波上宮(なみのうえぐう)と沖縄 (下)
2020年01月19日
2015.11/17 (Tue)
「沖縄のこころ」
~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
< 沖縄の言葉は日本語 >
また、使っている言葉は日本語。例えば御伊勢の宮の事を昔は「ウイシノミヤ」(ウイシヌミヤ?)と呼んでいた。
沖縄の方言は、母音のエ( e )の音がイ( i )の音に、オ( o )の音がウ( u )の音に変化する。即ち、「オイセノミヤ」のオ( o )は、ウ( u )に、セ ( se )が、シ( si )に変化して、「ウイシノミヤ」となる。
発音だけを聞くと、最初はなかなか分かり難いが、意味を教えて貰い、何度も繰り返し発音すると、読書百遍ではないが、意、自ずから通ずるものがある。これは、母国語・日本語だからである。沖縄の言葉は、平安期前後に都の言葉が流入し、積み重なった古層の言葉が今に伝わるもので、発音は現代人には分かり難いが、文法等、正に日本語以外の何物でもない。西洋や中国とは文章の並び方が完全に違うのである。
さて、言葉は日本語、王様は日本人、国の一大事業に際し祀る神も、皇祖神・天照大御神となれば、もう、この島は、琉球王朝の昔より日本の心、魂の息づく地であったと筆者には思えてならない。
(以下略)
転載了
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
場所柄、台湾と同じように、大陸南部の福建省辺りから多くのシナ人が早くから移り住んでいたことは間違いないし、実際、前知事の仲井真氏も、自身、先祖は中国人と言っています。
これは逆に見ると、それを誇りにしている、ということで、比較的新しい移入だから、色々な文化を持って渡来し、歓迎されたということでしょう。同時にそれが、沖縄は元来、シナ人の土地ではなかった、ということの証明にもなっています。
そして、その具体的な証拠が、聞き取り難いけれども、紛れもなく日本語を話しているということ。
沖縄の宮廷舞踊が室町期に完成された能楽の舞をもとにしてつくられていることなども日本である証明になるでしょう。
また、以前にも書きましたが、大方は室町期の日本語が沖縄風に発音されるため、言葉も意味も違って見えることがある。
それに加えて、その古い言葉を今の言葉に直そうとして、今の「意味合い」から漢字を当てようとする。そのため、全く違う感じの語句になってしまう。
挙句に、こともあろうに県知事が国連で少数民族宣言のようなことを発表し、若い学生にその間違いを指摘され、大恥をかくなんてことも起こる。
「ちゅら」は「清(ちゅ)ら」であって「美ら」ではない。
「うみんちゅ」は「海の衆」であって「海人」ではない。(「海人」は「あま」です。)
同じく「しまんちゅ」は「島(陸おか)の衆」。
「めんそーれ」は「参り候え」。だから「お出で下さい」
「ウタキ」は「おたけ」だから、御嵩(おんたけ)→御岳(おんたけ)→御嶽(おんたけ・みたけ)=おたけ・うたき
「サバニ」はおそらく「小舟(さぶね)」で「丸木舟」ではない。
「ハイフニ」は「早舟」もしくは「速舟」。
ついでながら、「エイサーの原型は江戸初期に伝わった念仏踊り」という一文がありました。成る程、念仏踊りは田楽がもとにある筈だから、鉦や太鼓を身に着けて踊るのは基本の形。それが段々に勇壮な踊りになっていくのはどこでも、祭りの常態です。
見た目には、小さな太鼓を持って(身に着けて)、シナ風の服装に脚絆までつけて、という風のものが多いので、何となく大陸渡りのもののような印象を持ちますが、古い伝承を守っているところでは服装も振りも地味なものです。時代が下るにつれて派手になる。念仏踊りがもとになっている、と言われて腑に落ちました。
もう一つ、ついでのついでですが。
ネットで見ると「尚」王の「尚」というのは、訓読みにすると「なお」。これは南北朝期以後、南朝方だった鳥取の名和氏が沖縄に行き、尚氏を名乗った、という説もあるのだとか。
名和氏の家紋に能く似たものがある、とも。
いずれにしても沖縄の人々が、昔々、シナに強い憧れを抱いていたということは事実でしょう。
しかし、だからと言ってシナ風の名字や名前にはしていない、というところも見詰めるべきじゃないでしょうか。
半島の隣国は「唐」に支配されたときは漢風に一字姓、「元」に支配された時はモンゴル風に、とその時々で名前はおろか名字まで変えています。
強制されたからではない。願って変えている。(日韓併合時の創氏改名もそうでした。だから両班の多くは改名をしていません)
沖縄の名前の付け方は奈良時代のままです。
