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ただの日記

再掲 「波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (上)」

2021年05月26日 | 神社
 泥縄もいいところですが、折角読んでいただいたのに前段を載せないままでは、と思い、順番に再掲し直そうと思います。

 この「前回の日記のかかわりで」という日記は、社報「靖國」に掲載されていた文章に私の感想を書き込んだもので、それなりの分量だったため、三回に分けて日記として挙げました。

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 2015.11/14 (Sat)

 先日、社報「靖國」11月号が届いていたのを、開封したまま置きっ放しにしていた。
 思い出して、綴じる前に目を通しておこうと開いてみたら、これは大事なことが書いてある。

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 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
              大山晋吾(波上宮禰宜)

  < 敬神・崇神の島、沖縄 >
  間もなく、筆者が靖国神社から波上宮に転任して五年となる。東京でいた頃は全く沖縄のことを知らず、テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていたが、全くそれは誤解であった。
 人々は皆々、先祖を大切にし、神々を深く信仰している。実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。

 さて、沖縄総鎮守・波上宮の参拝者数、今年の正月三箇日は三十万八千人を数えたが、当宮は年間を通して参拝者が非常に多く、また崇敬者の参拝時間の長さにも驚かされる。若い方でも五分、十分と祈ってゆかれる。高齢者に至っては二十分、三十分とお座りになって「お拝み」をされるのである。
 また、祖先を敬う県民性は、墓所・墓石の多いことに象徴されよう。丘や山に登れば、必ず墓所がある。それも膨大な数で、その内に生きた人の住む所が無くなって仕舞うのではないかと危ぶまれる程である。
 人々は清明祭やお彼岸等になると一族で先祖伝来の器にお供え物を盛って墓参に行く。そこで、子孫は親たちの拝む姿を見て、自然に崇祖の心を養うのであろう。

         (略)

 < 明治天皇の御尊像 >
 さて、境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、沖縄が日本への祖国復帰を果たす以前のことであった。
その御銅像の台座には、明治天皇の御宸筆「國家」の文字が刻まれている。そこには戦いに敗れて米国に占領され、祖国から切り離された当時沖縄県民の悲しみが、そして一日も早く日本国に復帰したいという県民の悲願が籠っているように思えてならない。
 波上宮は戦いに敗れ、打ちひしがれた沖縄の人々にとり、祖国日本を偲ぶ唯一の心の故郷、魂の拠り所であった。まさに、その境内地に御銅像は建てられ、それから二年後、沖縄は見事に祖国復帰を果たしたのである。


                   転載終わり

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 「~テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていた~」
 しかし、
 「実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。」

 これ、どう思われますか。大山禰宜が間違ってるんでしょうか。それとも、報道がおかしいのでしょうか。
 いやいや、波上宮に参拝する人々だけが別なんでしょうか。
 それとも参拝している時だけが敬神の念が篤くなるんでしょうか。
 少なくとも、辺野古を初めとして反対運動をしている人々と、参拝者の表情は決して重ならないのではないか。
 今朝も関西のテレビでは「正義のミカタ」という朝の情報ショーで、沖縄国際大の前泊教授が
 「沖縄の民意は基地反対。反対意見が強まれば助成金が増える。飴と鞭だ。助成金は地元には四割しか落ちない」
 などと説明していましたが、これまた
 「敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性の沖縄県民」
 と全く重ならない。


 「境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、~」

 戦争に敗れたのが昭和二十年。講和条約が二十七年。
 銅像の建立されたのが四十五年。本土復帰が四十七年。
 敗戦から二十五年もたって明治天皇の銅像を建立する。
 何故、明治天皇なんでしょうか?「琉球国」独立を支持する人々は、明治天皇を「『琉球処分』を命じた酷い天皇」だと思っているのではないのでしょうか。

 菅官房長官が「粛々と行う」と発言したのを「上から目線だ」と文句をつけたことがありました。言いがかりに近いものです。「粛々」というのは決して「上から見下す」ような傲慢な表現でないことは、普通に学校に行っていれば分かること。
 それと同じく、「処分」という言葉には「冷たく切り捨てる」といったような意味はありません。
 「適材適所」と同じで、「それぞれの処に分類して収める」ということでしょう?「処分」の文字にはそれだけの意味しかない。
 「切り捨てる」、というのなら鹿児島の支配下から「沖縄県」へ、という鹿児島と同等の立場にする施政は成り立ちません。己の勉強不足を棚に上げて批判ならぬ非難ばかり・・・、いやいや、今日はこの辺でやめときましょう。



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