魯迅の「藤野先生」を読んだのは高校生の頃だったろうか。
教科書で確か「故郷」を習った。暗くて重かった。
故郷を愛するというより、どうしようもなくみじめな思いを抱き続けながら(感じ続けながら)、でもここ(故郷)が自分の根っこである、というやりきれない実感。
「ふるさとは遠きに在りて思ふもの」でもない「忘れがたきふるさと」でもない、できることならば忘れ去ってしまいたいけれど、故郷の家屋敷全てを手放したって、消えることのないみじめな故郷への思い。
実はこれはこのまま魯迅の「国への思い」であった、ということに気が付いていたら、もう少し読み様もあったのだろうけれど、何分ぼんくらなもので。
「藤野先生」という作品にはその辺りがもっと直截に書かれているが、「シナの近代化」というのは、それ以前にまず「国」の概念を学ぶところから始めなければならない。
「国」の概念を共有する者が力を合わせて清朝を近代国家に作り替えるか。
それとも清朝自体を失くし、更地にした土地にゼロから「近代国家そのもの」を構築するか。
袁世凱は前者に近いが、多くの「国」の概念を学んだ若者は後者を取らざるを得ない。
「国」の概念は留学先の日本で学ぶ。
清朝を作り替えるなら、清国を打ち破った日本に服属するわけにはいかない。だから反日になる。
「近代国家そのもの」を構築するなら、学んだ国の植民地になるのではないから「右へ倣え」だけは絶対に避けなければならない。これも「反日」になる。
「国」があったなら。貧しくとも同じ民族の王が統治する国であったなら。
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中国人に対する魯迅の絶望
いうまでもなく、魯迅も日本留学生の一人だったが、彼は日本で大きなカルチャーショックを受けている。
仙台で二年間、医学を勉強したときに、彼は短編小説「藤野先生」で有名な恩師・藤野厳九郎と出会う。藤野は親身になって魯迅の面倒を見た。
それは日本人にとってはごく当然ともいえる親切心からだったが、人間不信がすべての関係の基礎である中国の社会では、先生の「無償の愛」はおよそ考えられないことだったのである。
一方で、魯迅は同国人同士で群れをなす清国留学生に反感を抱く。
東京を離れて中国人のいない仙台に行ったのも、どうやらそのせいらしいのだが、短編集『吶喊』の「自序」によれば、彼はこの地で当時進行中だった日露戦争のスライドを見せられて、愕然とした。
ロシアのスパイだった中国人が斬首される場面で、それを取り巻いて見物している同胞の中国人が誰もみな、薄ぼんやりした表情を浮かべていたのである。
魯迅は中国人の精神を改造しなければ何をしても無駄だ、近代化は不可能だと考えて文学の世界に入った。
彼は、中国人に絶望しつつも、1918年(大正7年)、友人にすすめられて『新青年』5月号に、「狂人日記」を発表する。
この小説は中国の文体を変え、中国語の日本化を決定的にした記念碑的な作品だった。
魯迅は「文学革命」の旗手になったのである。
皮肉なことに、その翌年、先述した五・四運動が起こり、学生を先頭にした反日運動が中国全土をおおった。
しかし、じつはこれは当然なのである。反日が全中国人の旗印になりうるということは、日清戦争以来の中国社会の日本化が完成した証拠なのだから。
1911年(明治44年)の辛亥革命を起こしたのも日本の陸軍士官学校で教育を受けた、つまり日本留学生だった青年将校たちだったが、それから八年かけてさらに日本化が進み、「反日」という形でようやく中国人にもナショナリズムが芽生え、彼らは近代化の一歩を踏み出した。現実が意識に追いついたのである。
数学者の藤原正彦氏に『祖国とは国語』(新潮文庫)というエッセイ集がある。「祖国とは国語」はもともとフランスのシオランという人の言葉で、祖国の最終的なアイデンティティは「血」でも「国土」でもなく、民族の言語なのだそうだ。
二千年間も流浪の民だったユダヤ人が二十世紀になって再び建国できたのは、ユダヤ教と共にヘブライ語やイディッシュ語を失わなかったからだ、と藤原氏はおっしゃっている。
とすれば、漢字以外に共通の言語のなかった中国人が同一民族としての自覚を持てなかったのはうなずける。
その意味で、まがりなりにも中国という近代国家を築けたのは、中国語を変え、近代化に向かわせた日本のおかげだと言っても過言ではない。
たしかに、日本は古代シナの漢字文化圏から出発した。しかし、その後、かなを発明して日本語を豊かにし、独自の文化をはぐくみ、洗練させてきた。
そして、最終的には中国を日本の文化圏に取り入れるに至ったのである。
いまだに中国人が日本を自分たちの周辺部族のように見ているとしたら事実誤認もはなはだしく、むしろ、現代ではそれは逆なのである。
中国人が認めようが認めまいが、少なくとも日本人はこのことをはっきり認識しておくべきだろう。
「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
宮脇淳子
より転載
教科書で確か「故郷」を習った。暗くて重かった。
故郷を愛するというより、どうしようもなくみじめな思いを抱き続けながら(感じ続けながら)、でもここ(故郷)が自分の根っこである、というやりきれない実感。
「ふるさとは遠きに在りて思ふもの」でもない「忘れがたきふるさと」でもない、できることならば忘れ去ってしまいたいけれど、故郷の家屋敷全てを手放したって、消えることのないみじめな故郷への思い。
実はこれはこのまま魯迅の「国への思い」であった、ということに気が付いていたら、もう少し読み様もあったのだろうけれど、何分ぼんくらなもので。
「藤野先生」という作品にはその辺りがもっと直截に書かれているが、「シナの近代化」というのは、それ以前にまず「国」の概念を学ぶところから始めなければならない。
「国」の概念を共有する者が力を合わせて清朝を近代国家に作り替えるか。
それとも清朝自体を失くし、更地にした土地にゼロから「近代国家そのもの」を構築するか。
袁世凱は前者に近いが、多くの「国」の概念を学んだ若者は後者を取らざるを得ない。
「国」の概念は留学先の日本で学ぶ。
清朝を作り替えるなら、清国を打ち破った日本に服属するわけにはいかない。だから反日になる。
「近代国家そのもの」を構築するなら、学んだ国の植民地になるのではないから「右へ倣え」だけは絶対に避けなければならない。これも「反日」になる。
「国」があったなら。貧しくとも同じ民族の王が統治する国であったなら。
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中国人に対する魯迅の絶望
いうまでもなく、魯迅も日本留学生の一人だったが、彼は日本で大きなカルチャーショックを受けている。
仙台で二年間、医学を勉強したときに、彼は短編小説「藤野先生」で有名な恩師・藤野厳九郎と出会う。藤野は親身になって魯迅の面倒を見た。
それは日本人にとってはごく当然ともいえる親切心からだったが、人間不信がすべての関係の基礎である中国の社会では、先生の「無償の愛」はおよそ考えられないことだったのである。
一方で、魯迅は同国人同士で群れをなす清国留学生に反感を抱く。
東京を離れて中国人のいない仙台に行ったのも、どうやらそのせいらしいのだが、短編集『吶喊』の「自序」によれば、彼はこの地で当時進行中だった日露戦争のスライドを見せられて、愕然とした。
ロシアのスパイだった中国人が斬首される場面で、それを取り巻いて見物している同胞の中国人が誰もみな、薄ぼんやりした表情を浮かべていたのである。
魯迅は中国人の精神を改造しなければ何をしても無駄だ、近代化は不可能だと考えて文学の世界に入った。
彼は、中国人に絶望しつつも、1918年(大正7年)、友人にすすめられて『新青年』5月号に、「狂人日記」を発表する。
この小説は中国の文体を変え、中国語の日本化を決定的にした記念碑的な作品だった。
魯迅は「文学革命」の旗手になったのである。
皮肉なことに、その翌年、先述した五・四運動が起こり、学生を先頭にした反日運動が中国全土をおおった。
しかし、じつはこれは当然なのである。反日が全中国人の旗印になりうるということは、日清戦争以来の中国社会の日本化が完成した証拠なのだから。
1911年(明治44年)の辛亥革命を起こしたのも日本の陸軍士官学校で教育を受けた、つまり日本留学生だった青年将校たちだったが、それから八年かけてさらに日本化が進み、「反日」という形でようやく中国人にもナショナリズムが芽生え、彼らは近代化の一歩を踏み出した。現実が意識に追いついたのである。
数学者の藤原正彦氏に『祖国とは国語』(新潮文庫)というエッセイ集がある。「祖国とは国語」はもともとフランスのシオランという人の言葉で、祖国の最終的なアイデンティティは「血」でも「国土」でもなく、民族の言語なのだそうだ。
二千年間も流浪の民だったユダヤ人が二十世紀になって再び建国できたのは、ユダヤ教と共にヘブライ語やイディッシュ語を失わなかったからだ、と藤原氏はおっしゃっている。
とすれば、漢字以外に共通の言語のなかった中国人が同一民族としての自覚を持てなかったのはうなずける。
その意味で、まがりなりにも中国という近代国家を築けたのは、中国語を変え、近代化に向かわせた日本のおかげだと言っても過言ではない。
たしかに、日本は古代シナの漢字文化圏から出発した。しかし、その後、かなを発明して日本語を豊かにし、独自の文化をはぐくみ、洗練させてきた。
そして、最終的には中国を日本の文化圏に取り入れるに至ったのである。
いまだに中国人が日本を自分たちの周辺部族のように見ているとしたら事実誤認もはなはだしく、むしろ、現代ではそれは逆なのである。
中国人が認めようが認めまいが、少なくとも日本人はこのことをはっきり認識しておくべきだろう。
「中国・韓国の正体」~異民族がつくった歴史の正体~
宮脇淳子
より転載
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