「沖縄のこころ」
~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
< 沖縄の言葉は日本語 >
また、使っている言葉は日本語。例えば御伊勢の宮の事を昔は「ウイシノミヤ」(ウイシヌミヤ?)と呼んでいた。
沖縄の方言は、母音のエ( e )の音がイ( i )の音に、オ( o )の音がウ( u )の音に変化する。即ち、「オイセノミヤ」のオ( o )は、ウ( u )に、セ ( se )が、シ( si )に変化して、「ウイシノミヤ」となる。
発音だけを聞くと、最初はなかなか分かり難いが、意味を教えて貰い、何度も繰り返し発音すると、読書百遍ではないが、意、自ずから通ずるものがある。これは、母国語・日本語だからである。沖縄の言葉は、平安期前後に都の言葉が流入し、積み重なった古層の言葉が今に伝わるもので、発音は現代人には分かり難いが、文法等、正に日本語以外の何物でもない。西洋や中国とは文章の並び方が完全に違うのである。
さて、言葉は日本語、王様は日本人、国の一大事業に際し祀る神も、皇祖神・天照大御神となれば、もう、この島は、琉球王朝の昔より日本の心、魂の息づく地であったと筆者には思えてならない。
(以下略)
転載了
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場所柄、台湾と同じように、大陸南部の福建省辺りから多くのシナ人が早くから移り住んでいたことは間違いないし、実際、前知事の仲井真氏も、自身、先祖は中国人と言っています。
これは逆に見ると、それを誇りにしている、ということで、比較的新しい移入だから、色々な文化を持って渡来し、歓迎されたということでしょう。同時にそれが、沖縄は元来、シナ人の土地ではなかった、ということの証明にもなっています。
そして、その具体的な証拠が、聞き取り難いけれども、紛れもなく日本語を話しているということ。
沖縄の宮廷舞踊が室町期に完成された能楽の舞をもとにしてつくられていることなども日本である証明になるでしょう。
また、以前にも書きましたが、大方は室町期の日本語が沖縄風に発音されるため、言葉も意味も違って見えることがある。
それに加えて、その古い言葉を今の言葉に直そうとして、今の「意味合い」から漢字を当てようとする。そのため、全く違う感じの語句になってしまう。
挙句に、こともあろうに県知事が国連で少数民族宣言のようなことを発表し、若い学生にその間違いを指摘され、大恥をかくなんてことも起こる。
「ちゅら」は「清(ちゅ)ら」であって「美ら」ではない。
「うみんちゅ」は「海の衆」であって「海人」ではない。(「海人」は「あま」です。)
同じく「しまんちゅ」は「島(陸おか)の衆」。
「めんそーれ」は「参り候え」。だから「お出で下さい」
「ウタキ」は「おたけ」だから、御嵩(おんたけ)→御岳(おんたけ)→御嶽(おんたけ・みたけ)=おたけ・うたき
「サバニ」はおそらく「小舟(さぶね)」で「丸木舟」ではない。
「ハイフニ」は「早舟」もしくは「速舟」。
ついでながら、「エイサーの原型は江戸初期に伝わった念仏踊り」という一文がありました。成る程、念仏踊りは田楽がもとにある筈だから、鉦や太鼓を身に着けて踊るのは基本の形。それが段々に勇壮な踊りになっていくのはどこでも、祭りの常態です。
見た目には、小さな太鼓を持って(身に着けて)、シナ風の服装に脚絆までつけて、という風のものが多いので、何となく大陸渡りのもののような印象を持ちますが、古い伝承を守っているところでは服装も振りも地味なものです。時代が下るにつれて派手になる。念仏踊りがもとになっている、と言われて腑に落ちました。
もう一つ、ついでのついでですが。
ネットで見ると「尚」王の「尚」というのは、訓読みにすると「なお」。これは南北朝期以後、南朝方だった鳥取の名和氏が沖縄に行き、尚氏を名乗った、という説もあるのだとか。
名和氏の家紋に能く似たものがある、とも。
いずれにしても沖縄の人々が、昔々、シナに強い憧れを抱いていたということは事実でしょう。
しかし、だからと言ってシナ風の名字や名前にはしていない、というところも見詰めるべきじゃないでしょうか。
半島の隣国は「唐」に支配されたときは漢風に一字姓、「元」に支配された時はモンゴル風に、とその時々で名前はおろか名字まで変えています。
強制されたからではない。願って変えている。(日韓併合時の創氏改名もそうでした。だから両班の多くは改名をしていません)
沖縄の名前の付け方は奈良時代のままです。
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