2018.01/15 (Mon)
先日、「バイク乗りはバイクに乗る理由を探す」という言葉を見掛け、妙に納得した。
ここから何か見えてくるかも、と感じたのかもしれない。
「『楽』だから車に乗る。『楽』しいからバイクに乗る」
と、同位か。それとも、少し先か。
「人間には二種類ある。バイクに乗る奴と乗らない奴だ」
という言葉を知った時も、なるほどと思った。
勿論「バイクに乗る奴と乗らない奴」なんて分類の仕方は、乱暴過ぎるというかいい加減にもほどがある、とは思う。
いかにも粗暴なバイク乗りが言いそうな、イージーライダーの世界だ。その先は並走するトラックにショットガンでぶっ飛ばされ、あっけない最後、となるしかないような。
「自転車だってあるじゃないか。飛行機だって、船だってある。乗り物はすべて嫌いだという奴だっている」
・・・なんてことを声高に言い募る的外れな奴が雲霞のように湧いてくるご時世。
だけど、そんな奴はほっといて。
まず、「乗る奴と乗らない奴」ってのは、一面の真理、ではある。「プディングの味は食べてみりゃ分かる」と同じ。食べなきゃわからない、未経験者に感想は言えない。
先日、「バイク乗りはバイクに乗る理由を探す」という言葉を見掛け、妙に納得した。
ここから何か見えてくるかも、と感じたのかもしれない。
「『楽』だから車に乗る。『楽』しいからバイクに乗る」
と、同位か。それとも、少し先か。
「人間には二種類ある。バイクに乗る奴と乗らない奴だ」
という言葉を知った時も、なるほどと思った。
勿論「バイクに乗る奴と乗らない奴」なんて分類の仕方は、乱暴過ぎるというかいい加減にもほどがある、とは思う。
いかにも粗暴なバイク乗りが言いそうな、イージーライダーの世界だ。その先は並走するトラックにショットガンでぶっ飛ばされ、あっけない最後、となるしかないような。
「自転車だってあるじゃないか。飛行機だって、船だってある。乗り物はすべて嫌いだという奴だっている」
・・・なんてことを声高に言い募る的外れな奴が雲霞のように湧いてくるご時世。
だけど、そんな奴はほっといて。
まず、「乗る奴と乗らない奴」ってのは、一面の真理、ではある。「プディングの味は食べてみりゃ分かる」と同じ。食べなきゃわからない、未経験者に感想は言えない。
当たり前のことなのに乗ったことのない者が言う。
「バイクなんて、不安定で危険極まりない。クルマで後ろから走っていても、いつ転倒するか分からないから迷惑だ」
「クーラーはないし、冬は見てるだけでも凍えそうだし。あんなものに乗ってるなんて頭おかしいんじゃないか」
田舎では言われる。
「あんなものに乗って。クルマの免許持ってないのか」とか「貧乏でクルマ買えないんだろうな」とか。ひどいときは「クルマ、持ってないなんて、半人前だから」。
(言われ続けて30年。とうとう買った車がスズキのツインで、また笑われる)
乗ってみれば「危険と隣り合わせ」という実感と「こんなに楽しいものが!」という驚きを同時に、それも瞬時に味わえる。
そして段々に、危険のほとんどは回避できることが分かるようになり、「楽しい」という驚きは徐々に深まり、強まっていく。
早い話、「プディングの味は食べてみなきゃわからない。バイクは乗ってみなきゃ(楽しさは)分からない」。
乗ってみたら、違う世界が見える。大袈裟に言えばこれまで経験できなかった「驚異の世界」が見える(実感・体感できる)。
乗ってみたことのない者には、金輪際、分からない世界だ。
それでも理由がなければバイクに乗れない。だから(勿論、自己満足なんだけど)周囲を納得させるための理由をさがす。
時にはこんな噴飯ものの理由を口走ったりする。
「(そこに)バイクがあるから(だ)」。どこかで聞いたような・・・。
車に乗る時には、理由なんか探さない。探さなくとも「車には用事があるから乗る」。買い物・通勤・デート、等々。
バイクだって用事がこなせないわけではないけど、車の前では完敗だ。
けど、何かが違う。それが「バイクには(楽しいから)乗る」という一項だろう。
「用事がなくとも乗る」、つまり「用事をつくってでも乗る」、「用事は後付け」。
(ごく一部のクルマ好きはバイク乗りと同じく、「用事をつくってでも乗る」けど、ここでは本題ではないのでカット。)
そこで再び。
「用事をつくってまで乗る?バッカじゃねえの?」
となるか、それとも、
「用事をつくってまで乗る?そんなに面白いのか?」
となるか。
別にバイクに限らない。この考えの分岐は、ネトウヨとかパヨクとか決めつけることの愚かしさを示しているようにも見える。
何かに惹かれて、一歩踏み出してみること、って大事なんじゃなかろうか。
というわけで、今日はコーヒーを買いに出掛けました。バイクに乗って。
「バイクなんて、不安定で危険極まりない。クルマで後ろから走っていても、いつ転倒するか分からないから迷惑だ」
「クーラーはないし、冬は見てるだけでも凍えそうだし。あんなものに乗ってるなんて頭おかしいんじゃないか」
田舎では言われる。
「あんなものに乗って。クルマの免許持ってないのか」とか「貧乏でクルマ買えないんだろうな」とか。ひどいときは「クルマ、持ってないなんて、半人前だから」。
(言われ続けて30年。とうとう買った車がスズキのツインで、また笑われる)
乗ってみれば「危険と隣り合わせ」という実感と「こんなに楽しいものが!」という驚きを同時に、それも瞬時に味わえる。
そして段々に、危険のほとんどは回避できることが分かるようになり、「楽しい」という驚きは徐々に深まり、強まっていく。
早い話、「プディングの味は食べてみなきゃわからない。バイクは乗ってみなきゃ(楽しさは)分からない」。
乗ってみたら、違う世界が見える。大袈裟に言えばこれまで経験できなかった「驚異の世界」が見える(実感・体感できる)。
乗ってみたことのない者には、金輪際、分からない世界だ。
それでも理由がなければバイクに乗れない。だから(勿論、自己満足なんだけど)周囲を納得させるための理由をさがす。
時にはこんな噴飯ものの理由を口走ったりする。
「(そこに)バイクがあるから(だ)」。どこかで聞いたような・・・。
車に乗る時には、理由なんか探さない。探さなくとも「車には用事があるから乗る」。買い物・通勤・デート、等々。
バイクだって用事がこなせないわけではないけど、車の前では完敗だ。
けど、何かが違う。それが「バイクには(楽しいから)乗る」という一項だろう。
「用事がなくとも乗る」、つまり「用事をつくってでも乗る」、「用事は後付け」。
(ごく一部のクルマ好きはバイク乗りと同じく、「用事をつくってでも乗る」けど、ここでは本題ではないのでカット。)
そこで再び。
「用事をつくってまで乗る?バッカじゃねえの?」
となるか、それとも、
「用事をつくってまで乗る?そんなに面白いのか?」
となるか。
別にバイクに限らない。この考えの分岐は、ネトウヨとかパヨクとか決めつけることの愚かしさを示しているようにも見える。
何かに惹かれて、一歩踏み出してみること、って大事なんじゃなかろうか。
というわけで、今日はコーヒーを買いに出掛けました。バイクに乗って。
往復二時間余り。防寒対策さえしておけば、冬の山陰海岸は世間のイメージと違ってさほど寒くはないから、ただただ快適。
ああ~、楽しかった!
ああ~、楽しかった!
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