2013.08/31 (Sat)
石見銀山について、ということで、「神屋寿禎と朝鮮人技術者」、「大久保長安」、「井戸平左衛門」と続け、「大森町の人々」で終わるつもりでしたが、ちょっと脱線してでも書いて置こうと思うことがありました。
ちょっと脱線、の方が本筋より長くなりそうな予感、というか不安、みたいなものもあるけれど。
というわけで、島津家久のことを。
島津家久、と聞いて、「ああ!あの人?」となるのは相当な歴史通、じゃないでしょうか。でも、「何?誰?それ」と言う人だって、彼の大活躍の話を聞けば「はいはい!島津家久!」、となる。
豊臣秀吉の「唐入り」のために、まず朝鮮に出兵したのが文禄の役。和平が決裂して再度戦いとなったのが慶長の役。
家久(当時は忠恒)はその慶長の役に、父義弘と共に出陣、僅か数千の兵で数万の明軍を打ち破っています。
朝鮮出兵時の諸国大名の働きは凄まじいものだったけれど、その中でも群を抜いていたのが島津軍。「鬼石蔓子」と呼ばれ恐れられた島津軍の大将が、この島津家久です。
なんでも一日に挙げる首の数が一番多かった者を、「首級」と言って賞したんだそうですが、大将自らがその日一番の首を取り、賞された、というのは、後にも先にもこの島津家久だけではないでしょうか。
その数、およそ二百。家久二十二歳の時、です。
脱線の脱線、ですけど。
石見銀山について、ということで、「神屋寿禎と朝鮮人技術者」、「大久保長安」、「井戸平左衛門」と続け、「大森町の人々」で終わるつもりでしたが、ちょっと脱線してでも書いて置こうと思うことがありました。
ちょっと脱線、の方が本筋より長くなりそうな予感、というか不安、みたいなものもあるけれど。
というわけで、島津家久のことを。
島津家久、と聞いて、「ああ!あの人?」となるのは相当な歴史通、じゃないでしょうか。でも、「何?誰?それ」と言う人だって、彼の大活躍の話を聞けば「はいはい!島津家久!」、となる。
豊臣秀吉の「唐入り」のために、まず朝鮮に出兵したのが文禄の役。和平が決裂して再度戦いとなったのが慶長の役。
家久(当時は忠恒)はその慶長の役に、父義弘と共に出陣、僅か数千の兵で数万の明軍を打ち破っています。
朝鮮出兵時の諸国大名の働きは凄まじいものだったけれど、その中でも群を抜いていたのが島津軍。「鬼石蔓子」と呼ばれ恐れられた島津軍の大将が、この島津家久です。
なんでも一日に挙げる首の数が一番多かった者を、「首級」と言って賞したんだそうですが、大将自らがその日一番の首を取り、賞された、というのは、後にも先にもこの島津家久だけではないでしょうか。
その数、およそ二百。家久二十二歳の時、です。
脱線の脱線、ですけど。
「鬼石蔓子」というのは、決して褒め言葉ではないのだそうです。「鬼」というのは、日本では畏怖される存在で、「畏」の中には「敬」の念もあるのですが、シナでは、「死んだのにあの世に行けず、現世を彷徨っている者」、という意味しかないのだとか。
だから日本の感覚から言えば、それは「鬼」と言うより幽霊とか亡霊とかいう意味になる。尊ぶとか敬う、なんて気持ちはこれっぽっちもない。
けれど、恐れ慄いたこと自体は間違いなく、「鬼石蔓子(亡霊島津)」、とひたすら嫌がって、最低、最悪、とにかく敵として向かい合いたくないと言い継いだ。
考えてみれば、敵に対する尊敬、とまではいかずとも「敵を同じ人間として認める」、という考え方が、昔から彼の国にはないのだから、当然のことかもしれません。
「抜刀隊」の歌にある「敵の大将たる者は 古今無双の英雄で~」、なんていう考え方は、アジアでは日本だけかもしれません。
・・・・いや?敵を同じ人間と認めようとしないのは、アジアでも中華思想の数ヶ国だけ、かな?何しろ周囲は全て「蛮」。毒虫みたいな存在らしいですからね。
脱線の脱線、その2、です。
「朝鮮出兵時の日本軍の残虐非道振りは、目を覆いたくなるようなものだった。何しろ、敵兵を殺した後、鼻や耳を削ぐのである。その上で、自身の旗印をつけた串を鼻や耳に突き刺すのだ。」
これを読んだ時は、「日本人というのは何と惨たらしいことをするのだろうか」、と、「同じ日本人であることが恥ずかしい」、と思ったものですが、段々色んなことを読んでいくうちに、これはシナ・朝鮮でも普通に行われていたこと、と知るようになります。大体がいくさで首級競争をするのは当たり前のことで、そのためには、その証拠を持っていなければならない。
それで証拠品として鼻を削いだり、耳を削いだりするのです。あ、片耳だけですよ、右だけ、とか左だけ、とか。両方取ったら、ただの異常者。何人殺したか数えられればいいんですからね。
でも、これじゃ誰の鼻や耳だか、分かりません。だから証拠の串を立てる。それが戦国末期の日本軍のやり方だった。
首を刎ねて持って行くことを考えたら、軽便で良い、ということからだったのだろう、と思っていたけれど、今になってみると、この考え方も違うんじゃないかなと思うようになりました。
首を刎ねて、腰にぶら下げて、というのはいかにも大変です。けれど、何よりもそれをしなかった理由。それはあちらの事情を鑑みてのことだったんでしょう。
以前にろくろ首」の元になったと思われる、「飛頭蛮」のことを書きましたが、首を切られ、胴と別々にすると、永久にあの世(冥府)に行けず、彷徨い歩き、世に徒を為す、というのがシナの考え方。だから、首を刎ねても必ず一緒にして埋葬します。「同文同種」だなんてとんでもない。日本みたいに本人かどうか確かめる「首実検」、なんてことをすると、末代まで祟られると思っている。
そんな、何もただ恨みを買うために出兵したんじゃないんですから。だから殺しても首は取らない。それが朝鮮出兵時の日本軍の思い遣り。
(後半へ続く)
だから日本の感覚から言えば、それは「鬼」と言うより幽霊とか亡霊とかいう意味になる。尊ぶとか敬う、なんて気持ちはこれっぽっちもない。
けれど、恐れ慄いたこと自体は間違いなく、「鬼石蔓子(亡霊島津)」、とひたすら嫌がって、最低、最悪、とにかく敵として向かい合いたくないと言い継いだ。
考えてみれば、敵に対する尊敬、とまではいかずとも「敵を同じ人間として認める」、という考え方が、昔から彼の国にはないのだから、当然のことかもしれません。
「抜刀隊」の歌にある「敵の大将たる者は 古今無双の英雄で~」、なんていう考え方は、アジアでは日本だけかもしれません。
・・・・いや?敵を同じ人間と認めようとしないのは、アジアでも中華思想の数ヶ国だけ、かな?何しろ周囲は全て「蛮」。毒虫みたいな存在らしいですからね。
脱線の脱線、その2、です。
「朝鮮出兵時の日本軍の残虐非道振りは、目を覆いたくなるようなものだった。何しろ、敵兵を殺した後、鼻や耳を削ぐのである。その上で、自身の旗印をつけた串を鼻や耳に突き刺すのだ。」
これを読んだ時は、「日本人というのは何と惨たらしいことをするのだろうか」、と、「同じ日本人であることが恥ずかしい」、と思ったものですが、段々色んなことを読んでいくうちに、これはシナ・朝鮮でも普通に行われていたこと、と知るようになります。大体がいくさで首級競争をするのは当たり前のことで、そのためには、その証拠を持っていなければならない。
それで証拠品として鼻を削いだり、耳を削いだりするのです。あ、片耳だけですよ、右だけ、とか左だけ、とか。両方取ったら、ただの異常者。何人殺したか数えられればいいんですからね。
でも、これじゃ誰の鼻や耳だか、分かりません。だから証拠の串を立てる。それが戦国末期の日本軍のやり方だった。
首を刎ねて持って行くことを考えたら、軽便で良い、ということからだったのだろう、と思っていたけれど、今になってみると、この考え方も違うんじゃないかなと思うようになりました。
首を刎ねて、腰にぶら下げて、というのはいかにも大変です。けれど、何よりもそれをしなかった理由。それはあちらの事情を鑑みてのことだったんでしょう。
以前にろくろ首」の元になったと思われる、「飛頭蛮」のことを書きましたが、首を切られ、胴と別々にすると、永久にあの世(冥府)に行けず、彷徨い歩き、世に徒を為す、というのがシナの考え方。だから、首を刎ねても必ず一緒にして埋葬します。「同文同種」だなんてとんでもない。日本みたいに本人かどうか確かめる「首実検」、なんてことをすると、末代まで祟られると思っている。
そんな、何もただ恨みを買うために出兵したんじゃないんですから。だから殺しても首は取らない。それが朝鮮出兵時の日本軍の思い遣り。
(後半へ続く)
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