反対されたのに、「建国記念」の日、となったら、各政党、反対できなかった。
 「建国記念日」だったら「建国の記念日」、だからはっきりしていなくちゃならない。けど「建国記念の日」、なら、「~の日」の解釈だから、日にちは自由なんだ。
 「紀元節」だって、それで良かったわけです。「~節」というのは単に「節目」、ということですから。
 「そんなこと言ったら、天長節や地久節はどうなるんだ!単なる節目か!」、なんて目を三角にして怒らないで下さいよ。戦前は「紀元節」、で何にも問題はなかったんです。
 大体が「紀元」、というのは、「暦の始まり」という意味しかないでしょう?
 一般的に「西暦」と言ってるのは「西洋暦」の略語ながら、本当はキリストの誕生年を紀元とする暦で、だから「キリスト教暦」と言っても良い。
 その頃は、と考えると当然陰暦(太陰暦)だったろうから、後、太陽暦を採用した時に「じゃ、キリストは12月25日生まれ!」って。つまり、本来はキリストの生誕日を一月一日、と見ていた。(復活日かもしれないけど)

 日本は、この西洋暦に対して「皇国の始まりは神武創業の時」、と考える。
 だから略して「皇紀」と言うのだけれど、考え方は同じです。
 めでたい日。きりの良い時、節目の日。それは一月一日。だから陰暦で一月一日を「皇国の紀元」、「皇紀」の初めとした。「~の日」で言えば、「皇国の紀元(暦の始まり)の日」、です。
 それを太陽暦の採用で一月末に置き換えたら、小正月に重なる。それじゃ分かりにくいから、と更に計算して
 「昔々の一月一日は、今の二月十一日にあたる。だから、日本の始まり、紀元節は二月十一日としよう」
 理屈、合ってます。「二月十一日は紀元の日!」で良かった。
 でも「~の日」じゃ、何だか軽々しい。ここはやっぱり「節」、でしょう。
  
 それが敗戦時、GHQの神道指令の故に、紀元節は廃止され、「~節」という言い方はできなくなった。敗戦国、被占領国、主権の奪われた国。
 当時の日本人、我々の先達の口惜しさを思ってみることも現代の日本人には大切なことです。このままでは日本の歴史が、完全に否定されてしまう。
 でしょう?日本の始まりが否定されているわけですから。

 だからこそ、吉田首相は主権回復するという昭和26年、紀元節の回復を発案した。しかし、これまで書いてきたように、一旦GHQにより廃止された「紀元節」という名称はそう簡単には受け入れられませんでした。社会体制から、史学会の主流までがすっかり替えられてしまっていたからです。
 さっき、wikiで調べたら当時の世論調査で、「紀元節という名称で二月十一日が良い」というのは50%弱。二位の「五月三日、憲法施行の日」が10%、となっていました。国民はそうでも、政治はそうではなかった。

 「紀元節」。分かり易い。それにおさまりが良い。
 でも、「建国記念の日」だって、見ようによっては、なかなかのもんじゃないでしょうか。そこには「建国を記念して、祝おうではないか」という心意気が見えます。
 ただの「~の日」とは違います。

 「神武創業の日」。
 ひげむくじゃらで、角髪(みずら)に結った髪の神武天皇が突き立てている弓。
 その弓に、金鵄(金色に輝くとび)が留まり、抗う長髄彦の軍がその光の矢の中に伏せている。
 そんな絵を子どもの頃に見た記憶があります。
 有名な画家の描いた「神武東征の図」の一枚だったのでしょう。描きよう次第で、汚らしくなっても不思議ではない瞬間です。でも、それを、何だかとても神々しく感じました。そして、ひげむくじゃらなのに、何だかとてもカッコ良かった。
 もしかしたら、「天皇陛下ってかっこいいなあ」、とその時から思い始めたのかもしれません。

 あ、もしかしたら「神武創業」って言葉に違和感を感じてるって人いませんか?
 「どこかの会社の初代みたいな言い方だな」、なんて。
 でも、これ、良い言葉だなと思いますよ。会社だったら、単に「起業者」って感じだけど、国を始める、創る、わけですからね。

 「業を始める」。
 「支配」、じゃないんです、「仕事」、「業」なんです。
 「国を創る」のが仕事である。
 そうです。命ぜられたから。天照大神に。

 もう一度。 

 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

     ~天壌無窮の神勅~



     明日は国旗を掲げましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする