CubとSRと

ただの日記

どうなる

2024年05月26日 | 日々の暮らし
ニッキー・ヘイリー、「トランプ前大統領に投票する」
 共和党主流派とトランプ陣営の妥協が成立したらしい
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 ニッキー・ヘイリー元国連大使は5月22日、「2024年の米大統領選挙ではトランプ前大統領に投票する」と述べた。
 変節? それとも共和党主流派が妥協したか。取引条件として、ヘイリーの副大統領候補としてのチケットを組むことをトランプ陣営は認めたのか。

 ヘイリーは共和党予備選を三月まで戦い、最大のライバルだった。「トランプ氏は完璧ではなかったが、ジョー・バイデン大統領は『大惨事』だ」とし、予備選を降りてからでも、2つの州予備選挙で20%以上の票を獲得している。
ヘイリーは続けた。
 「バイデン氏はアフガニスタンで『大失敗』を招き、ウクライナ侵攻を阻止するために何もしなかった。最近では『イスラエルを狼の餌食にした』。私は同盟国を支え、敵に責任を取らせ、国境を守り、資本主義と自由を支持し、借金を増やすのではなく減らす必要があることを理解している大統領を優先したい」。

 「トランプ氏は、私に投票し、私をサポートし続けてくれた何百万人もの人々に手を差し伸べるのが賢明であり、彼らが自分と一緒にいるだけだとは思わないでしょう。私は彼がそうすることを心から願っています。」

 共和党の選挙戦略家ジョン・コナーズはBBCに対し、「ヘイリー氏がトランプ氏に明らかにシグナルを送っている。ヘイリー氏がトランプ大統領との交渉を開始し、自身の切符に加わり、副大統領候補を再選するための交渉を開始するという合図だろう」と分析した。
 なぜなら選挙資金を裁判費用へ巨費を出費し、枯渇させているトランプ陣営にとって、傍観している共和党主流派の大口献金者たちから資金調達を誘う必要がある。




 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024)5月24日(金曜日)
        通巻第8263号 より
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モヤモヤ

2024年05月25日 | 日々の暮らし
 5月17日(金)

 やはり昨晩は調子に乗って飲み過ぎたか。雨樋修理の目処が付いたのでほっとしたせいか。
 焼酎は飲まなかったけれど、代わりに飲んだ酒は一合強。缶ビール1本、缶ハイボール1缶、缶ジャスミン酒1本。

 1時半に寝て5時に目は覚めたものの体調は良くない。当然(?)、早々に「今朝は散歩休み!」と決めて9時近くまで寝ていた。

 そんなだから朝食は9時を回っていたし「バイクで出るか、車にするか、いや、工事業者から連絡があるかもしれないし」、と迷って、やっとコペンで出ることに決め(暑くなるらしいから)夏用のジャケットを着て、いざ出発となったのは、既に1時前。

 その時、電話がかかってきた。あ、あ~っ!
 出てみると、やっぱり予想通り。1時半に行ってもいいかとの連絡。「勿論」と応える。
 とは言え、折角着たものをまた脱いで着替えることになったのだが。
 しかし、今日でなく明日となればまた一日余分にかかるわけだから。

 結局、足場を組まねば作業はできないから、修理費そのものより脚場代の方がはるかに金がかかるらしい。そりゃそうだろう。雨樋を新調したって雨樋そのものの単価は大した金額ではない。
 ところが保険は二十万以上の工事費が掛からないと出ないものらしい。雨樋だけで二十万・・・は、ありえない。
 それなりの金額は出るのだろうが、さて。

 
 コペンで東条辺りまでと思っていたが、そんなわけで明日以降に延期。
 簡単なことみたいだが、事はそう簡単ではない。
 つまり。
 明日は今日より暑くなる。最高気温は25度前後。ということはコペンには乗れない。蒸し鶏になる。
 しかし明後日はまた下がる。

 そうなると、「明日はSR、明後日がコペン」ということになるな。
 
 
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「言い換え」関連で再掲

2024年05月24日 | 日々の暮らし
 分かり易くなるようにと「言い換え」が多用されるようになり、「円周率は大体、3!」となったけれど、その辺から「あれ?何かおかしいぞ」と思う人が増えてきたような気がします。
 が、多勢に無勢。日本人の根っこには他人に対して「思い遣りを以て優しく接する」と言う心掛けがあって、却ってそれが徒(あだ)となり誤解、誤用は燎原の火の如くに・・・・。

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 世間話「義援金と義捐金」  
        2011.04/10 (Sun)

 今回は、「何を今更」とか「別にいいじゃん」「目的を見失うな!」とか、やられそうなことです。世間話ですよ。気にしないで下さい。でも「一事が万事」は、ここでも当てはまるかもしれませんよ。
 ・・・というわけで。


 以前に或る人の日記に「子供と子ども」という文があって、これ、「子供」の方には差別的要素があるというので、「子ども」と書くようになったらしい、とありました。
 「子供」の「ども」は蔑称の複数形であり、「子ども」の方は「こども」という一つの品詞であるという説明になるんだそうです。
 成程、例によって浅はかなことを言い出したもんだ、と思いました。
 いっそ他の「差別用語だ!」と言ってる言葉と同様に抹殺したらいい。姑息なことをせずに。(或る関西のラジオパーソナリティーは「子たち」とか「お子たち」なんて言ってます。そこまでやって「子供狩り」をすればよい。あ、「子供狩り」って「子供という言葉を狩る」、ということですからね、誤解されませんように♡)


 「疑問」という語句を、戦後に作られた日教組は「疑い」と言い換えた。それと同じパターンです。良かれと思ってしたことです。ただ、「浅はか」であり「安直」に過ぎる。


 「疑問を持つ」というのは、「理解に到達するために、不明な部分を問いかけ、明らかにしていく」ことを指します。
 それに対して、「疑う」というのは現時点で、まず納得したことを「本当か?」と再点検する。そして「理解した」時点でも同じことを繰り返し、更に「本当に分かったかどうか分からない。『現時点では分かった』というしかない」といった、些か以上にひねくれた表現の結論を出す。
 自然科学者としてなら優れた姿勢、とほめられるべきところですが、初等、中等教育でそれをやるのは人格形成の面で問題です。
 
 「またまた、そんな大袈裟な」と言われそうですが、冗談ではない。これこそ「地獄への道は『善意』という名の敷石で『敷き詰められている』」ことの実例、です。
 「差別的な言葉だから、せめて漢字を平仮名にして、意識しないようにしよう」 
 「難しい言葉だから、分かりやすく言い換えてやろう」
 どちらも思考停止への、優しく甘美な誘いです。


 こんなのもありましたよ。
 「体そう」。これは分かりますよね。「操」は、まだ習ってないから。
 じゃ、これは?「お水」。「おすい(汚水)」と読むのだそうです。「汚」は、まだ習ってないから。
 笑って済ませるでしょう?同時に「これ、変」と思うでしょう?
 でも「疑問」を「疑い」と言い換えるとなれば、「いいんじゃない?」となっていませんか?
 そういう小さなことの限りない積み重ねが文化であり、だから、「これくらい」が積み重なって文化は変質していく。


 「これくらい」という姿勢なら、たとえば三宅センセみたいな人が「そんなこと言うもんじゃありません!」って叱ってくれるけれど、良かれと思ってやっていることになると、「まあ、悪気はないんだから」となってしまう。
 でも、「地獄への道は『善意』という名の敷石で『敷き詰められている』」、ということになるんです。


 その伝で言うと、「義援金」と「義捐金」どちらが本当なのでしょう。
 この言葉が初めて遣われたのは明治時代で、その時は「義捐金」。
 「義援金」は「(正しい)意図を以って社会を援けるための金」ということでしょう。
 「義によって助太刀致す」、みたいな感じでしょうか。
 今は「義援金」が普通の言い方です。実際、辞書を見ると、「義捐金」の方に▲がついている。常用漢字ではないので、ということです。
 でも、本来は「義捐金」。「意図を以って、社会に金を捐(すて)る」。




 何故、「義援金」、になったのでしょうか。日教組は直接にはからんでいないと思われます。それよりも、根底に「日教組的な考え方」が流れていると見て良いのではないでしょうか。
 「日教組的な考え方」というのは、ここまで書いてきたことから分かっていただけると思いますが、「歴史、文化に思いを致すことなく、現時点を中心として物事を裁決する(浅はかな)考え方」を言います。更に付言すれば、基本は「良かれと思って」、という姿勢。
 正しい語句、正しい意味合いで以て物事を考える。日本人として正しい日本語の語句で、その正しい意味合いで以て物事を考える。それが「社会に参加する」「社会に参加する実力を持つ」ということです。
 安易な言いかえ、大雑把なものの見方・捉え方でまともに「社会を継承、発展させる」ことができるでしょうか。


 お気づきの方もあるかと思います。実は、これ(物事を易しく言い換えようとする)、日本人の本来持っている考え方の一面でもあるのです。何でもかんでも「良かれ」と思って、やる。「小さな親切」なんです。
 でも、される方にとっては、ただの「おせっかい」なんだから「大きなお世話」。
 「日韓併合」が一番分かりやすいことでしょうか。日本人の方からすれば「朝鮮、韓国は恩を仇で返す」と怒りますが、あっちにしてみれば、「ハングルなんか広めてくれなくたってよかったのに。みんなが権利を主張しはじめて、いい迷惑だ!(元両班)」ってなもんです。
 最近は「ハングルを日本が取り上げようとしていた」みたいなことまで言ってるけど(こちらは併合後、棚ぼた独立を手に入れたにもかかわらず、反日教育を受けた結果)、全ての国民が思っている。また脱線。


 他人に親切にする。思い遣りを以って接する。自分のことは少々犠牲にしても、相手のために良かれと思ってそうする。そうすれば周りはほめてくれるし、しなければ白い眼で見られる。
 悪く言えば世間体、人目を気にし、良く言えばお互いを律して来た。
 これは、良くも悪くも間違いなく日本の一面です。日教組の教育にも、だからちゃんとその名残がある。


 「捐」=「捨てる」 →捨てられた金をもらう=乞食根性
 「援」=「援助する」→手助けをしてもらう =困った時はお互い様


 「ほら!だったらそれでいいじゃないか」となりそうですね。
 ところが「傾城阿波の鳴門」のあの「巡礼に御報謝~」。「御奉捨」が本当なんだそうです。「捨」の前に「奉(たてまつ)る」、が付いている。そして僧や巡礼に布施をすることを「奉捨」或いは「喜捨」と言います。
 「捨」というのは、「要らぬ物を捨てる」ということではなく、大事なものを喜んで差し上げる、という意味になります。
 確かに「巡礼に御報謝~」なんて言ったら「巡礼の俺様にお礼を言え~。布施を受けてやってるんだからなぁ~!」


 何故そんな「奉捨」なんてことをするのか。
 「在家のため、動くに動けない自分、の代わりに尊い仏道修行をして下さる。だから、喜んで!」ということのようです。
 「捨」は自ら進んで大事なものを投げ出す。それをもっと大きなことのために使ってもらう。「貧者の一灯」に近い、潔い心持です。
 「援けようなんておこがましいことは思っていませんよ。このお金は貴方の良いように遣ってくださいよ」




 そうなると、「義援金」と「義捐金」、これまでとは違って見えてきませんか。






 
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義援金と義捐金、遵法と順法、馴化と順化

2024年05月23日 | 日々の暮らし
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「暑熱順化」を憂慮する
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【新聞に喝!】 岡本隆司・早稲田大学教授 


 5月に入って、急に暑くなった。大型連休は真夏日になるところも出て、メディアも連日の報道で忙しい。そこでしばしば目にするのが「暑熱順化」という四字熟語。

 専門用語っぽくて難しそうだが、大意はごく身近、暑さに「身体が慣れる/を馴(な)らす」ことである。熱中症の備えから後者の必要がある場合に用いているだろうか。気候温暖化の時代になって、専門用語が一般化したというパターンにちがいない。

 そこで気になったのが「順化」という熟語である。どうにもしっくりこない。「順応」ならまだしも、と思って、辞書を引いてみたら、やはり別の表記を載せていた。「馴化(じゅんか)」であって、これならよくわかる。調べてみたら、「馴化」はacclimationの翻訳語であって、やはり生物学の専門用語のようである。だからヒト・「暑熱」に限らない。

 それなら、なぜ「暑熱馴化」ではなく「暑熱順化」と書くのか、といえば、けだし理由は一つ、「馴」という文字が常用漢字表にないからなのだろう。それで「順応」など、類義語をもつ「順」の字を当てた。

 この常用漢字は実に3年前、つとに言及した問題だった。見た目に醜く、意味も通らない「まぜ書き」を生み出す常用漢字の使い方に苦言を呈したつもりながら、まったく顧みられていない。

 文字・ことばは思考・論理、ひいては人間関係・文化の根本をなす。やはり何度でもいわねばなるまい。

 「順」と「馴」は異なる文字であり、字を間違ったら意味が通じない。小学生でもわかる理屈で、テスト問題ならペケ、減点である。そんな間違いを大の大人が組織的にやっているのであって、これでは子供に文字を教える資格はない。同じ事例としては、「遵法(じゅんぽう)」と「順法」があるだろうか。「義捐(ぎえん)」と「義援」もそうである。

 子供の間違いなら正せばよい。こちらは故意の「誤字」なので、いっそう始末に悪い。お上の法令を杓子(しゃくし)定規に優先しがちな日本人の陋習(ろうしゅう)であろう。

 別に常用漢字を無視せよといいたいわけではない。尊重したいなら「順化」と書かず、「慣れる/慣らす」といいかえればよい。「義援」は「援助」とすればよいだろう。ただ表現の幅が狭まることは避けられない。

 かねて常用漢字はナンセンスだと信じている。それを正すにはメディアの理解が欠かせない。しかしやはり…憂慮は来たるべき夏の暑さばかりではなさそうである。
【プロフィル】岡本隆司

おかもと・たかし 昭和40年、京都市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に「『中国』の形成」など。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

松本市 久保田 康文 

産経新聞令和6年5月19日号採録

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     わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
                 頂門の一針 6875号
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 2024(令和6年)年 5月22日(水) より

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お手上げ

2024年05月22日 | 日々の暮らし
 5月16日(木)

 午前中は雨。
 従って早朝散歩は、なし。
 けど、サボったわけじゃないから堂々と酒は飲める。

 昼からは降らないということなので買い物に。
 出る前に「強風が続くので大丈夫かな」と思いながら定例行事、以前強風で佇立してしまった棟瓦の様子を見に道路へ出ようとした。
 すると何だか聞き慣れないバタンバタンという音がする。どうも近い。
 「うちの家か?それとも近くのどこか?」

 まあ、ここいらの家で怪しい家と言えば我が家くらいだろうから、大方うちだろう。
 そう思ってそれらしい方角を眺めるのだが、音自体は連続するものではないからちっとも見つけられない。

 そうこうするうちにまた強い風が吹いた。音がした。
 原因が分かった。強い風が吹くと二階の雨樋が受け金から10センチくらい浮き上がり、次の瞬間戻って受け金に当たる。その音だった。
 西側の壁の端から端まで南北に長い雨樋が掛かっている。そいつが端から端まで浮き上がり、揃って受け金に打ち当たる。雨樋と受け金を括りつけている針金がこの数十年間のうちに錆びて千切れてしまったのだろう。

 西風を受けて、雨樋はあたかも飛び立とうとする飛行機の翼のようにふわっと浮き上がる。
 浮き上がった雨樋は、その都度力尽きて地面たる受け金に激突する。
 
 西側の壁には二階の屋根しかない。壁と隣家との境界まで数十センチ。
 つまり大きな三脚を立てようとしても幅がないし、何より二階の屋根の高さまでカバーできる三脚なんて、ない。庭師用の特殊な三脚だってこんな狭い場所には立てられない。
 梯子を立て掛けるにしても雨樋を何とかしようとするなら垂直どころかのけ反った形で作業をするしかない。とてもじゃないけど命懸けでやったつもりだった雨樋の修繕なんかとは命懸けの桁が違う。
 命がいくつあってもできない難工事だ。プロだってこれは足場を組んでやるしかあるまい。

 ついに大金が掛かるのは覚悟の上、で、この家の購入時の仲介業者に工事業者の紹介をしてもらうことにした。
 早速施工業者に連絡を入れてくれて、言われた通り探し出した二十数年前の火災保険の書類を使って修理の準備にかかることに。

 それに気をよくして、というか安心して改めて酒の肴の買い出しに。
 


 
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