CubとSRと

ただの日記

腕を振る意味

2023年02月17日 | 日々の暮らし
 2月7日(火)

 流石に三日連続で寝坊というわけにはいかない。
 ということで昨晩は何とか11時過ぎには寝た。

 随分寝たような気がして目が覚めたのは、12時半。当然いくらも寝てないわけだし、起きるには早過ぎる。

 2時半。まだ早い。
 4時。目覚ましで起きる。また安心して寝ないように、一階に降りてレモン水を飲む。
 血圧測定。ストレッチ。站椿10分余り。

 散歩に出たのは5時10分。曇っているが妙に明るい。月は見えない。
 今朝はスウェットシャツを着ないで、ウールシャツの上にウィンドブレーカーだけだったが寒くない。昨日今日と暖かい朝が続いている。

 今朝初めて、ウォーキングの際は腕を大きく、それも「大袈裟なくらい大きく振る」ことの意味が分かった。
 腕を大きく振り上げなければ歩行時の重心は腰にある。が、腕を振ると、腕の振りが大きければ大きいだけ腰から背骨に軸が移り、重心自体高くなる。うまくいけば鳩尾から胸辺りまで重心が上がってくる。でんでん太鼓のように腰を起点に足が前後するのと違って、鳩尾とか胸辺りを起点にそこから下を全て脚の前後移動に使えば、当然歩く姿勢も良くなり、歩幅も広くなる。
 勿論、これはあくまでも意識の問題、イメージ上のことなのだが。

 思い出してみればモデルのウォーキングの練習やバレーの歩法などで「胸から脚が生えている」「重心を胸に置く」みたいなことを教えると聞いたこともある。つまり、別に大発見でも何でもない。
 ただ、「知っていた」のと「分かった」のとは明らかに違う、ということ。

 歩いていると、向こうから同じく散歩しているらしい人がやってきた。
 こちらの進行方向の反対側を傘をさして歩いている。
 変わった人だな、と思いながら行き違い、しばらく歩いていたら何か当たったような気がした。どうもさっきから雨が降っていたらしい。
 変わった人ではなく、散歩に出ようとしたら小雨が降っていたので、当然のこととして傘をさして出てきた、ということか。

 推量(思い遣ること)をせず、現状だけで判断するとこういう早とちりをする。「神は細部に宿る」、だ。「大拍子に生きる(雑な生き方)」のは楽でいいけど、ともすれば他者の批判に終始して自らを省みないで終えてしまう。

 それにしても予報では雨が降るなんて言ってなかったけど。
 やはり標高400メートルの尾根上の町。雲の中に入っている、ということか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする