2017.04/29 (Sat)
今日は「昭和の日」についてです。
本来、「文化の日」は「明治節」と呼ばれていたように、今日だって「昭和の日」ではなく、「昭和節」というべき日です。
「節」というのは「節句」という言葉から分かるように、「節目」ということで、これは「記念日」、「お祝いの日」と捉えます。
「祭日」は「お祭り」の日。
本来は「~祭の日」、と言う。
「元旦祭」、「春季皇霊祭」、「秋季皇霊祭」、(「神嘗祭」)、「新嘗祭」
宮中で祭祀があるので、「祭」とついているから、「祭日」。
それと違って、記念日は「祭日」ではないのだから、「祝日」ということにしよう。
ということで、「建国記念の日」は「紀元節」と言いました。
「建国した日」自体は分からないのですから、一番似つかわしい日を算出して2月11日とした。
天皇陛下の誕生日も「お祝い」したい。「お祝い」。「祝」日ということになるから、それも「天の下の長」だから「天長」の祝日、「天長節」としよう。
その明治天皇が崩御された。
以降は「天長節」は大正「天皇の御誕生日」ということになる。
でも、あの偉大な明治天皇のお誕生日を祝うことは続けられないか。
ということで、「明治天皇のお誕生日」である11月3日は、「明治節」という祝日になった。
それが敗戦。
占領統治をしていたGHQは、これまでの祝祭日(祝日と祭日)は全て廃止するよう命令、11月3日は「日本国憲法発布の日」として、「明治節」を消し去ろうとした。
でも、明治天皇の御誕生日を何とかしてお祝いしたい。
「そうだ!明治天皇が日本の近代化に舵を切られたからこそ、今の日本があるのだ。近代文化国家日本は明治天皇によって拓かれたのだ。だから『文化の日』にしよう!それがいい!!」
というわけで、「文化の日」。
勿論、そんなことを言ったら、「GHQにご注進!」というような連中はそこら中にいるわけだから、表向きは
「戦後の近代国家を作る『日本国憲法』が発布された、『文化国家になる記念すべき日』だから、『文化の日』としよう」
ということに。苦心惨憺、です。
「またまた~。大げさな。話、盛ってない??」、なんて思う人があったら、言いたい。
「紀元節はどうなりました?建国記念日、じゃなくて『建国記念の日』、として祝日になるまでに、どれだけ年月がかかりました?」って。
何とか「みどりの日」として、成立し、やっとのことで「昭和の日」となりました。
本当は「建国記念の日」ではなく、「紀元節」と言いたい。
本当は「勤労感謝の日」ではなく「新嘗祭」と言いたい。
同じく、「昭和の日」ではなく、勿論「みどりの日」でもなく、本当は「昭和節」と言いたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下は二年前の日記の部分転載です。
↓
「みどりの日」は緊急措置として、そんな命名をしたんでしたね、「昭和の日」では反対されるから。
勿論、民主、社民、共産の各党が反対するからでした。
これ、気をつけなきゃならないのは、それらの党が反対できるのは、それらの党を支持する国民が相当数いるから、ということです。「同じ日本人」っていう括り方は安易過ぎる。
じゃあ、天皇の諡号(しごう・おくりな)を出さなければ良いんだな?と言うことで、もっと「軽く」、「みどりの日」として、とにもかくにも昭和天皇の誕生日を祝日として残した。そこにはきっと水面下での相当な政治活動があったんでしょう。
「『昭和の日』が嫌なら『みどりの日』はどうだぃ?ゴールデンウィーク、一日減るとさびしいぜ~?どうするぅ~?」なんてことを言って、搦め手から行ったんでしょうね、自民党のことだから。
そして遂に四月二十九日は「昭和の日」となった。
先人は、大変な苦労をして、一旦は消された「紀元節」を名前を変えてでも、とにかく復活させた。
「昭和の日」だって同じです。本当なら平日になるわけです。それをとにかく休日として置き、遂に「昭和の日」に、した。
だから「みどりの日」はお役御免、です。
でも、昭和天皇が国の復興のために、と積極的に植樹祭に行幸されたという事実は、我々はそれこそ1000年だって覚えておかなければ、と思うようになりました。
「昭和天皇の御遺徳を思う日が二日もある」
今はそんな風に思っています。
「11月3日は明治節」なのに。
憲法発布の日を被せ、だから「文化の日」だと。
5月3日は東京裁判開廷の日だから。
憲法施行の日を被せ、「憲法記念日」だと。
「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことも併せ、旧に復することも思い続けるべきでしょう。
(転載了)
今日は「昭和の日」についてです。
本来、「文化の日」は「明治節」と呼ばれていたように、今日だって「昭和の日」ではなく、「昭和節」というべき日です。
「節」というのは「節句」という言葉から分かるように、「節目」ということで、これは「記念日」、「お祝いの日」と捉えます。
「祭日」は「お祭り」の日。
本来は「~祭の日」、と言う。
「元旦祭」、「春季皇霊祭」、「秋季皇霊祭」、(「神嘗祭」)、「新嘗祭」
宮中で祭祀があるので、「祭」とついているから、「祭日」。
それと違って、記念日は「祭日」ではないのだから、「祝日」ということにしよう。
ということで、「建国記念の日」は「紀元節」と言いました。
「建国した日」自体は分からないのですから、一番似つかわしい日を算出して2月11日とした。
天皇陛下の誕生日も「お祝い」したい。「お祝い」。「祝」日ということになるから、それも「天の下の長」だから「天長」の祝日、「天長節」としよう。
その明治天皇が崩御された。
以降は「天長節」は大正「天皇の御誕生日」ということになる。
でも、あの偉大な明治天皇のお誕生日を祝うことは続けられないか。
ということで、「明治天皇のお誕生日」である11月3日は、「明治節」という祝日になった。
それが敗戦。
占領統治をしていたGHQは、これまでの祝祭日(祝日と祭日)は全て廃止するよう命令、11月3日は「日本国憲法発布の日」として、「明治節」を消し去ろうとした。
でも、明治天皇の御誕生日を何とかしてお祝いしたい。
「そうだ!明治天皇が日本の近代化に舵を切られたからこそ、今の日本があるのだ。近代文化国家日本は明治天皇によって拓かれたのだ。だから『文化の日』にしよう!それがいい!!」
というわけで、「文化の日」。
勿論、そんなことを言ったら、「GHQにご注進!」というような連中はそこら中にいるわけだから、表向きは
「戦後の近代国家を作る『日本国憲法』が発布された、『文化国家になる記念すべき日』だから、『文化の日』としよう」
ということに。苦心惨憺、です。
「またまた~。大げさな。話、盛ってない??」、なんて思う人があったら、言いたい。
「紀元節はどうなりました?建国記念日、じゃなくて『建国記念の日』、として祝日になるまでに、どれだけ年月がかかりました?」って。
何とか「みどりの日」として、成立し、やっとのことで「昭和の日」となりました。
本当は「建国記念の日」ではなく、「紀元節」と言いたい。
本当は「勤労感謝の日」ではなく「新嘗祭」と言いたい。
同じく、「昭和の日」ではなく、勿論「みどりの日」でもなく、本当は「昭和節」と言いたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下は二年前の日記の部分転載です。
↓
「みどりの日」は緊急措置として、そんな命名をしたんでしたね、「昭和の日」では反対されるから。
勿論、民主、社民、共産の各党が反対するからでした。
これ、気をつけなきゃならないのは、それらの党が反対できるのは、それらの党を支持する国民が相当数いるから、ということです。「同じ日本人」っていう括り方は安易過ぎる。
じゃあ、天皇の諡号(しごう・おくりな)を出さなければ良いんだな?と言うことで、もっと「軽く」、「みどりの日」として、とにもかくにも昭和天皇の誕生日を祝日として残した。そこにはきっと水面下での相当な政治活動があったんでしょう。
「『昭和の日』が嫌なら『みどりの日』はどうだぃ?ゴールデンウィーク、一日減るとさびしいぜ~?どうするぅ~?」なんてことを言って、搦め手から行ったんでしょうね、自民党のことだから。
そして遂に四月二十九日は「昭和の日」となった。
先人は、大変な苦労をして、一旦は消された「紀元節」を名前を変えてでも、とにかく復活させた。
「昭和の日」だって同じです。本当なら平日になるわけです。それをとにかく休日として置き、遂に「昭和の日」に、した。
だから「みどりの日」はお役御免、です。
でも、昭和天皇が国の復興のために、と積極的に植樹祭に行幸されたという事実は、我々はそれこそ1000年だって覚えておかなければ、と思うようになりました。
「昭和天皇の御遺徳を思う日が二日もある」
今はそんな風に思っています。
「11月3日は明治節」なのに。
憲法発布の日を被せ、だから「文化の日」だと。
5月3日は東京裁判開廷の日だから。
憲法施行の日を被せ、「憲法記念日」だと。
「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことも併せ、旧に復することも思い続けるべきでしょう。
(転載了)